住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

私の親友が、いい年してから柔道を始めている。

そのことが何となく気になっていて、遠くに住んでいる彼のことを折に触れて思い出す。

いい年して、とうっかり書いたが、40歳くらいになってから体を痛めつけるような武道を初心から始め、しかもそれを続けるというのは、なにかしら「想い」がないと出来ることじゃない。

しばらく彼とも会っていないが、ある時、手紙をくれた。

そこに、彼が尊敬する道場の師が大切にしているというあいだみつをさんの詩が書かれてあった。

私は、実は、あいだみつをという人の詩をよく知らない。

でも、その詩を目にした時は、ううむ、と唸った。

シャチ

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先日、鴨川シーワールドに行った。8年ぶりくらいだろうか。

女房様の絵解きが当地の宗派の青年会によって企画されたので、またまた私はマネージャー権運転手として子供たちまで連れて随行。お寺が忙しかった夏の間、子どもらには夏休みらしい夏休みもないから、これを良い機会にちょっと遅れた夏休み。

車で一路安房の国へ。

少し早めに出てフェリーで東京湾を渡ることに。

200808311306001.jpg

山国の人間には、海というのは、本当に何というか、「わあ海だあ」であります。

総理大臣

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また総理大臣が辞めてしまった。

庶民の想像を絶する重圧があるのだろうけど、もう少し何とな踏ん張って欲しかったなあ。

それにしても、行政のヘマやだれそれ大臣の事務所費やら前総理以来政策とは関係の無いことで政治家同士がワーワーと争っていて、肝心の政策論議はないし、政治そのものをしているように見えない。

実は、与党も野党も、政策を論議する能力がないから、こういう状況を作り続けて国民を煙に巻いているのではないだろうか。

まともに政策を話し合い始めたらたちまちにボロが出て政治部の記者にやり込められたりして。

もっとも、こうやって大衆レベルで批評家ぶってああだこうだと言うのはお気楽なもので、問題があまりにも多くあまりにも複雑で、それに対する意見や提案も多岐に渡りすぎている上に、とにかく前進していくための合意を形成したり決断をしていく「仕組み」が無いのではないだろうか。あるいは、従来の仕組みではもうどうにもならなくなっているか。

きっと政治だけがおかしいのではなく、やはり国全体の、同時代の我々人間のあり様を映し出しているのだろうから、「無責任だ」と鸚鵡のように責め立てても始まらない。「無責任」コールに終始している野党だって、それしか言ってない所を見ると、「オレならこうする」という代替案もないのだろう、と馬鹿にされても仕方が無い。

小学校でPTA役員を決定するのに深夜まで要する社会である。

自分たちが参加している社会であるから、その決定や結果については、自分に責任があるのだと、切り替えていくべきなのだろうが、どうも「お上任せ」の意識は僕らに根強く、またお上のお役人たちも、下々のものは心配せず任せておけと、幕閣のような気持ちでいるのだろう。

腹を切るような決死の覚悟で下々の上に立っていた大昔とは違うのだから、僕らも、責任の所在の明確化や、意思の決定の仕組みについて、それから決定したことに対する引き受け方など、意識を変えていかないとならないのだろう。

そうしないと、総理は任期が一年交代制になってしまう。

あんがい、それもいいかもしれないが。

チベット亡命政府の呼びかけによる「平和のための断食」にひとり参加。

http://www.tibethouse.jp/event/2008/080830_fasting.html

概要は下記の通り(チベットハウスのサイトより)。

1. この断食の目的:

  1. 全ての生きとし生きるもの、特にチベット人と中国人の悪い行為を清めるため、そして善いカルマ(善業)を蓄積するため。
  2. これにより、ダライ・ラマ法王の長寿と健康をもたらし、衆生の繁栄と利益に対する法王の活動を支援します。
  3. 全人類が平和と調和のなかで暮らせるよう、世界におけるあらゆる闘争、病気、苦しみ、惨禍を緩和します。
  4. 今年三月のチベットにおけるデモで政治的理由で闘い、亡くなったチベット人達の悪い行いを清め、彼らがより良い来世に生まれ変わり、いずれは輪廻から解脱するのを助けします。そして中国の残忍な圧制での虐待行為に今なお耐え続けているチベット人達を苦しみから即座に楽にさせるため、チベット問題の真実を早く普及させます。
  5. 威力弾圧と暴力の犠牲となり、宗教の自由と良心や発言の自由に恵まれていない世界中の全ての人々と、特にチベットの人々を自由にし、幸福と自由を享受させます。又、圧制者達の心にある全ての憎しみを取り除き、彼らを慈悲と智慧をもって導きます。
  6. そして、圧制者に対する慈悲と慈愛から生まれた非暴力かつ平和的な方法で、弾圧行為や暴力そして人権侵害に有効的に反対するよう、全人類に真剣に呼びかけてアピールします。

娘と京都に行った。一泊の小旅行である。といっても、所用によるのだが。

用を済ませて、ネットで予約した某ホテルへチェックイン。

(ネット予約というのは、どうしてこんなに安くなるのだろうか)

地下駐車場に車を停めてエレベータでフロントへ。

渋い佇まいのロビーは重厚な雰囲気が漂っている。西洋人が溶け込む空間構成に、日本の京都のホテルにいながら、日本人らしく緊張する。

そんな雰囲気にはお構いなしの娘は、いつものようにお人形のメルちゃんと連れ立って浮き浮きとついてくる。

「いらっしゃいませ」

「予約していたオカザワです」

「オカザワ様、お待ちしておりました」(不自然なほど、自然に聞こえる)

娘がカウンターによじ登ろうとする。カウンターの前に設置してある荷物置きようの台に登ってしまった。

「これ、じっとしてなさい、せめて靴を脱げ」(と、重厚なロビーに響かないように小声で注意)

「オカザワ様、本日よりご一泊、お二人様でございますね」

はい、と応答しようとした私より先に娘が答えた。

福島県で、帝王切開手術で娘を亡くした父親が起した裁判。

※ご指摘により、下記のようにた訂正します。

福島県で、帝王切開によって女性が死亡した出来事をめぐる裁判。

 

僕の友人も手術中に命を落としたが、それも医療ミスではないかと疑われている。

医療の進化は高度化を伴うから、現場の医師の能力もそれに伴って進化を求められよう。

でも、医師だとて完璧な人間ではないから、ミスをするということを前提とした思想の中で、そのリスクの可能性を縮小する仕組みを形作って、高度先端医療を実践していくしかないだろう。

僕も、先年母を亡くしたが、その治療中に手術をするに当たって「誓約書」を書いた。

裁判の社会になってそういうものも要請されるようになったものだろうが、なんとなく「文句言うなよ」という病院側の態度が気になった。

手術実績は、その病院にとっても医師にとっても、自分の『売り』になるものだ。

私の母の場合も、当初の診断ではもう手術をしても成果を期待できないから化学療法で、というものだったけれども、途中で方針が変更されて「やるだけやってみましょう」ということになった。今となっては、初期の診断をした医師の意見をきちんと聞くべきだったと悔やまれもするが、担当の外科医は「有能」であるとされていたし、「やるだけやってみる」という言葉の中に少しの希望を見出したい家族にとっては、外科医の力に望みをかけたくなるのは自然なことであった。

しかし、12時間以上は要するといわれて挑んだ手術だったが、わずか数時間で「終わりました」と告げられた。

その時に直感したのは、この手術は患者の治療のためではなく、その手術実績を上げるためのものだったのではないか、ということだった。

病院にとっては、それによって難易度の高い手術の回数はひとつ増えたことになっただろうが、その大手術のダメージは、一人の命を支える体力・気力を大幅に奪うことになる。

母の場合は、その後の抗がん剤が大きな効果を上げたので、当初告げられた『余命』の何倍も一緒に過ごすことができたが、もしも化学療法をスタートする時点での体力がもっと安定していたら、と考えることもある。

ともかく、痛感したのは、我々は医学について知らな過ぎる言うことだった。

医療情報は、中学生レベルからの必修科目にしてもいいのではないだろうか。

病気になってからインフォームド・コンセントといっても、患者(家族)対医師(病院)という関係性の中だけであるから、どうしても俄か仕込みのあせりと圧倒的な情報格差の中で、患者側は真実を伝えられている気がしない。

そのような個々のレベルではなく「医療界全体が社会全体に対してインフォームド・コンセントをする」という大きなレベルで考え直し、いっそ義務教育レベルから医学を学ぶようにしたらどうなのだろう。

僕自身、日頃からそんなことを考えていた時に、昨日福島での帝王切開によって死亡してしまった娘の父親が起した裁判の結果が報じられた。

報道のトーンは、「医師を守る」という流れの中にあるように感じられたし、この逮捕と裁判とによって「産科医が減った」とか、今日の医師不足や医療界の混乱を招いたという文脈が形成されていたように思う。

僕は、おそらくあの父親の真意もそうだと思うが、事故を起こしてしまった病院を含む医療界全体の風土的な「仕組み」を明らかにするべきではないかと思う。

仕組みが患者を死なせ、若い医師を追い詰めているのではないだろうか。

以下は、知人が送ってくれたそのお父さんの会見の内容と、行政に送付したという要望書だ。

無念の思いと、大きな力の前で立ち尽くす人間の静かな怒りがある。

 

【1.ご遺族の記者会見での言葉と配布した文章】

この会見にあたり、報道関係者の皆様には、下記の点についてご理解とご協力を
お願いいたします。
 1.なにぶん不慣れなことをお許しください。
 2.家族のプライバシーに関するご質問はご遠慮ください。
 3.失言があるかもしれませんが、報道する際には配慮をお願いいたします。
 4.被告側を刺激しない報道をお願いいたします。
 5.遺族側コメントは、私、渡辺好男以外は匿名でお願いいたします。

 本日の判決は、被害者の父としては、残念な結果と受け止めるとともに、今後
の医療界に不安を感じざるをえません。

 2007年1月26日の初公判から、「真実の言葉を聞きたい」との一心で、裁
判の傍聴を続けてきました。警察・検察が捜査して、裁判になったおかげで、初
めて知ったことがたくさんありました。

長谷観音こころの学校
 

 ●渡辺一枝 講演会「私のチベット紀行」
  チベットの美しい自然、人々、文化、そして真実。  
 ●期日 9月15日(月・祝) 
 ●時間 午後2時より(会場は午後1時) 
 ●場所 長谷寺(長野市篠ノ井塩崎878)026-292-2102 
 ●会費 志納 
 ●同時開催 渡辺一枝写真展 

 ● 主催 長谷寺南無の会 
 ●協力 チベットの風  

 ◆プロフィール わたなべいちえ一九四五年、ハルビン生まれ。八九年に十八年間の保母生活に終止符をうち作家活動に入る。チベット、中国、モンゴルへ旅を続けている。著書に『時計のない保育園』(集英社文庫)、『チベットを馬で行く』(文春文庫)、『わたしのチベット紀行』(集英社文庫)、『風の馬 ルンタ』(本の雑誌社)など多数。『マガジン9条』発起人の一人。

渡辺一枝.pdf
 

2008年9月

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