住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

法の雨

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 暑い日が続いています。  
 
 信州さらしなの辺りは雨らしい雨もなく、日照りです。  

 総代さんと話していたら、畑の井戸が枯れたそうです。  

 爽やかな新緑の青空は本当に美しいです。  

 気持ちも晴れ晴れとしてまいります。

  DSC_2017.JPG  でも、こんなに晴ればかりになると、さすがに不安なりますね。  

 法雨、という言葉があります。  

 仏さま、観音さまの法(のり)の雨、慈しみの雨。  

 観音経にはこんな経文もあります。  


 澍甘露法雨 滅除煩悩焔   

 観音さまの慈悲は甘露の法雨となって雨ふりそぞき   

 私たちの燃え盛る煩悩の火焔を滅して除いてしまう  



 お経が、これほどに観音さまの慈悲を雨の喩えをもって示すほど  

 私たちの祖先は干天を恐れ  

 乾くということがもたらす悲惨さを知っていたのでしょう。  

 長谷観音には江戸時代の初めからとも、  

 もっともっと遥か昔からとも伝えられる  

 雨乞いの祭りが伝承され  

 地域の皆さんとともに守り伝えています。  

 今は、心から観音さまに文字通り風雨順次とお祈りしましょう。  

 大地の渇きを潤したまえ。  

 南無観世音菩薩    

イエス=キリストの愛

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上田市の短大で数年前から宗教についてのお話をさせていただいています。

 お釈迦さまのお話をしたり、お経の言葉を取り上げて考えてもらったりします。

 今日は、キリスト教について、少しお話をしました。

 といっても、神父さんのようにしっかりと聖書のお話が出来るわけではありません。

 だから、一般によく知られているイエスの言葉を取り上げて、一緒に考えます。

 「人はパンのみによって生きるにあらず」

 「あなたの敵を愛しなさい」

 そんな言葉です。

 「敵を愛するなんて、凄い!普通じゃない」と、学生さんが言います。

 確かに、本当に凄い。普通じゃない。

 しかしふと思い当たる。観音経にも同じようなことが書いてある。

 「恐ろしい戦いの中にあっても 観音の力を念ずれば 諸々の怨みは消えていく」

 それは、敵対関係、という関係性、敵か味方か、あるいは勝つか負けるか、あるいは奪い奪われ。

 そのような敵対的な自他の関係性を、イエスは愛によって、観音さまは「慈悲」によって変えてしまう。

 興味深いのは、イエス=キリストが愛を説き、観音さまが信仰されるようになった時期だ。

 いずれも2000年前頃という説がある。

 洋の東西で、同時期に、人間の関係性を愛・慈悲によって変えようとする宗教運動があったということ。

 2000年前、何かがシンクロして、人類の中に意識化された。

 と、そんなようなことを、学生さんとお話しながら、思った。

 
 

    

静かに座るひと時を

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430日 晴れ 気持ちのよい新緑の日

 

4月はやはりバタバタとしていて、この「住職日記」もなかなか更新できません。よく「忙しいという字は、『心』が『亡ぶ』と書く」といわれますが、何やかにやと寺のことや諸々と頂いているお役目の会議などをしているうちに、あっという間に月末です。なんだか、「心ここにあらず」で、こんなふうに日々が過ぎていくのが少し怖いですね。

皆さんは、この4月をいかがお過ごしでしたか?

私は、坊さんの修行としてはもちろんですが、こういう落ち着かないときには、心のメンテナンスのつもりで、夜のひと時座るようにしています。

座る、そう、座禅、瞑想、ですね。

もっとも、こんなときは、心身のリラックスも願うところなので、本格的に実修するというより、呼吸法を中心に「静かに座る」という感じですね。

ですから、部屋の明かりをほの暗くして、お香を焚き、静かな音楽も流します。私のお気に入りは、リラクゼーションやメディテーション用に作曲されているものですが、夜のひと時の静座の間、『ここに在らずの心』が戻ってくるような、そんな気持ちがします。


みなさんも、夜眠る前などに、5分だけでも、心身をほどいて、静かに座るお時間を持ってみてはいかがですか?

 

深い呼吸と静座。

何も足さない、何も引かない。

そんなCMが昔ありましたね。

焦りやイライラ、忙しいと、そんな気持ちがたまってきます。

そんなマイナスの気持ちだけではなくて、穏やかで柔らかな気持ちも、自分の中に持っていたいですね。

眠る前、一日の体の疲れをとるときに、深い呼吸と静座で、イライラや心配だけで眠る夜とは違う、少しやさしい眠りが訪れるかもしれません。

 

今夜から、そんなお時間をお持ちになってはいかがですか。

 

住職より

合掌

観音の大悲の桜咲きにけり

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4月16日 晴れ 桜満開ちょっと前 

長谷寺の桜もいよいよ見頃を迎えています。

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18日の春まつりは雨の予報ですが、きっと一週間くらいは楽しませてくれると思いますので、お出かけ下さい。

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観音の大悲の桜咲きにけり      子規

 

正岡子規の句です。

観音さまの寺の桜が咲いたよ、ということですが、「大悲」という言葉があることで、この句はとても味わい深くなりますね。

大悲とは、観音さまの心「大いなる思いやり」ということで、さかのぼれば「一緒に泣く」「共に震える」という意味があるそうです。この一緒に悲しむという心が、観音さまの『本心』でありその救いの力の働きそのものなのですね。

仏教では、この「悲」という働きが、他者の悲しみを癒し、傷ついた心を再生させると考えます。とりわけ大切なのは、悲しんでいる人本人が、その同悲の実践によって自ら立ち直っていくと考えるところです。誰かの思いやりを受けるだけでなく、他者への思いやりの発動こそが、自身の悲しみを癒していくのですね。

そんなことを踏まえて子規の句を読み直してみましょう。

子規の悲しみを桜の花が慰める時、子規は、そこに大悲つまり観音さまの働きを感じていたのではないでしょうか。観音さまは、その姿を無限に変化させて人々を救ってくださいますが、誰かがあるいは何かが私を癒し慰める時、その癒しの場には観音さまがお出でになるのだと思います。桜を見上げて慰められている子規の前に、桜という観音さまが現れているのです。

長谷寺には、たくさんの桜はありませんが、一本一本に観音さまの働きがやどり、皆さまをお待ちしております。

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住職より

合掌

410日 晴れ 気持ちの良い日

第2回 ながのご縁を 長谷寺でご縁を

昨年初めて開催されてとっても好評だった「長野ご縁を 長谷寺でご縁」が、また開催されることになりました!

真剣に人生のパートナーとの出会いを求め、ご結婚を考えている善男善女の皆様。長谷のお観音さまは、古来「良縁成就」の縁結びのご利益もあらたかな観音さまです。


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 チラシ表


また、運営スタッフがおもてなしの心で皆さまをお迎えし、お寺ならではの空間と、お祈り体験(護摩祈祷)などで、皆さまの大切な出会いの時間を応援、お手伝いさせて頂きます。

先ずは、こちらの専用サイトをチェック!

第2回 ながのご縁を~長谷寺でご縁を


お申し込みもそちらからとなっておりますので、ぜひどうぞ!


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チラシ裏

住職より

 

※4/10 13時現在で男性・女性ともに定員になりました。

合掌

(住職記)

 

今日はお釈迦さまの誕生日

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48日 花まつり お釈迦さまの誕生日

 

今日は「花つまり」お釈迦さまの誕生日(降誕会)。

お釈迦さまは、今から、2500年ほど前に、インドの北、今のネパールのあたりにありました釈迦国という小さな国の王子としてお生まれになりました。

ルンビニーの花園で、お母さまの右脇からお生まれになるや直ちに北に向かって七歩あゆんで、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。王子は、シッダールタ、全てを叶えるもの、と名づけられました。


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 (画・牧宥恵)


そして、健やかな成長の中で、シッダールタ王子は、深く人間の生老病死の「苦」を見つめ、その苦しみが永遠に輪廻する世界からの真の解放(解脱)の道を求めて、29歳の時、家族も地位も財産も捨て、ひとり出家されたのでございます。

それから、髪をそり、ボロをまとい、真理をたずね、師を求め、命がけの苦行をし、かつて誰もしたことのなかほどの断食をきわめて6年の間ひたすらに真理への道を求めて参りますが、いずれの道にもシッダールタは満足できず、それらを離れ、それらを超えて、ひとり心身を調え、かの菩提樹のもとで深い瞑想に入られます。

 

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(菩提樹)


そして長い瞑想の末、目覚めを妨げる悪魔マーラーを退けて、シッダールタは12月8日の朝、明星の輝くころ、悟りを開き、ブッダ=目覚めた人となったのでございます。

以来、80歳でクシナガラの沙羅の林で入滅されるまで、自ら目覚めた解脱への道を、人に応じ、苦に応じ、病に応じて説き示し、多くの人が弟子となり、多くの人が慰められ、多くの人が帰依し、その法は、時を超え、国も民族も越えて、今日に伝えられています。

 

どうか、多くの皆さまに、お釈迦さまとのご縁がありますように。

その善き教えと、皆さまが出会われますように。

この世に、お釈迦さまの教えが広まり、長く伝えられていきますように。



 

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

 

合掌

(住職記)

すきなことば

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46日 晴れ 春らしくなってきました

 

今日は、長谷寺とも縁のある詩人の故・山尾三省さんの詩から、私の大好きなものをひとつご紹介します。


ことば

        山尾三省

 

あなたはどんなことばがすきですか

海ということば

森ということば

いのちということばが

すきですか

それとも

平和ということば

やすらぎということばが

すきですか

それとも

争いということば

憎しみということば

むかつくということばが

すきですか

 

それともまた

しらけるということば

切れるということばが

すきですか

 

私は今

いのちということばと

やすらぎということばが

とてもすきです

 

いのちということばには

わたくしの光があります

安らぎということばには

わたくしの涙があります

 

あなたはあなたで

わたくしはわたくしで

もろともに

ほんとうに心から好きなことばをみつけて

そのことばを大切にし

そのことばを生きていくのが

人間であり

人間社会であると

わたくしは思います

 

いのち

やすらぎ

 

あなたはどんなことばがすきですか

*           *              *              *

 

長谷寺は仏教の中でも真言宗の教えを伝えています。

真言というのは、字の通りに「まことの言葉」ですが、それを教義として宗教哲学的に理解し体解するのは容易なことではありませんね。

仏の道は、悟りや救いの道として人類の宝である一方で、良寛さん「釈迦といういたずら者が世に出でて世間の人を惑わするかな」という歌があるくらいですから、その『難しさ』というのが立ちはだかって、私たちの意識を遠ざけてしまいますね。

この三省さんの詩は、実は、そういう難しく感じられる仏の道を、分かりやすく語ったものでもあります。

「ほんとうに心から好きなことばをみつけて、そのことばを大切にし、そのことばを生きていく」こと。それが、真言宗という、まことの言葉を生きていくということに通じていくのですね。

愛とか、思いやりとか、感謝とか、誰でも大切にして生きていきたい言葉ってありますよね。モットーとか、座右の銘とか、いろいろといい方はありますが、本当に真心から日々大切にして生きていく言葉。自分の人生を、その言葉とともに歩んで行けるような言葉と出会えたら、それはなんて素晴らしいのでしょう。

みなさんは、どんな言葉がお好きですか?

時々、静かに見つめなおしてみてはいかがでしょうか。

合掌

(住職記)

住まいを看取る仕事

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3月30日 雷乃発声 晴れ 春を感じる


本日は、空き家となるお宅のお仏壇のお魂抜きのお参りをしました。

事情で家をたたむことになる方が増えている昨今、そんな住宅の片付けをしている友人夫婦に依頼され、時々、お仏壇や神棚の魂抜き(発遣)の法要をします。

長い間、そこに住んだ人が、先祖をまつり、たくさん拝んだ仏壇に、最後のお参りをします。だいたい、その時、その家に暮らした人はいません。亡くなってしまっているか、施設や病院におられます。ですので、この友人が、その人やその家族に依頼されて、あるいは自分で施主となって、この小さな法要を営んでくれるのです。


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遠く離れていても

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3月23日 曇り 晴れ 

 

実際に会ったことも少ないし、じっくり話したこともあまりないのに、気持ちが通い合う遠方に住む友人がいて、SNSでやり取りをしている時、ふと弘法大師の言葉を思い出しました。

 

古人は面談を尊ばず。

尊ぶところは道を同じくするに在るのみ。


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弘法大師空海像 京都智積院蔵


その心は、「昔の人というものは、顔を合わせて話すことよりも、離れていても、志を同じくして生きていることを尊んだものだ」という感じですね。


死別のレッスンとしての涅槃会

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3月15日 涅槃会(やしょうま)晴れ  

 

信州では月おくれとなる本日、長谷寺におきましても、お釈迦さまの涅槃会が営まれました。

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午前と午後、あわせて150人ほどのお参りを頂いて、皆さんとともにお釈迦さまへの報恩と追慕のお祈りをしました。

 

涅槃会は、その遺法の末世の弟子たる私どもが、出家も在家もともどもに、お釈迦さまへの報恩の誠をささげる法会です。しかしそれだけではありません。


月がきれいな夜には

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3月12日 晴れ  

 

月の光でしか見えない世界がある。

 

昔、何かの本の中で出会った言葉です。

とても印象に残り、以来、私は月を見上げる人になりました。


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お坊さんの修行に入り、真言宗の瞑想に「月輪観(がちりんかん)」という、月の瞑想があることを知り、それは素敵だな、と思いました。満月を想い、その満ち欠けを想い、闇を照らす性質や、その清浄な美しさを想い、その清らかで汚れなく、自在独立の姿に、悟りへの想い、菩提心を重ねてゆく瞑想です。

 

思えば、長谷寺のある信州さらしなは月の都、と言われてきました。

更級の月、姨捨の月は、西行、世阿弥、芭蕉、一茶という日本の詩歌や芸能の巨人たちが憧れた特別の場所でしたが、それは、万葉の昔から、この更級という土地が格別に月の美しい場所であるからにほかなりませんね。

 

今日は美しい満月でした。

少し雲がかかり、やわらかな光が美しくもあやしい月でした。

その光が照らす世界もまた、昼間の姿は違う姿となって、私たちの目に映ります。

 

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こころが静まってくるようでもあり、ざわめくようでもある、満月の夜。

暦においては、月と共に生きてきた歴史の方が、はるかに長い人類の歴史を思うと、瞑想とまではいかなくても、もっと月を見上げ、月の光でしか見えない世界を感じる時間を大切にしていきたいものですね。

 

合掌

(住職記)

いのちのちかい

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3月11日 晴れ 

 

いのる、ということ。

 

日本語は、その語源をさかのぼると、私たちの祖先の心を今に伝えています。

「いのる」という言葉<やまと言葉>は、「い」と「のり」に別れるそうです。

「い」は、息とか、息吹にもあるように「いのち」を意味する言葉。

「のり」、天皇陛下の「みことのり(詔)」とか、神主さんの「のりと(祝詞)」にみられるように、うそ偽りのない言葉、神仏の前での誓いの言葉、というような意味を持つ言葉だそうです。

 

すると、「いのり」とは、「いのちの誓い」という意味になります。

 

つまり、私たち日本人の祖先は、カミ(神)や死者の魂、祖先の霊の前で、「いのちの選手宣誓」をしていたわけですね。

 

間もなく春の甲子園大会。高校球児の精一杯のプレーを見ることができます。

あの開会式の選手宣誓では、どんなことを誓いますか?

「宣誓、われわれは、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、最後まで全力を尽くして戦うことを誓います」

だいたい、こんな感じですね。

では「いのちの選手宣誓」としてのいのりでは?

 

「せいいっぱい、生きることを誓います!」

そう、誓っているのではないでしょうか。

それが、日本人にとっての、祈り、なのですね。


神仏の前で、祖先の前で、祈るということは、一生懸命、ベストを尽くして、与えられた場所で、限りある命を生きてまいります。

そう誓うこと、それが、いのり。

いのちの祝詞、いのちの誓い。

 

今日は、東日本大震災の七回忌となる祥月命日でした。

幾万の尊い命が失われました。

その犠牲となった一人ひとりの方のみ霊の安らかなることを、祈る私たち。


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(田老町にて)


それは、犠牲となった方々のみ霊に誓うことなのですね。


「私たちは、せいいっぱい、生きてまいります」と。

 

合掌

(住職記)

天気予報好きDNA

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3月7日 曇りのち雪 時おり吹雪く


亡くなった母親は、なぜかテレビの天気予報が好きでした。

朝、昼、そして晩と、主にNHKニュースの後半にある天気予報をチェックしていました。

 

そして冬なら「ああ、東京は明日寒いわね」とか「あらやだ、長野は本州で一番寒いわよ」とつぶやき、夏なら「見て見て、東京38度ですってよ」とか「まあ、長野でも35度なんて、いやねぇ」とぼやくのです。

 

東京の天気なんて、長野に住んでいるのだかどうでも良さそうなものですが、どういうわけか東京の天気をチェックしてはつぶやいたりぼやいたり。もしかしたら、離れて暮らす仲良しの姉妹たちが東京方面にいたからかもしれませんが、そうやって毎日朝昼晩、天気予報をチェックしていました。

 

思えば、天気予報も細かくなりました。

昔は、かなり大雑把な天気図で、担当の方も、「私の言っていることはあくまで予報ですから」というどこか弱気な感じが漂っていましたが、最近は違いますね。

 

母親の影響か、私も天気予報をしっかり見ています。

とりわけ才色兼備な女性気象予報士が自信満々に伝えているのを楽しみにしているわけですが、実は美しい気象予報士以上に、NHKの週末だけ登場するおじさん予報士の南利幸さんのファンなのです。あの駄じゃれ、おやじギャグがたまりません。なにか、おれも頑張ろう、という気になります。南さんは、地方の一寺院の住職を励ますつもりなど毛頭ないと思いますが、どういうわけか、ほのぼのとして、頑張ろうという気持ちになります。全国には、南さんのささやかな駄じゃれを楽しみにしている人がたくさんいると思います。今後とも、なにげない感じの、ダジャレで私たちをほのぼのと元気にしてください。


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ダジャレを飛ばす気象予報士 南利幸氏」より

私は、母のDNAのお陰で天気予報好きではありますが、予報そのものより、南さんのダジャレやお天気キャスターさんたち手を変え品を変えて気象の魅力を伝えるアイディアが楽しみです。

 

ところで今日の天気予報はと言えば、またまたピタリと当たり、午後から雪になり、夕方を過ぎてからだいぶ降っています。こんなに当たってしまうのも、なんだかつまらない気もしますね。「あ~した天気になぁれ」と下駄でお天気占いをしていた方が、天地自然と気持ちが通っているような気がします。

 

(住職記)

地獄コール

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3月6日 蟄虫啓戸 うす曇り 穏やか

  

私は、小学校の読み聞かせをしています。

毎週月曜日、「今日はどんな本を読もうかな」と、子供たちの顔を思い浮かべながら、本を選ぶ楽しみがあります。

 

もっとも、私の場合、子供たちは私の職業を知っているせいか(村のお寺の和尚なので)、決まった傾向の本を期待しています。

 

それは「地獄」に関するもの(笑)

 

名著『じごくのそうべい』をはじめ、最近は紙芝居の『小僧さんの地獄めぐり』など。お寺の地獄図を持っていったこともあります。

「こんなのでもいいですか?」と学校の先生に尋ねました。

「ぜひぜひおねがいします」とのこと。

 

 

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子供たちはじごくが大好き(笑)

ある時は、違う本を持っていったところ「え~地獄の話じゃないの~つまんな~い」「地獄がいい!」「ぼくも~」「地獄っ地獄っ」「じーごーくー」と地獄コール。

 

娑婆からの地獄コールに、閻魔大王も苦笑いのことと拝察します。合掌。

 

それならば、と期待に応えて、大いに気合を入れて「小僧さんの地獄めぐり」を読んだところ、げんなりしてしまう子もありました(汗)。


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この紙芝居、絵が素晴らしいので、想像力や感受性が豊かな子には、インパクトが強すぎるかも。どうか悪い夢を見ませんように。

 

この紙芝居、ひろく現代っ子(老若男女)の皆様に、強くお勧めします。

おじいさん、おばあさんは、お孫さんにプレゼントしましょう。

さし上げるだけではだめですよ。

必ず、気合を入れて、読みましょう。

 

読みながら、きっと思うはず。

閻魔さまが、ずっと見てたのかな。。。と。

わたしは、だいじょうぶだろうか。。。と。

 

お釈迦さまは仰います。

悪いことをせず、善く生きて、こころを清らかにしよう。これが仏の教えである。

 

閻魔さまが、ジロリとご覧になっています。

 

(住職記)

3月5日 啓蟄 晴れのち曇り

 

春は卒業の季節。

昨日は息子の高校の卒業式に参加し、しみじみ。

私の母校に通った息子は高校生活を大満喫し、部活動に、生徒会活動に、そして学業にと、正直、私の息子とは思えないほど真面目に、熱心に、そして楽しく取り組んでいた。

 

そんな息子たち卒業生たちを見つめ、30年以上も前に、自分自身もこの場所から巣立ったのだと思うと、時の流れの矢の如きに、やや途方に暮れる。

 

建物も、制服も、多くが当時とは変わってしまった母校ではあるが、校庭や新しい校舎の中庭の木陰などには、昔と変わらない姿があった。不思議なことに、日頃は全く思い出すことのないような30年以上も前の出来事や親しかった友達の顔が次々と蘇ってきた。

そして、なかなか会えなくなってしまった懐かしい顔が蘇る。

二度と会えなくなったしまった人も、ある。

 

卒業式は、若者にとっては、人生で初めての別れ。

愛別離苦の悲しみを知るレッスン、ともいえる。

そのせいか、卒業にまつわる名曲も多い。

誰もが、この別れの季節を彩る思い出の曲があるのではないかな。

最近は、学校で歌われる合唱曲にも感動的なものが少なくない。

 

でも、このような学校での別れの場で歌われるのは、世代を超えて歌い継がれる歌が良いように思う。やはり定番はこれでしょう。

 


 

 

ふりかえれば、私たちは、大切な別れの場面で、「ちゃんと別れる」ということが案外とできていないものですね。亡くなった作詞家の阿久悠さんはこう言っています。

 

「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」

 

しかし、阿久悠さんは最近の日本人は、ちゃんと別れることが出来なくなってきている、と危惧を抱いていたそうです。

皆さんはいかがですか?

卒業式は、そんな「さよなら史」を刻んでゆく大事な一歩ですね。 


(住職記)

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