住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

お寺というところは、祈り、学び、気づき、出会いがある場所であってほしいといつも思っています。

 

そのため、祈りの法要だけでなく、法話の会や講演会、そしていろんな楽しいイベントも開かれます。

 

でも、そういう癒しや安らぎ、喜びを分かち合う場所であると同じく、あるいはそれらに増して、お寺は老病死について、考える場所です。

 

お釈迦さまは、この老病死に生まれ生きることを加えた生老病死を『苦』ととらえて、その苦しみを見つめ、その原因を尋ね、それを乗り越えていく道を求めた方でした。


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そんなお釈迦さまの『道』を伝えるのがお寺ですから、いくら「地域に開かれた明るいお寺」を標榜しても、お寺である以上、陰気になってしまう話、出来れば避けたい話、楽しくない話しがたっぷり詰まっているといってもいいでしょう。

 

そんなんじゃ、行くたびに気が滅入るわけですが、私たちの人生には光と影があり、光り輝く青春時代があれば、やがて老いて死んでいくという、人生の夕暮れから夜への過ごし方を学ぶ場も必要なのですね。

 

そして、身近に、そういう場所があるということは、実はとても素晴らしいことなのではないでしょうか。誰かの老い、誰かの死、という三人称のお話として考えるのではなく、私の老い、私の死、という一人称、あるいは自分にとってかけがえのない家族や伴侶という「あなた」の老い、あなたの死、という二人称の老いや死として向き合い、思いを深めたり、また分かち合ったりする場所。それは、必ずしも楽しいことではないかもしれません。でも、パックツアーで名所観光だけした旅より、じっくりと旅先の街の裏道を歩いてその土地を味わう旅のように、人生の味わいは深まるように思います。

 

その味わいが深まるほど、楽しさや喜びを、身の回りにたくさん見出せるようになるのではないでしょうか。

 

これからは、そんな気づきや語り合いの場も、少しずつお寺に作っていけたらな、と願っています。

長谷寺秋分祭には、いろんな「表現」の花が咲きます。 


歌、踊り、絵画、それらアートだけではなく、マルシェには食べ物、飲み物、それから手作りの雑貨や小物たち。それぞれ表現する人、作る人の、真心が花咲いています。 

そんな中で、素敵な身心ケアのセルフマッサージのワークショップが開かれました。

住職も参加し、短時間でしたけれど、実際に自分の体を触りながら、いろんなことに気づかされました。

フェイスブックの記事ですが、よろしければご覧ください。


観音@ハツセ考

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風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。

最初の種が落ちたのはどこだったのか。

あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。


果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。


机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。

いつかある時、種は机から転がり落ち、壁から離れて、このジメジメとした大地に、めまぐるしい気候によって稀に見るほど発達した自然観を心底に横たえる日本人の大地に、落ちたのだ。


僕は、ひとつ、おぼろげにその「時」の様子を思うのである。


種は、観音と呼ばれるものであり、大地は、ハツセと呼ばれる土地であった。

机の上では、観音はまだ千変万化を誇る外国の神に過ぎなかった。

壁飾りでは、観音はまだ金色がまぶしいだけの意味不明な異形な人形に過ぎなかった。


その種が、ハツセにこぼれ落ちた時、種はそこが自分の居場所であるかのように根を張り、大きく大きく育っていくことになった。そしてあっという間に、その観音という巨木は、ハツセという大地をその大きな根で覆い隠してしまった。


やがて人は、そこに聳える観音の巨躯に目を奪われて、そのあたかも何万年も前からそこに鎮座しているような堂々たる存在が、どこに立っているのか忘れてしまった。そこに立っているからこそ、小さな種は巨樹になりえたというのに...。

 

ハツセは、泊瀬。そして初瀬。


清らかな谷川の奥へとさかのぼれば、やがて狭まる谷あいのその奥に、水の流れが流れ来たっては泊まり、また流れはじめる「瀬」がある。

その瀬において、水の終わりと始まりがひとところに融け合う。

死と生とが、そこにひとつに融けあうと、そう古代人が思うのに時間はかからなかったろう。

してそのような場所は、再生の地、魂の浄化の聖地となってゆく。

終わりと始まりがひとところに交じり合う両義的な場、そこに死もありまた生もある幽明のあわい。

ハツセを表記するに、思い余った智恵ある人が、その地を俯瞰して「長谷」と書いたものか。


問題は、この瀬に落ちた観音という種であった。


このハツセという聖地が、魂の浄化の場としてはるかな古代から人々が重視していたことは想像できる。

そして、この列島に運ばれてきた観音という種は、あちこちに蒔かれながらもこのハツセにおいてもっとも大きくもっとも深く根を張った。

それはなぜか。

注目すべきは、多くの伝説が、この土地が「もともと観音の聖地であった」と告げていることである。種は、実はもともとそこにあったのだが、発芽せず、根も張らなかった、というのだ。


僕はこう考えている。

ハツセという聖地において、魂は死に、浄化され、新たな生命をいただいて生まれる。

清められ、再生する魂。

ハツセにおいて、古代日本人は、淡々と、ただ淡々とそのような場の力に身を任せて、祈り続けていたのではないだろうか。

しかし、ある時、このハツセという場において何が起こっているか、再生や浄化の時、私たちの中で何が起こっているか、そのような宗教的な意識の変容の言語化が問題になったのだと思う。

誰かが問題にしたというより、その場の力や、その場で体験されることを意識化したり、言語化したりすることが、時代の成り行きの中で必然的に、しかも強力に要請されてきたのではなかったか。


つまり、人間の魂は、どのような力によって浄化されるのか。

どんな働きによって再生するのか。

再生には、どんな人間性が必要なのか。

あるいは、何が欠落することによって、我々は再生や浄化を必要とするのか...。


このような問いに、ハツセの川を流れ下る水は何も答えない。

水は答えず、ただ浄化し、癒し、再生するのだ。

魂を再生するのは、いったい何なのだろうか。



太陽信仰の聖地としての長谷寺

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長谷寺の観音堂は東を向いて
建てられています
春と秋の彼岸、
春分、秋分の季節には、真正面に太陽が昇ります。


ちょうど、
東の彼方にそびえる
根子岳と四阿山が
双子山の如くに
美しく並び、
その間から
彼岸の太陽が姿を現します。
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春分、秋分という
昼夜のバランスが調和する
神秘の時
私たちの祖先は
長谷山の頂きに立って
この朝の太陽を拝んだことでしょう。

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いつ、誰が、気づいたのか。
それは語り継がれ、今にいたります。
ぜひ一度
この真東の
ふたつの山の間から昇る
日の出をお参りください。

舞踏と現代美術のご案内

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IKI - 赤いカルマ

SU-EN × 柿崎順一 パフォーマンスインスタレーション


日時825日(土) 午後2時開演

信濃長谷寺(長野県長野市篠ノ井塩崎878

◆主催:柿崎順一花事務所、スエン舞踏カンパニー/Mon no Kai


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スウェーデンの振付師であり舞踏家のスエンは10年間に渡り長谷寺に舞う夢を見てきました。美術に柿崎順一を迎え『赤いカルマ』をテーマに、今、晩夏の長谷寺に舞います。

 

出演者プロフィール

 

SU-EN

スウェーデンの振付師、舞踏家であるスエンは、芸術活動において身体と世界の様々な問題を追求しています。日本の舞踏に根差し、概念芸術とパフォーマンスアートの影響を受け、現代の身体の緊急かつ極端な状況を探求する方向に向けられています。

 

柿崎順一

現代美術家。ビジュアルアーティスト、フラワーアーティスト。基礎造形と園芸学を学び、花や木などの植物や土や石など自然素材を主材または主題にランドアート・環境アート・メディアアートなどの作品を制作、写真・ビデオ等を媒体に発表している。


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たましいのめぐりあい

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お盆が近づくと「たましい」について思うことがありますね。


 

仏師の友人がいます。


新しい仏像を造るより、むしろ修復をもっぱらとしているのですが、彼がこんな話しをしてくれました。


「仏師というのは、自分で造り上げた仏像を何百年後かに生まれ変わって、また仏師になって自分で修復するんです」


彼は千年も前に造られてすっかり傷んだ仏像の前にたたずんで、長い年月を経てきたお像の指先や衣紋、背中の曲線をひとつひとつじっと眺めながら、そう言うのです。


茶目っ気のある彼のことだから、そんな言葉を真に受けてはいけないぞとその表情を見てみれば、お像のお顔に向ける眼差しは、遥かに傷みも風化もない頃の姿を懐かしんでいるかのように思われ、そばにいる私もその「千年の邂逅」に立ち会って厳粛な思いに打たれるのでした。


弘法大師空海の師である恵果阿闍梨は、真言密教の全てを弟子である空海に授け終えてこう言われます。


「お前と私は、遠い遠い過去から、お互いに師となり弟子となってこの尊い仏法を伝えてきた。この度は私が伝えたが、次は私が弟子となって法を授かろう」と。


この言葉を受けた弘法大師は、後に懐かしい師を偲び、悟りを得ることよりも、この法と遭えたこと、その法を伝える師とめぐり合えた深い喜びを語っています。


人身は受け難く、仏法は遭い難し。


仏師は、目の前の仏像との縁を、魂の縁として深く受け止め、師と弟子は、そのめぐり合いの不思議を、永い永い魂の絆、法の契りとして受け止めていく。


仏師でもなく、空海でもない私たちですが、同じく命を授かってかけがえのない人生を生きているのですから、この世の旅路を、この一瞬一瞬を少しでも有意義にしたいものです。


ならば仏師や弘法大師の思いをヒントに、魂の縁に思いをはせてみてはいかがでしょう。


目の前の何気ない風景が、ただ漫然と流れていくのをやめて、何事かを語りかけてくるように感じられ、家族や友人と過ごす何気ないひと時がいとおしく感じられてくるのではないでしょうか。


奈良 明日香 岡本寺 ハガキ説法に寄稿

すきなお花は?

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降りつづく雨が朝方少しやんだ。

すると、妻のお母さんが庭に出て紫陽花を一輪、摘んできた。

お母さんは80歳を過ぎ、体も弱ってきたけれど、昔は学校の先生でした。

先生だけあって、ピリッとした厳しいところがある。

子どものころ厳しかった先生が、卒業後に会うと、とても優しい人であることを知って驚くことがある。

妻のお母さんもそんな感じで、ピリッとしているけれど、実は優しい。

優しさを上図に家族や他者に表現できる人もあれば、そうでない人もある。

今日のように優しさが求められる時代は、「実は優しい」人にとっては、生きにくい時代かもしれない。

実は意地悪だけど、優しさを表現するのは上手、という人もある。

不器用な人の優しさは、高倉健が生きていた頃より、もっと伝わりにくくなっている気がする。

雨の合間に、少し痛む足をかばいながら外に出たお母さんは、青い紫陽花を一輪摘んできた。

そして、テーブルの片隅に飾ってくれた。

長雨で気分も沈み、部屋もいささかどんよりしていたのに、ふっと明るくなってようだ。

優しさが、部屋に広がった。

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あまりじっくり語り合うこともなかったけれど、最近は一緒に過ごすことが増え、思い出話をしたりする。

今日は、紫陽花の花を摘んできたお母さんに尋ねてみた。

「おかあさん、好きなお花は何ですか?」

すると、いつもどちらかというとピリッとした表情の顔がぱっと明るくなった。

「私はもうなんといっても紫陽花のお花が大好きよ」。

「どうしてですか?」

「だって学校の子どもたちみたいでしょう。小さなお花が皆でひとつに並んで咲いているの」

「ほんとうですね~」

「ほら、子どもたちが合唱しているみたいでしょう」


そう言われてみると、確かにその通りだ。

雨の中、傘を指して庭に出てみた。

あちこちで、子どもたちが心ひとつに歌っている。


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人が死ぬって、初めて知った

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いい年をして、人が死ぬんだとはじめて知った青年がいた。

「おれも死ぬのか?」と人に聞いたという。

「もちろんですよ」

そう言われて、あまりのショックで家に引きこもったとか。


青年の名は、ゴータマ・シッダールタ、後のブッダ、お釈迦さまなのです。


このエピソードは、仏教徒の間でも、大切にされてきました。

でも、なんか偉大なお釈迦さまのエピソードとしては、なんか格好わるい。

本当の出来事だっとしたら、むしろ、伝記の中から削除、歴史の隠蔽、となりそうですね。

でも、お釈迦さまを慕う弟子たちも、後の時代の仏教徒たちも、この話しを伝えてきた。

隠すどころか、むしろ、大切にし、開祖の一代記の重要な場面として語り継いできました。

「おれも死ぬのか?」とビビッて、引きこもった姿を。


なぜでしょうね。


少し考えてみれば、なんとなく、分かってきます。

だって、私たちも、元気な間は、自分は死なない、と思ってませんか?

死なないと思う以前、死について、忘れてる。

または、知識として「人は死ぬ」ということを知っているとしても、「私が死ぬ」という事は考えない。

または、考えたくない、目を逸らしている。


青年シッダールタも、同じだったのかもしれませんね。

彼は、王子として、英才教育を受けていました。

最高のバラモンのもとで、インドの神話や哲学を学んでいたことでしょう。

そんな彼が、死についてまったく知らなかった、ということは考えられませんね。

生母も、彼を産んですぐに亡くなっているのですし。。。。

むしろ、知識としてはより多くのことを知っていたことでしょう。


でも、ある時まで、それは自分の人生にとって意味をもつものではなかった。

死は、いつも誰かのものであり、遠い、他人事だった。

それが、ある時、なにゆえか、死は、彼の前になまなましい人生からの問いとして現れた。


この時、死に先立って、老と病からの問いも彼の人生の扉をたたいたといいます。


私は、日頃檀家さんのお葬式の法要の導師を務めたり、法事をして故人のことを偲んだりします。

その時、遺族や親族に、それらしいことを、語ったりもします。

でも、お釈迦さまのこのエピソードは、問いかけてきます。

「おまえは、どうなの?」と。


お釈迦さまは、そのとき、王子として城の東、南、西そして北の門を順に開き、はじめに東の門で老人と出会い、ついで南の門で病人と出会い、西の門では死人(葬列)と会ったといいます。

そして、最後に北の門で出家者と会い、老病死を超えていく道を求めて出家する思いが芽生えたといいます。

あなたはいかがですか?

あなたは、老病死について、人生からの問いかけに対して、城壁を立て門を閉ざしてはいませんか?





ふるさとだより

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 時々、県外にお住まいの方に「ブログ読んでます」といわれる。

お聞きすると、もともと長野に住んでいたという人が少なくない。

ふと、ふるさとのことを思い出して、このブログをのぞくこともあるとか。

そんな方にとっては、こんなブログでも「ふるさとからのたより」かもしれませんね。


お寺の周辺は、どんな様子かといいますと。。。、

田植えが、ようやく一通り済みました。

よそに比べると田植えシーズンがとても遅いのが長谷寺のある篠ノ井塩崎。

カエルの歌声が夜になると響いています。


モモやブドウの畑が、忙しい季節を迎えました。

今年は空梅雨で、ナスやジャガイモが、「焼けてこまる」とお百姓さんたちが心配しています。


塩崎小学校は、少しずつ子どもが減って、今年の一年生はとうとう一クラスになりました。

でも「千曲野川の西に沿い♪」という校歌は今も変わりません。

その小学校の東側に「塩崎バイパス」という新しい道が出来ました。

開通にとても時間がかかりましたが、篠ノ井橋の北(庄の宮)のあたりから上町の南の松節まで。

稲荷山方面から長野方面へと、朝夕の通勤の車が塩崎を通過しますが、村の中はかなり車が減りました。

でも、村からこのバイパスへ抜ける道が少なくて狭いから、住民にとっては「ビミョー」です。

それから、今塩崎の南部には、国道18号バイパスの工事が始まっています。

なにしろ、歴史のある土地ですので、遺跡の発掘がえんえんと続いています。

私は、遺跡が好きなので楽しみですが、道路工事は一向に進みません(笑)

いつか、この国道バイパスが開通すると、何か変わるかもしれませんね~。


稲荷山駅は、最近少し工事が続いて、駅舎もきれいになり、ホームのほうも整備されました。

塩崎なのに、相変わらず「稲荷山駅」なのです(笑)

なぜ隣町の名前が、駅名に?

というのは、塩崎の方ならご存知のことでしょうね。

歴史というのは、おもしろいものです。


学校のそばにあった、ガソリンスタンドはもうだいぶ前に閉店してしまいました。

懐かしいお店も少しずつ閉店し、昔を知る人は寂しいと言います。

近々、稲荷山駅前の駐在所も「閉店」らしいです。

お巡りさんがいてくれる安心感があるのですが、残念ですね。

でも、駅のそばの中華料理のお店とか、見山にいく踏切のそばの焼き鳥屋さんとか、人気です。

私は、焼き鳥屋さんのラーメンが好きです(笑)

お寺の総代さんたちとの「会議」がここでよく開かれますよ。

消防団の皆さんとか、お神楽の皆さんとか、みんなここで「会議」を開催しています。

みんな会議がすきなんです。

会議は、長谷観音前のお寿司屋さんでもしばしば開催されているようですよ。

ここの「たまご焼き」は大将おすすめです。


長谷寺のほかに、塩崎には康楽寺さんと天用寺さんという大きなお寺がありますね。

ほかにも、欣浄寺とか浄信寺とか、覚えてますか?

さらに、長谷神社、中郷神社、上町、角間、平久保、それぞれにお宮があります。

上篠ノ井の唐根古神社とか、変わらず大きなケヤキの森です。


駅から少し東南に歩いていくと、四之宮には新しい家やアパートが増えました。

昔の風景しか知らないと、きっとびっくりするでしょう。

でも、そんなに人が増えているわけではないです。

ここもやっぱいり少子高齢化。空き家も増えてきました。

塩崎は、駅もあるし、小学校もあるし、篠ノ井の大きな病院も近いし、高速道路のインターも近いです。

だから、「住むのには良さそうだな」と感じる人は多いみたいです。

でも、市の決まりとかで、あまり住宅は増えません。

そこはちょっと残念ですね。

国道バイパスも通るのに。


また、時々、ふるさとだより、書きますね。


ではまた。




梅雨の露の中に

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梅雨、空梅雨ですが、今は梅雨。

しとしとと、雨が降り、アジサイの花が咲いて、そこにカタツムリ。

そんな風情を楽しむ今日この頃。

天から落ちてくる無数の、それこそ無量無数の雨粒。雨粒。雨粒たち。

そんな一滴も、大地に落ちれば、流れ集まります。

大地にしみこんだり木の根に吸われたり。

根に吸われたら木の中を通って、また葉から大気へ。

あるものたちは小川へ、そして大きな川へと集ってやがて再び大海へ向かいます。

そしてやがて太陽の光を浴びる大海で、ゆったりと気体となって大空へ。

冷たい風が吹いてくれば、雲に生まれて、またあるものは雨に。

雨、雨、雨となった無量無数の雫となって、またここに。


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この一滴が、そんな旅を続けているのを、じっと思い巡らしてみる。

そして、その一滴がこんなふうに、葉にとどまるのをじっと見ている。

小さな、美しい一滴の雨露。

じっと見て、その帰し方に思いをはせ、その行き方に思いをはせる。

その滴には、世界が映っている。

その滴に、この世が映っている。

すると、その映っている世界の奥にはまたまた梅雨の雨が降る。

その中に、無量無数の雨が降る。

その一滴の滴に、思いをはせる。

その滴に、また世界が映っている。

その奥に、また無量無数の雨が降る。

その一滴には、また世界が映っている。


私たちの人生が、そのどこかに映っている。


梅雨の日は、雨粒に学ぶ。

禅が伝える昔の老師さんのエピソードにはハッとさせられるものが多い。


うろ覚えだけど、こんなのがあった。

 

むかし、ある修行僧が心から尊敬する師について修行していた。

清僧として知られる憧れの師について修行することが深い喜びだった。


ある時、師のお供でお出かけをした。

川に差し掛かったが、あいにく橋はなく、渡し舟もなかった。

仕方なく浅瀬を歩いてわたろうということになった。


そこには若い女性もひとり同じように川を渡れず困っていた。

すると師が、どれ娘さんや私の背に負んぶなさい、といって若い娘を負ぶって川を渡っていった。

弟子は驚いた。


若い女性を、尊敬する師が負んぶしている姿に、戒を受け仏道を歩むものとして違和感を受けた。

なぜだろう、どうしてだろう。


ぶじに川を渡り終え、師の背から下ろされた女性も深々と頭を下げて去っていった。

 

しばらく歩いても弟子は師への疑問が尽きなかった。

やがて弟子はたまらず師に尋ねた。

老師さま、我々出家のものは戒を受け、女性に触れることは禁じられております。

しかし、師は触れたばかりか、その背に負われました。

どうしてですか?

 

すると師は答えた。

 

「なんじゃ、お前はまだ下ろしてないのか?」


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さて、みなさんは、どう思いますか?


私も、この弟子の気持ち、わかりますね~。


でも、師の自由さも、素敵ですね。


このエピソードは、折に触れ、思い出します。


思い出すような時は、何か、このエピソードに心が引っかかるのでしょうね。



住職 記



紫陽花の候

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信州さらしなにもアジサイの季節がやってきました。


この花は、雨の季節に人の心を和ませてくれますね。

 

この花の名前は、「藍色が集まったもの」である「あづさい(集真藍)」から名付けられたとか。


日本語って素敵ですね。


英名では「ハイドランジア」というそうですが、この語源も素敵です。


ギリシア語の「水の器」だそうです。


境内には、いろんな色のアジサイが咲き始めました。


どうぞ会いに来てください。



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絵解きの旅

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長谷寺の岡澤恭子は、お釈迦さまの涅槃図の絵解きをしています。

絵解きって何?

涅槃図って何?

と、いろいろ分からないかもしれませんね。

涅槃図は、お釈迦さまの最期の場面を描く絵です。

絵解きは、その絵について、お話をすることです。

つまり、お釈迦さまが亡くなっていくときの物語を、一枚の絵を通じて、語るのです。

下に、その一端をご紹介していますので、ご覧下さい。

少しずつご縁が広がり、時々、各地のお寺さまや学びの会にお声掛けいただきます。

日本全国、お声がけをいただければどこへでも参ります。

今年も北海道、富山、神奈川、そして昨日(6/17)は秋田のお寺さまにゆきました。

宗派もみんな違います。町のお寺、山のお寺、海のお寺。大きなお寺、小さなお寺。

元気な若いご住職、見るからありがたい老僧さま。和尚さまもいろいろ。

お寺の奥さまも、素敵な方がたくさん。

そして集まってこられる、檀家さまや信者さま、地域の方々。

皆さん熱心にお釈迦さまの話をお聞きになられます。

ひとりひとりに、それはそれはいろんな人生があるのでしょう。

それぞれの物語が、涅槃図の前に集って、お釈迦さまの最後のお話に耳を澄まします。

お釈迦さまの絵解きの旅です。

これからも岡澤恭子の絵解きを旅は続きます。









その中の一人

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観音経には、こんな一節があります。


「人々が、金銀財宝を求めて大海に船出したところ、にわかに黒風が吹いて船が悪鬼羅刹の国に漂着してしまった」。


この短い一節は富を求める経済活動の危うさを語っていますが、まるで、私たち日本人の戦後の歩みをたとえているようです。


我が国は、戦後、希望を持って復興の大海に船出し、必死の努力をして荒波を越えて世界でも稀な豊かさ(金銀財宝)を手に入れました。


しかし、私たちの船は、いつの間にか「もっともっと」というむさぼりの黒い風に運ばれて、今や激しい競争と厳しい格差の社会(羅刹国)に漂着してしまいました。


観音経はこう続きます。


「その時、もしもその中の一人が、南無観世音と称えるならば、その人たちはみんな羅刹の難から逃れることができる」。


観音菩薩を呼ぶとは、その本願を活動させることです。


観音菩薩の本願とは、大悲心によって衆生を救うことであり、大悲とはマハー・カルナーすなわち大いなる同悲同苦の心です。


とすれば、羅刹世界に観音様を呼ぶということは、奪い合いの世界に分かち合いの心、愛や思いやりを呼び覚ます、ということですね。


では同悲同苦を呼び覚ますとどうなるのかと言えば、観音経は「全員助かる」と断言しています。


つまり仏教は、観音の力つまり同悲同苦、愛には、奪い合いを直ちに停止させる力があると確信しているのです。


問題は、この羅刹国と化している我が国にあって、誰が「その中の一人」となるのか、なのです。


政治家ですか?


社会活動家ですか?


学校の先生ですか?


マスコミですか?


いいえ、もちろん違いますね。


観音経は強く訴えているのです、あなたこそが「その中の一人」たれ、と。


再生の聖地ハツセに学ぶ

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長谷寺の長谷はそもそもハツセという。

漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。

果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。


終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


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流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。



古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。

そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。

長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である。


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された。

これはいかなることか。

十一面は「大悲」を本願とする観音である。

大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。







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