住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

ブッダなら、どうする?

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時折手にする本の中にフランツ・メトカルフという宗教学者の『今、ブッダならどうする』という本がある。

日本の禅、主に道元禅師を学んだ人らしく、ブッダの言葉とともに禅の言葉もたくさん紹介されているが、いわゆる『仏教名言集』みたいな本と違うのは、ユーモアがあるところだ。

様々な問題に直面した場合に『ブッダならどうする』ということで、いろいろな経典などから仏教の言葉を提出してくる。

例えばこんなふうだ。

・ダイエットが気になるとき、ブッダならどうする?

・寄ってたかって他人からいじめられたとき、ブッダならどうする?

・子どもがいたずらばかりするとき、ブッダならどうする?

・酒に酔っ払ったとき、ブッダならどうする?

・何が正しくて何がまちがっているかわからないとき、ブッダならどうする?

・腹がへったとき、ブッダならどうする?

 

という具合に、とても具体的な問題を想定して、それに対する的確でまた機知に富んだブッダの言葉が紹介される。

今回久しぶりに、書棚から引っ張り出してきて何度も見たが、残念ながら今現在の私の問題に適当なブッダの言葉はないようだ。

 

素人なのにプログのデザインに手を出して「住職日記」のデザインが崩れてしまったとき、、、、、、、。

 

ブッダなら、どうする?

 

黒を基調にしたデザインがワインレッドになってしまったら、どうする?

 

どうする?

 

つまり、失敗したときに、ブッダならどうする?

ということなのだが、、、、。

 

直ちに適切な答えがなくても、、そんなふうにして「ブッダならどうする?」と思いながら暮らすのは、なかなかいいことではないだろうか。

 

 

 

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コメント(4)

幽黙 :

そりゃぁ難しい…

ほっとく…(- -)

というのがいい場合もあるんでしょうしねぇ
ブッダは死について沈黙を守られたという
逸話なんかもあるようですし
語りえぬものについては沈黙を守らねばならない

ということでは逃げられない状況が
今の世の中には多いのかなぁ

難しい…

長谷寺 :

「無記」というのは、すごいですね。

何か言いたくなるものですし、死や宇宙の始まりなどについてだって、ブッダなら何か「言葉」を示し得たでしょうけれども、そうしない。

無記という姿勢が、「世の中」に態度や意識の変更を迫るのかもしれませんね。

しかし、「ここは触っちゃいけませんよ」って、言って欲しかったなあ、、、、。

高岳 里久 :

おしゃかさんは死後の世界については語ってませんが、
在家の方にせがまれて「あるとしたら、こうなのかなあ。」
見たいなコメントを残していると、初期仏教の方々入ってますね。

しかし、
「住職日記のデザインが崩れてしまったとき。」
「黒を基調にしたデザインがワインレッドになってしまったら」

どうする?っていわれてもなあ(笑)

ブッダ「私は知りません。」
みたいなケンモホロロだったりして。
僕もかなりPCで脂汗流しているだけに
ブッダ「PCやめたら?」とかだとショックですね~(笑)

ブッダならどうする? お大師さんならどうする?
♪あなたな~ら どうするう~♪

と考えて暮らすのは、自我を度すのに最適かもしれませんね。

長谷寺 :

高岳さん

僕もですね、実はお釈迦さまはユーモアもあって関西でいう所の「つっこみ」みたいな言葉によって微笑を喚起して導いていくことをしたのではないかと思います。

余談ですが、法話も、関西弁で聞くのと「標準語」で聞くのとでは、何かしら違いがありますね。標準語といっても、歴史の浅い言語ですから、まだ仏教を咀嚼し切れていない気がします。魂に届かない感じがします。

気仙語の聖書というのが素晴らしいものでしたが、やはり「地の言葉」で語りたいものですね。

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