住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

お釈迦さまがこの世を離れた日

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一切の生きとし生けるものは、

幸福であれ、

安穏であれ、

安楽であれ。

いかなる生物生類であっても、

怯えているものでも強剛なものでも、

悉く、

長いものでも、

大きなものでも、

中くらいのものでも、

短いものでも、

微細なものでも、

粗大なものでも、

目に見えるものでも、

見えないものでも、

遠くに住むものでも、

近くに住むものでも、

すでに生まれたものでも、

これから生まれようと欲するものでも、

一切の生きとし生けるものは、

幸せであれ。

今日は、お釈迦さまの涅槃の日でした。

長谷寺では、たくさんの人が集まってくださり、お釈迦さまの涅槃図を前に「南無釈迦牟尼仏」と唱え、そしてその涅槃への旅路の物語に耳を澄ましました。

絵解きを通じて、お釈迦さまへの親愛や感謝の思いを参加者で分かち合いました。

 

そんな日でしたが、テレビのトップニュースは、チベットの暴動と鎮圧という報道でした。

日本と極めてよく似た歴史的な歩みを持ち、その精神文化においても近似したものを持ち合うチベット。

 

チベットの人たちに、真に安らぎ訪れることを祈りたいと思います。

 

今一度、お釈迦さまの言葉を記しましょう。

 

 

P1000463.JPG
 

一切の生きとし生けるものは、

幸福であれ、

安穏であれ、

安楽であれ。

いかなる生物生類であっても、

怯えているものでも強剛なものでも、

悉く、

長いものでも、

大きなものでも、

中くらいのものでも、

短いものでも、

微細なものでも、

粗大なものでも、

目に見えるものでも、

見えないものでも、

遠くに住むものでも、

近くに住むものでも、

すでに生まれたものでも、

これから生まれようと欲するものでも、

一切の生きとし生けるものは、

幸せであれ。

 

P1000464.JPG
(スッタニパータ)

 

 

 

 

 

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雨ニモマケズ :

 チベット自治区ラサでの暴動では、10人が死亡したとのこと。でも状況は、国営の新華社通信が伝えていることで、あくまでも体制側からの情報発信。実際、どんな武力鎮圧がなされているのかわかったものではない。
 中国政府は、ダライ・ラマが暴動を動かしたと決めつけている。五輪を前に、相変わらず“人権感覚のない遅れた国”であることをさらけ出している。
 チベット仏教は我々と同じ密教。無関心ではいられない。

長谷寺 :

雨ニモマケズ様

コメント有り難うございます。

チベットと日本は、仏教の伝わり方とか受容の物語が、とても似ています。そして、土着の宗教性と仏教が融合しながら、深い精神文化を築いてきた経緯も通じ合います。

そして今、どちらの国も精神的なよりどころを失っています。チベットは他国によって精神的なシンボルを国外に追われ、日本は自国の政策によって精神的なよりどころとしての宗教の働きを低下させています。

いずれも「国家」というものが、方や資源獲得や領土拡張のため、方や消費拡大と税収拡大のために、国民に対するに、人間(いのち)としての尊敬を持っていません。

これに対して、チベットでは「民衆の蜂起」という自覚的な人権蹂躙拒否の行動があり、日本では「自殺者3万人」という無意識的な現代社会拒否の行動があります。

しかし、チベット人には圧倒的な暴力が立ちはだかり、日本人には連帯につながらない孤立化が道をふさいでいます。

国外に追われた観音菩薩の化身としてのダライラマ。そして市場原理に押しつぶされそうな日本人の観音性。

両国の人間の心をつなぐのも観世音菩薩であると思っています。同悲同苦、『悲』の心の再生を通じて、できることから支えあいたいと思います。

http://www.tibethouse.jp/

雨ニモマケズ :

 お釈迦さまの言葉、いいですね。
 「一切の」、「いかなる」、「悉く」とされ、「長い」も、その反対の「短い」も、そして「中くらい」も、全てを肯定される。
 諸法実相。とかく勝手な「物差し」で物事を見がちな我々人間は、あらゆる様態に価値を認められるこのお釈迦さまの姿勢を、改めてかみしめる必要がありましょう。
 南無釈迦牟尼仏  合掌

長谷寺 :

雨ニモマケズ様

この言葉を読みますと、私たちが遠い昔にこうしてお釈迦さまに「幸福であれ」と祈られていたのだなあ、とありがたい気持ちになります。

その深い祈りは、時空を超えて生きているのだなあ、と思います。

涅槃図には、弟子や神々や諸仏や動物や昆虫や空想の動物や幽霊まで集まっているのですが、まさしくこの言葉によって祈られている一切のものが集まっているという感じです。

南無釈迦牟尼仏 合掌

高岳 里久 :

中華思想とグローバル化はイコールだと思っています。
物心両面における均一化、ありえない「個人主義」の横行、共同体の破壊。
個々の命が切り離されて、揺らめき消え入りそうになっているのが、私たち迷える子羊の姿かもしれませんね。

私は 自分の命が一番大事なことを知っている。
 だから 貴方にとって一番大切なものが
  貴方の命であることを知っている。

いきとしいけるものが 幸せでありますように。

長谷寺 :

高岳さん

コメント有り難うございます。

偉大な文化を伝え残す中国への尊敬や憧れは僕もあります。一方で、それを実現してきた富の集中の「影」にも目をやりたい。

かつて始皇帝が、全土統一の際に度量衡の統一や言語の統一ということを推進したのは、歴史的な大事業として画期的であり『偉大』だったかもしれませんが、21世紀になって必要以上な「統一」を推し進めようとするグローバリズムは無理があります。

お釈迦さまによって祈られたことが、2500年の時を経て私たちの中の慈愛心(観音性)を発動させるのであるからには、僕らも祈りに祈って未来の誰かの慈愛心を呼びさましたいものです。

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