「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
長谷観音 花便り サツキ&つつじ&牡丹②
日に日に開いていく花。境内をそぞろに歩きながら眺めるのも楽しいですが、近づいて、しげしげと眺めるのも一興。
白い牡丹。
赤い牡丹。
黄色は少し遅いから、また後日。
こちらは、つつじたち。
見ているうちに、ふと、京都の総本山智積院で修行している頃の宮坂宥勝能化(管長)さまの歌を思い出しました。
今朝のあさ群れ咲くつつじおのづから
咲きこぼれしはあはれなりけり
こうして来る年も来る年も花を咲かせる不思議さ。なんなんでしょうねえ。
季節も、花もやや違うのであるが、山尾三省さんの詩をひとつ紹介します。
◇
白木蓮
白木蓮が咲けば
わたくしも 咲く
このふしぎ
このふしぎを
あじわうためにこそ
わたくしは この世に生まれてきたのだ
二月の こよなく青い空に
白木蓮が咲けば
たしかに
たしかに わたくしも 咲いている
(山尾三省『親和力』所収)
◇
この世で、いろんな人生があるけれども、確かに得がたきは人の生というし、こうして人としての生を得たからには、花々の花開く不思議と自分が生きている不思議が響きあう時を持ちたいし、またそのような了解の中にある生であれたらと思いますね。
なぜだか、その不思議を味わう時間も場所も気持ちも、つい忘れてしまいますね。
なぜなのでしょうね。
カテゴリ
長谷観音の花だよりトラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 長谷観音 花便り サツキ&つつじ&牡丹②
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://hasedera.net/cmt/mt-tb.cgi/64



<こころに花を> ですね。
世に咲く花の数だけ 心に咲く花があると気づけば
その瞬間から 語りかけてくる 路傍に咲く 名もなき小さな花
広大なご山内のお手入れ、本当にご苦労様です。
おたがいに、ハチには気をつけましょうね(今年も/笑)。
チベット問題、サイクロン被害に国際救援を受け入れないミャンマー軍事政権、国内では、(最近NHKテレビで見たのだが)医療費が負担できないため治療を受けられないまま悪化して亡くなる人、暴力団が絡む密漁により資源が荒らされ生活が成り立たなくなってきている高齢化した漁師たち・・・。
世の中の不条理の数々を目の当たりにすると、何とかして原因者に制裁を加えたいとばかり考え、心がすさんでくる。こういった原因者の「心に花を咲かす」ことはできないものか・・・
高岳様
遅くなりました。京都から戻り、ようやくにしてここにいます。
厄年のような年齢になって、回帰する命といいますか、今年もまた咲いてくれたか、という不思議を以前より感じるようになりました。
でも、「今年もまた刺してくれたか」にならぬよう注意します。
雨ニモマケズ様
亡命チベット人の方や、支援歴の長い人たちとお話をする機会が増えましたが、彼らの多くが口にするのが「中国政府が内側から変わらない限り事態は好転しない」という認識です。仰るとおり、「心に花を咲かす」機縁を願うものです。
直ちに国際救援を受け入れれば、死なずに済んだ人たちがたくさんいたことを思うと胸が痛みますね。
チベット問題を批判する国々が、早々に震災支援を申し出ている事実から、チベット人への共感の根っこは被災者支援の行動と同根であると知って欲しいです。
基本は、困った時はお互い様、なんですものね。
花は誰のために美しく咲くわけでもないのに
人を人の心をこれほどまでに打ち震わせる
人も誰のためにあるというものでもないのでしょうが
人は人を人の心をどれほど打ち震わせることができるのでしょう
もちろんそうした人がおられることは確かですが
それが突出したものでなくなるような
そんな花に人はなれるのでしょうか
幽黙さま
「美しく咲く」という言葉に立ち止まったことがあります。
美しい花、が咲くのではなくて、やはり花というのは美しく咲くのだなあ、ということを思いやっていたのです。
それは、智積院にある長谷川久蔵の国宝『桜図』を見つめていた時のことですが、あの絢爛たる(それでいて幽玄なる)満開の桜に目を奪われていた僕も、案内役として4年目に、桜の根本に久蔵がタンポポとスミレの花を描き込んでいたことに気がついたのです。桜の巨樹に対して、あまりにも小さく可憐なタンポポとスミレ。しかし満開なのですね。
それは、僕の場合とくにスミレに心引かれたのですが、とても嬉しい出来事でした。だいぶ時間を要したけれども、スミレの呼び声が聞こえたのかもしれないなどと思ったものでした。