「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
2008年6月アーカイブ
昭和42年生まれなので、厄年である。
今年になってから、地域の「隣組長」につづいて保護司、保護司に続いては信濃三十三観音霊場札所連合会事務局長、そして「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」の幹事と、わけの分からないうちに続々とお役が回ってきた。
朝の鐘つきと夕食後の皿洗い係だけで全力投球だったのに、もうこれ以上はダメかもしれないと思っていたのに、今日は「防火管理者」という資格を目指す講習会に参加してきた。
お坊さんはみんなこれになるのだろうか。
そんな話は聞いたことがないから、たぶん、文化財を所有している人は法的にこうした資格を要求されるのだろう。住職を継承したとたんに、消防署から「若住職、講習の申し込み忘れないでね」と通告してきた。
昨年は、消防署員と固い約束をしたのに、私がすっかり忘れて申込日に京都に行ってしまった(署員にはもちろん修行と伝えた)経緯によって残念ながらこの講習会に参加することが出来なかったが、今年は、二人連れの署員が2度も寺まで来て、しかもわざわざ書面をもって申込日を教えてくれたばかりか、電話確認までしてくれたので、京都に行く用事(または修行)がどうしても発生しなかった。
学生の頃、ジャズを聴いていた時期がある。
僕は音楽の素養が全くなかった。高校時代といえば、友達が聴いていたような曲が誰かが録音したカセットテープで回ってきたり、ラジオの音楽番組でヒットしているといわれたらそれを聴く程度だった。
この年齢の頃は、特に自分の好みがない普通の子は、誰かが良いといえば良いと思うし、ヒットしていればそれが良いと感じる。
そんな風だったから、ぼくも高校生の頃はこれといって「音楽と出会った」と言えるような体験もない。
好きな女の子に流行の曲のテープをプレゼントしたりする、ごく普通の高校生だったし、流行の音楽の詩によって代弁してもらえる程度の恋心しか持ち合わせていなかったのだと、今となってみれば他愛もないと懐かしい。
大学に入ってアルバイトを探していた時のことだ。
たまたま通りがかりのバイト募集の広告を見て、飛び込みで面接したら採用してもらった店が「レンタルレコード」の店だった。
この頃、所用で東京に行く機会が増えてきた。
これも長野新幹線のお陰だろうか。
本当に困る。
僕は、いつも長野の篠ノ井塩崎の長谷という土地でのんびりしているから、新幹線が東京駅のホームに滑り込んでいく時点で血が下がりゲップが出る。人が多すぎるのだ。ゲップ。
おそらく、長谷に住んでいる人が一年間に見るであろう人間の総数を、新幹線ホームに降り立った数秒のうちに見てしまうだろう。ゲップ。
おそらく、一日を東京の新宿あたりで過ごせば、江戸時代の人が一生かけて見た人間の累積数を遥かに超えて見ることになるに違いない。ゲップ。
昨日、ダライラマ法王事務所日本代表部のラクパ・ツォコ代表が、善光寺にお参りに訪れた。
善光寺さまの聖火リレー辞退に対する感謝の意を伝えるためである。
僕は聖火リレーの辞退にともない営まれた追悼法要に友人の僧侶17名と参加した。そのことがご縁となって、善光寺内の有志のお坊さんの呼びかけによって形成されている「平和を願う僧侶の会」に参加している。
この会が、今回のラクパ代表の善光寺参りのご案内をすることになり、僕も関係者と共に、代表が善光寺事務局、大本願、大勧進へと、それぞれの代表の方々へ御礼のご挨拶に行く席についていった。
各席上で、ラクパ代表は、本当に心からなる謝辞を述べ、合掌して、これからも善光寺とのご縁を大切にしていきたいと話された。ダライラマ14世を始め、チベット本土、ダラムサラ、世界に広がるチベット人すべてが、善光寺に深く感謝している旨を、全チベット人を代表してお伝えしたいと述べた。
「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」が発足しました。
長い名前ですが、この名前には、国内の社会や僧侶に向けたメッセージとともに、日本の僧侶が連帯してチベットの支援をしていることが、チベット人にも、中国人にも伝わること、また世界のチベット問題を注視する人々にも、日本の新しい動きとして伝えようという思いがあります。
こうした会が起こるきっかけの中には、各宗派が社会的な問題に迅速かつ柔軟かつ実効的にコミットしていくことに対する限界や失望がないといえば嘘ですが、むしろ、「全日本仏教会」のような公的なものとは性質の違う草の根的なネットワークが、宗派を超えて広がっていくと、将来的には宗派の持っている潜在的な力を生かしていくことにもつながると思います。
この春から、息子は地元の少年野球チーム「イナズマドラゴンズ(略してイナドラ)」に入団した。
ルーキーである。
息子は燃えている。友達やチームのコーチである父兄の熱心なお誘いを受けて仲間に入れてもらったわけだが、以前は「サッカーやりたい」と言っていたのが嘘のような勢いで、毎週土日の練習や試合を心待ちにしている。
夕方になれば、キャッチボールをせがみ、僕が暇そうにしていると「バッティングセンター」に行きたいと言う。
何がそんなに彼をひきつけたか、ベースボールの女神さまが、どうも10歳の少年にウィンクしてしまったと思われる。



最近のコメント
長谷寺 on 長野県カルチャーセンターでお話し: 幽黙さま 四国の情
幽黙 on 長野県カルチャーセンターでお話し: >古き善き暗さ あ
長谷寺 on 厄年とは「役」が回って来ることなのか: Oの住人さま ああ
長谷寺 on 長野県カルチャーセンターでお話し: 信濃には、関心の高ま
幽黙 on 長野県カルチャーセンターでお話し: 四国と西国と ちょっ
Oの住人 on 厄年とは「役」が回って来ることなのか: 防火管理者の資格なら
長谷寺 on 長野県カルチャーセンターでお話し: ゆかりさま ありが
ゆかり on 長野県カルチャーセンターでお話し: 定員、満員なんですね
長谷寺 on ブッダロード・ピースウォーク・イン・善光寺: 雨ニモマケズさま