住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

チベットハウス代表の善光寺参り

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昨日、ダライラマ法王事務所日本代表部のラクパ・ツォコ代表が、善光寺にお参りに訪れた。

善光寺さまの聖火リレー辞退に対する感謝の意を伝えるためである。

僕は聖火リレーの辞退にともない営まれた追悼法要に友人の僧侶17名と参加した。そのことがご縁となって、善光寺内の有志のお坊さんの呼びかけによって形成されている「平和を願う僧侶の会」に参加している。

この会が、今回のラクパ代表の善光寺参りのご案内をすることになり、僕も関係者と共に、代表が善光寺事務局、大本願、大勧進へと、それぞれの代表の方々へ御礼のご挨拶に行く席についていった。

各席上で、ラクパ代表は、本当に心からなる謝辞を述べ、合掌して、これからも善光寺とのご縁を大切にしていきたいと話された。ダライラマ14世を始め、チベット本土、ダラムサラ、世界に広がるチベット人すべてが、善光寺に深く感謝している旨を、全チベット人を代表してお伝えしたいと述べた。

ラクパ代表は、日本語も堪能でした。

日本暮らしも長いとのことで、ただでさえ日本人と似ているチベット人だから、長野駅でお迎えした時は、初対面の僕は代表に同行してきたK先生のほうを「ラクパ代表」と思ってしまい、横から『おはようございます』と仰った代表を、改札を通過する一般長野市民だと思ってしまったほどである(謝)。

僕があわてて挨拶をすると『ケイ、チョウ?』と僕の名刺を見てつぶやいた。

「ハイ、よろしくお願いします」

「チベット語に、ケイチョウという言葉がありますね」

「どんな意味ですか?」

「『優れた学者』です、ははははは」

「ははははは・・・・・・・(ビミョーな笑い)』

 

善光寺での日程が終わると、K先生の案内で、善光寺の裏山にあるある供養塔にみんなでお参りに行った。

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それは昭和39年に建てられたという、チベットの経文の宝筐印塔だった。

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 チベット語と、「萬善同帰」の文字、そして納められている経文の名、さらに多田等観というチベット仏教の大学者と共に、チベット僧の名が刻まれていた。

 

小さな塔だったが、昭和39年から今日に至るまで、この塔を建設した人たちによって大切に守られているのが分かった。

なんと、毎年5月3日には今も奉賛会によって法要が営まれているというのだ。

 

 

全く知らなかったが、K先生に見せていただいた資料には、建設時の賛同人に長谷寺の先々代の名があった。また、長谷寺の近所の人たちの名も少なからず刻まれていた。

40年以上、静かにこの塔を囲んで世界の平和とチベット人の平安が祈られてきた。

偉大なことだと思った。

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ラクパ代表は、2度目だという。

真剣に手を合わせていた。

緑が生い茂り、善光寺平を望む山腹からの景色はまことに安からだった。

善光寺の大屋根が、木々の合間に見える。

この平和の景色をどこまでもどこまでもたどっていけば、全く平和ではない場所があるとはにわかに受け入れにくい風景だった。

ラクパ代表も、僕らと和やかに談笑している様子からは、国を失っている悲しみからは遠く見える。

 

だが、現実はそうではないのだ。

 

 

 

40年以上も、心ある長野の人々のよって祈られてきた宝筐印塔の祈りが、地下水脈が大地の表に滲み出すようにして広がっているように思えた。

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この持続する祈りの力が、あるいはダライラマ法王を長野に招き寄せるようも思える。

 

平和を招き寄せるように思える。

 

持続的な、粘り強い営み。

 

宝筐印塔とラクパ代表の存在が、ふっと重なって思われた。

 

一つの結果を目指すことは大切だが、短期的な成果だけではなく、長期的な営みによってしか得られないものもある。

 

大事なことを、この小さな塔は語りかけていた。

  

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