「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
お寺 de JAZZ
長谷寺で、ジャズのライブがあった。
横浜や東京で活動する「風狂知音」というユニットだ。
用意してきた音を演奏するのではなく、その『場』に流れている音楽を感じ取って奏でるという。
夏目漱石の「夢十夜」に運慶の話があったのを思い出した。
運慶が大きな木にノミを当てて「木の中に埋まっている仏を彫り出している」というようなことを語る場面だ。
場に流れているものや秘められているものを探り当てていく感覚というのは、ちょっと僕も錆びている気がする。
密教の『加持』という言葉にも、「場」という意味があり、場の力との感応道交を大切にする。
空海弘法大師の言う「三密加持すれば即疾に顕る」という言葉も、人間と場との深い関わりを前提にしているものだろう。
場との関係性が弱まっている僕自身のあり方も現代人のあり方も、命が有する何らかの感性の鈍化を意味しているに違いない。
長谷寺の『長谷』という場の意味や力を考えると、弱ったことである。
アドリブには、ジャズという音楽の命があると改めて感じた。
素敵な夜でした。
風狂知音サイトはこちらから。
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知人がプロデュース?のユニットでした。
行きたかった、、、感じたかったです。
その場その場での演出が違うとは
きっと、長谷寺空間だけのものが流れていた事と思います。
今日は、ジャズバーでまた、違う空気が流れるのでしょう。
夏目漱石の話し。
同じ木を相手に制作の私の間で、以前に話題になりました。
みつめて、そのものや空気と会話をしながら作りだしていく。
そこから、何かが見えてきたり、形になったり。
んんん、中々バタバタしていたりモロモロが気になったりの日常。
人や場所、空気や臭い、時間をもう少しゆっくりと感じ取りながら
行きたいなあ、、、、としみじみ。
夢十夜、再度読んでみます、、、、、。
チャーリー様
こういうアーティストの感覚の話をするときにいつも思い出すのは、写真家の土門拳さんのエピソードです。
アシスタントだった篠山紀信さんにこう言ったそうですね。
「篠山君。仏像はね、走っているんだよ!」
シャッターチャンスというものの捉え方に関わるものなのでしょうけれども、普通の感覚ではありませんよね。
「篠山君。仏像はね、走っているんだよ!」
風狂知音のサイト、自己紹介がそれぞれとても面白いですね。
素敵なメンバーです。
仏像が走っているという
土門拳の話
同じ土門拳が
宇治の平等院鳳凰堂を撮影していたときに
さて片付けようとしていたときに
土門さんが
早くカメラを出せ!
と叫んでアシスタントたちがあわててセッティング
土門さんは
その間
鳳凰が逃げる
走って行ってしまうと
大変騒がれていたそうな…
幽黙さま
歌心にも、同じ様な感覚というのがあるのではないでしょうか。
何かを捕らえた感触が残る先から、言葉に定着させるより一瞬早くスルリと逃げていってしまうような。
山形の土門拳記念館を訪ねたことがありますが、走っていく、逃げていく「一瞬」を待ち続け撮らえ続けた人物を垣間見るには、いいところでした。
http://www.domonken-kinenkan.jp/
ところで、その時は羽ばたいて飛び立つ前の鳳凰を捉えることができたのでしょうか?