住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2008年9月アーカイブ

イチロー

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これもまた至言か。

「1番になりたかったですね。僕はナンバーワンになりたい。オンリーワンになりたいとか甘いこと言ってるヤツが大嫌いなんで」

プロの世界を垣間見る言葉。

ううむ。

 

小学校の恩師の言葉。卒業していく僕らへの贈る言葉であった。

年々と、歳々と、この言葉を思い起こすことが多くなっている。

 

非凡なる凡人、、、。

 

非凡であろうともがいているうちに、少年は易々と老いて、何ごとも成し難い。

 

朝、顔を洗って食事をしてから床に就くまで、その一日を丁寧に暮らす。

それだけのことが、僕は一生のうちに何度暮らすことが出来るのだろう。

一日暮らし。

非凡であろうともがいているうちに、日は昇って暮れていく。

 

音楽を通して非暴力と世界平和の為の活動をしているチベットNo,1アーティストのTechung(テチュン)さんがアメリカ サンフランシスコから来日。 色々なご縁で、長野にも来ていただけることになりました。

日時:9月28日(日)PM2:00~ 
会場:善光寺大門[西方寺]
参加費:一般2,000円(前売り1,500円)
    大学生1,000円
    中高生500円
    *小学生以下無料
前売りチケット:ながの東急
        平安堂長野店
        朝陽館萩原書店
        駅ビルMIDORIチケットぴあ
問い合わせ:チベットの風 
090-4951-0018


主催:チベットの風 HP↓
http://www.geocities.jp/windoftibet/index.html

 

techung01.jpg

12日、前日に石鎚山に登った私は、私に会うためにわざわざ(上司と喧嘩してまで)会社を休んで松山まで駆けつけてくれた高知の友人Hの車で、国道33号線をひた走り松山から久万高原町、そして仁淀川に沿って井野町、高知へと向った。

真言宗智山派の高知教区で開催された教化研究会に参加するためである。

研究会のテーマは「慈悲再生~チベット問題に学ぶ~」ということで、この中で僕に与えられたテーマは「僕たちはなぜ立ち上がったか」というもの。

聖火リレーを機に僧侶の有志で行った様々な活動について話すことであり、と同時に、僕自身がチベット問題に多少なりとも関わっている動機や、チベット問題をきっかけに見えてくる日本仏教の僧侶の今後についてなど、荷の重い内容であった。

与えられたテーマに沿ってこの半年を振り返ると気づくこともいろいろとある。

中でも、僕が「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」に参加していて興味深いのは、幹事として関わっているたくさんの僧侶の方々が、一人ひとり実に多彩な問題意識の中にあることだ。そして依って立つ思想的な根拠や歴史観も違う。

僕は、どっちつかずと言われても甘んじるが、右か左かという意思決定をしろといわれると悩むだろう。

例えば、憲法九条について考えると、そのどっちつかずが鮮明になる。それぞれの言い分に、それぞれその通りだなあと思ってしまうのだ。僕のようなどっちつかずの人間には、誠に弱ってしまうのが憲法問題であり、と同時に、なぜ憲法の前で僕は迷うのかも分からない。自分の国の憲法なのに「これはいい」といい切れないのも変だが、「これはダメだ」といい切れるのも変だ。その意味で「作り直したほうがいいのだ」という意見もあろうが、「憲法改正断固反対」という立場の声にも、ナルホド、と思えるものもある。

案外、国の意見を割り続けることにこそ、この憲法を作成した人たちの意図はあったのかもしれない。 それは、「主体」の問題としても、僕らに難問となっている。

山尾三省生誕70年祭 アニミズムという希望

日時 10月11日(土)14:00~20:00 
開場 東京・お茶の水の全電通ホール
入場料 前売り2500円/当日3000円

第1部 リレートーク
 長本光男(長本兄弟商会・八百屋)/加藤行衞(日本山妙法寺・僧侶)/
 渡辺眸(写真家)/槇田きこり(冨士山北口御師)/
 兵頭昌明(山尾三省記念会代表・屋久島)

第2部 シンポジウム
 今福龍太(文化人類学者)/鎌田東二(宗教学者)/
 田口ランディ(作家)/長屋のり子(詩人)

第3部 三省の詩を歌う
 李政美/長沢哲夫/内田ボブ/松井智恵/山本純/
 じゅごん/眞理ヨシコ(堀之内幸二/龍聡/賀川純)

主催:山尾三省生誕70年祭実行委員会
後援:山尾三省記念会
問い合わせ先:野草社  tel.03-3815-1701
       新宿書房 tel.03-3262-3392
       地湧社  tel.03-3258-1251


前売券:電話で確認のうえ、
「ゆうちょ銀行・振替口座 01000-9-74497 加入者名 野草社」へ
お振り込みください。前売券を郵送します。


同時開催【山尾三省回顧展】
10/9(木)~13(月)
space NEO(東京・お茶の水)にて

10日から13日まで大阪、愛媛、高知へと旅をした。

出会いあり、登山あり、仕事ありの盛りだくさんツアーだった。

■10日「大阪應典院」

10日は朝8時に家を出て大阪へ。

大阪は、府や市の財政が厳しいと昔から言われているが、いつ行っても活気がある。行政の財政が厳しいのに、人々はいつも元気だ。何か、民と官では違う次元の経済があるのではないだろうか。

こんな占いもあった。200809101323000.jpg

(何か、人を本気にさせる名前だ)

さて、私の目的地は天王寺にあるにある應典院というお寺だ。

昨今、日本でもエンゲイジド・ブッディズムという言葉も広がっているし、地域に開かれた寺院という発想も僧侶の中に浸透しつつある。そんな流れにあって、この應典院を知らないとしたらそのお坊さんは勉強不足であると断言していいだろう。

社会を向いて、同時代の人々の思いや苦しみや悲しみに対して、仏教は、寺院は、僧侶は何をなしうるのか。

そういうことに真摯に取り組んでいる寺院として広く知られる松本の神宮寺京都の法然院などとともに、應典院様は現代の寺院のトップランナー(日本仏教界のボルト!)といえるだろう。

その主幹様と秋以降に企画されている某イベントの打ち合わせに行ったのである。

應典院様には、世紀末にその名も「ノストラダムスをぶっ飛ばせ」という激しい企画のイベントに参加したことがあった。

到着してみると、そのモダンな建築は寺院とは思えない趣である。しかし、入り口には石の地蔵菩薩が慈悲溢れるお顔で迎えてくれ、入り口からして仏教と現代との出会いが演出されているようだ。

私の親友が、いい年してから柔道を始めている。

そのことが何となく気になっていて、遠くに住んでいる彼のことを折に触れて思い出す。

いい年して、とうっかり書いたが、40歳くらいになってから体を痛めつけるような武道を初心から始め、しかもそれを続けるというのは、なにかしら「想い」がないと出来ることじゃない。

しばらく彼とも会っていないが、ある時、手紙をくれた。

そこに、彼が尊敬する道場の師が大切にしているというあいだみつをさんの詩が書かれてあった。

私は、実は、あいだみつをという人の詩をよく知らない。

でも、その詩を目にした時は、ううむ、と唸った。

シャチ

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先日、鴨川シーワールドに行った。8年ぶりくらいだろうか。

女房様の絵解きが当地の宗派の青年会によって企画されたので、またまた私はマネージャー権運転手として子供たちまで連れて随行。お寺が忙しかった夏の間、子どもらには夏休みらしい夏休みもないから、これを良い機会にちょっと遅れた夏休み。

車で一路安房の国へ。

少し早めに出てフェリーで東京湾を渡ることに。

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山国の人間には、海というのは、本当に何というか、「わあ海だあ」であります。

総理大臣

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また総理大臣が辞めてしまった。

庶民の想像を絶する重圧があるのだろうけど、もう少し何とな踏ん張って欲しかったなあ。

それにしても、行政のヘマやだれそれ大臣の事務所費やら前総理以来政策とは関係の無いことで政治家同士がワーワーと争っていて、肝心の政策論議はないし、政治そのものをしているように見えない。

実は、与党も野党も、政策を論議する能力がないから、こういう状況を作り続けて国民を煙に巻いているのではないだろうか。

まともに政策を話し合い始めたらたちまちにボロが出て政治部の記者にやり込められたりして。

もっとも、こうやって大衆レベルで批評家ぶってああだこうだと言うのはお気楽なもので、問題があまりにも多くあまりにも複雑で、それに対する意見や提案も多岐に渡りすぎている上に、とにかく前進していくための合意を形成したり決断をしていく「仕組み」が無いのではないだろうか。あるいは、従来の仕組みではもうどうにもならなくなっているか。

きっと政治だけがおかしいのではなく、やはり国全体の、同時代の我々人間のあり様を映し出しているのだろうから、「無責任だ」と鸚鵡のように責め立てても始まらない。「無責任」コールに終始している野党だって、それしか言ってない所を見ると、「オレならこうする」という代替案もないのだろう、と馬鹿にされても仕方が無い。

小学校でPTA役員を決定するのに深夜まで要する社会である。

自分たちが参加している社会であるから、その決定や結果については、自分に責任があるのだと、切り替えていくべきなのだろうが、どうも「お上任せ」の意識は僕らに根強く、またお上のお役人たちも、下々のものは心配せず任せておけと、幕閣のような気持ちでいるのだろう。

腹を切るような決死の覚悟で下々の上に立っていた大昔とは違うのだから、僕らも、責任の所在の明確化や、意思の決定の仕組みについて、それから決定したことに対する引き受け方など、意識を変えていかないとならないのだろう。

そうしないと、総理は任期が一年交代制になってしまう。

あんがい、それもいいかもしれないが。

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