住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2008年10月アーカイブ

秘仏について

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来年は善光寺様の御開帳です。

しかし、どうして本尊を隠してしまうのでしょう。考えてみると、不思議です。仏教は「偶像」を大切にしているわけですが、これが秘仏というあり方になってくると、簡単に偶像崇拝とも言い切れなくなる。

僕は以前、本尊の秘仏化は、日本人が仏教を内面化した鎌倉時代じゃないかと考えたことがある。

日本に仏教が渡来して600年程を要して、日本人は「仏像」を見なくても、仏の姿を思い浮かべることが出来るようになった。長い、言語的、ビジュアル的な仏教との出会いの時間を経て、日本人は仏像がその姿によって伝えている思想を理解しまた感じ取ることが出来るようになったばかりか、人々や社会はひろくそれらのイメージや精神を共同化した。それが、鎌倉時代だったのではないか、と思っている。

鎌倉新仏教と称される運動が可能になったのは、そのような仏教思想の内面化や社会的な共同化が前提になっているのではないだろうか。奈良仏教や真言や天台という先行の仏教宗派の「堕落」が、鎌倉時代の仏教運動を生み出したということも、鎌倉祖師たちの言動から推して知られることではあるが、彼ら鎌倉祖師たちの眼差しから「堕落」と見えたのは、僧侶たちの生活ぶりとかではなく、これほどに仏法の内面化(生活化)を進めた日本人にとって、すでに旧来のスタイルに「着心地」の悪さがあったからではないか。

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