住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

シラスケの相撲と弓くらべ

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長谷寺を開基した伝説の人、シラスケさんは、その物語の後半で、観音さまの導きで出会った美しい妻をめぐって土地の権力者と勝負をする。

妻をかけて、その勝負は2回。

一度目は「弓くらべ」。

二度目は「相撲」であった。

この弓くらべに関しては、これまで僕もあまり関心を払わなかった。

相撲のほうは、今日でこそ「スポーツ」として社会的に認識されるようになってしまった感があるが、ほんらいは神意を問う御神事だったものと思われる。

同じ力量のチカラビトの2人が、無限な円の中で立会い、四つに組み闘う。

この時、その勝敗により、神意をはかったのではないだろうか。

陰の力士とと陽の力士とが、見届ける共同体の人々の祈りを背に受けて、「八卦よい」という人智を超えたカミの心を問いかける神聖なる儀礼。

陰陽.jpg

力士が立ち会うとき、共同体の進路、行く末に関心を寄せる人々の思いも立会い、その土俵という宇宙の中でくんずほぐれつ、押し合い引き合い、叩きあいまた投げ合う。ぶつかり合い、にらみ合い、土俵の際で鬩ぎ合う。

これは、議会や話し合いというものとは別のスタイルの、意思決定の作法だったのではないだろうか。

勝敗が決する時は、神意が顕われる時なのだ。

したがって、力士たちは、異能の怪力の男たちであったというばかりでなく、多分にシャーマンとしての能力を有し、土俵上で仕切りという特別なプロセスを踏みながら、神降ろしの精神状態になっていったに違いない。

そして双方の精神が、共に十分な入神状態に達したとみなされた瞬間に、立会いになったのだろう。

技というものも、おそらくは、力士が意識的に繰り出すようなものではなく、また戦略的に繰り出されるようなものでもなく、陰陽が融けあう必死のガップリ四つの格闘の忘我のエクスタシーの中から、共同体の深層から飛び出してくる、あるいはカミからのメッセージであり、ひょっとすると天覧という形で今日も天皇陛下が相撲を見る形の中にそのような痕跡があるような気がする。

無限なる宇宙(土俵)の中で、陰と陽とが鬩ぎ合い、群集が陰と陽それぞれの働きそのものに手に汗握り、焦がれ(魂離れ)ていく時、土俵周辺はカオスと化し、やがて何ごとかが尽くされてカオスは調和へと収束して「勝敗」が決する。共同体の進路を占うような神意が、読み取れる人には、読み取れるのではないだろうか。

長谷寺開基のシラスケも、相撲をとる。

 

そのまえには、弓くらべもする。

僕は、これまでこの弓くらべにはさしたる関心を払わなかった。

物語の中でも、なんとなくただ遊んでいるようにしか感じられない。

ところが、うっかりしていたもので、大昔から語り継がれる物語にそんないい加減な標記はないのだ。

それに気づかせてくれたのは、今年になって亡くなられたカーメン・ブラッカー女史であった。

師の研究に「あずさ弓」というテーマがあることを知ったのである。

それによると、弓もまた、神意をはかる巫女たちのシャーマン的な行為であったというのだ。

 

シラスケは、ここでみずから観音に祈念して弓を取る。

そして相手に勝つのであるが、それは物語りでも「図らずも勝つ」と書かれているように、シラスケが勝ったというよりは、やはりシラスケは神意によって選ばれたというべきではないだろうか。

どちらが、この美しい妻の夫としてふさわしいか、カミよ告げたまえ、というのが、この弓くらべの目的であった。

 

シラスケが、長谷寺開基を果たしていく物語の佳境で、大きな試練として登場する弓くらべと相撲の場面は、単に権力者との戦いというだけではなく、長谷寺を開基するにふさわしい人物であるのか、つまり神のあるいは観音菩薩の御心に適う人間であるのか、それが古来からの儀礼によってはかられていたのだと思われる。

僕はこれまで、シラスケとは、蘇りの聖地であるハツセにて、再生した男という読み方をしてきた。その基本は不動のものだ。シラという古語が「生まれ清まり」を示す言葉であることも、それを支持する。

しかし、それは物語の前半部分のシラスケを示しているが、後半になると、その再生した男であるシラスケが、シャーマン的な行為、相撲や弓比べを通じて、それぞれに勝利することによって、シラスケが、神意に適った男であること、カミによって認められた人間であることが、示されているのだと思う。

これらの場面は、物語の楽しい場面でもあるが、想像するに、シラスケ物語の原型的な太古のストーリーを垣間見せているのではないだろうか。

神意を問い、はかった時代。

人智ではなく、超越的な存在(共同体の深層)からのメッセージを汲み取ろうと試みた時代。

シラスケは、そんな時代に何ごとかをなした男だったのではないだろうか。

彼は、孤児だった。小さき弱きものだった。

しかし、スピリチュアルな啓示によった旅をして、蘇りを果たした。

そして、真意を問う試練、または共同体的な儀礼を通じて、カミによって選ばれし者となった。

そういう男が、かつてここにいたのだろう。

 

 

 

 

 

 

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コメント(2)

幽黙 :

梓弓とか鳴弦とかの儀式は
どちらかというと
魔を祓う儀式という感じですよね
考えてみると神社などの儀式でも
四方に弓を射たり
あるいは「おびしゃ」の儀式なども
あったりしますものね
ただどれもある意味
その発祥や歴史や意義などが
かなり曖昧ではっきりせず
なんにでも勝手にそれぞれの
地域などの目的に応じて変遷してきた
という雰囲気も感じられます
弓矢の持つ意味の背後には
もしかするととても大きいものが
あるかもしれませんね

長谷寺住職 :

幽黙さま

なるほど、「射る」という出来事に強い関心がむけられていたということもありますね。


シラスケの物語を読み直すたびに思うのは、鎌倉時代の初期あるいは平安末期といわれる、この物語の「再話」といいますか、再編集の段階で、すでに相撲や弓比べが、何のために行われたのかハッキリしていない印象があります。そのために、相撲の場面では「代理」を立てるということが、敢えて語られているのは、本人が相撲を取らないことに対して再話当時の人々がすでに違和感を感じていたのではないでしょうか。

ともあれ、この物語自体が、弓、相撲をはじめ、非常に古い文化的な記憶のようなものを伝えているのでしょうね。

弓が、「魔を祓う」儀式として行われたと考えた場合、長谷寺の周辺に、かつてそのような伝統的な宗教儀礼が行われていたということも考えられますね。

お相撲は、今でも隣のお宮で毎年行われています。

もしかしたら、チョー古い歴史があるのかもしれません。

なにしろ、裏山の奥には「白助さんのフングリ清水」という名の湧き水があって、シラスケが相撲をとった時にフグリについた泥を洗ったという伝説を伝える清水なんですヨ!

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