住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

寒さに弱いお坊さんはやはりイマイチか

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正直申し上げて

私は寒さに弱い

子供の頃はそう感じたことはなかったと思うが

30才ころからだろうか

冷気や冷たいものに触れると

ヒジョーに不快になる

これは修行が足りなくて精神が弛んでいるからだろうか

寒い中で体を動かし始めてしまうと

当たり前だがどうってことなくなる

問題はそういう体温を上昇させる活動ではなく

外気より低い室温のお堂の霜柱並みに冷たい畳に座って静かにお勤めをする時間帯なのである

朝の目覚ましが鳴ると共に

首筋に襲い掛かる冷気に途方にくれる

 

お釈迦さまや弘法大師はもとより

歴代の祖師や代々の住職たちはどうだったのだろう

やはり

バチッと目覚めて布団を跳ね除け

しゃんしゃんと着替えて顔を洗い口をすすいで朝の瞑想や読経にまっしぐらだったのだろうか

きっとそうであるにちがいないのだが

できれば

ほんの少しでもいいから

あたたかい布団の中で逡巡があってってほしい

覚醒と共に感覚のよみがえる肌に

冷気が入り込む瞬間の

あの不快に

少しもたじろがないようなお坊さんばかりではなく

実は内緒だったけれども

「あぁ、いやになっちゃうなあ」

ついこぼしてしまうお坊さんがいてほしい

むろん

いたに違いないし

おそらく現代はそういう人ばかりだったと思うのだが

問題は

私ほど寒さに弱くなかったのではないかと思われることである

どうしたら運動もせず

ストーブも点けず

カイロや

過剰な厚着も回避して

あの冷凍庫のような本堂での勤行に立ち向かえるのか

やはり

精神力しかないのだろうか

 

日ごろから薄着にしなさいとか

魚市場の人のように冷たいものに慣れろと

人は言う

中には

養命酒を薦めてくれる心ある友人もある

女房は

休んだら?

とマーラのような誘いをかける

 

養命酒か

しかし体質改善が修行と朝のお勤めに先行するのも情けない

ひょっとすると

鍛えれば克服できそうな気もする

がしかし

この「鍛えれば」の「れば」に進むのは果たしていつのことになるのか

ああ

12月の朝が

今年から暖かくなるということは決してなく

温暖化だからといって

信州の1月の朝からポカポカということは当面期待できない

むろし温暖化は地球規模の問題なのであって

私の寒さ克服という卑小な問題とは別のことにすべきである

ともかくそうはいっても

今はまだがんばっている

朝は六時に鐘を撞き

そして

本尊さまの前に座る

しかし明日はどうなのか

明後日は

 

私は

寒さに弱い

寒さに弱いお坊さんは

やはりイマイチではないだろうか

平気なお坊さんか

少なくとも

平気そうに振舞っているお坊さんのほうが

頼りになる気がする

その意味で

私は

イマイチである

 

身を灯す

経典の菩薩

苛烈な

厳しい行を敢えて我が身に課して

我が身を神仏に供養する

菩薩

我が国の

木喰行をした修行者たち

粗末な衣服

木の実や皮を食べ

凍てつく土の上で凍えて眠る

そんな先人が築いたのが

お坊さんへの漠然とした社会的な信頼であるのに

 

この自分はどうだ

 

ダイエットをするには

少ない食に慣れる脳にすることだと達人は言うが

寒さに慣れるのも

その寒気に触れた不快信号に反応してしまう脳の仕組みを

組み替える必要がある

ということか

 

冷えない身体は

健康づくりの一歩であると

「湯たんぽ健康法」の著者が述べると

私の意志は一気にグラつく

体に悪いぞこの寒さは

つい思ってしまう朝である

 

自らの腕を灯した菩薩

そうやって何万年

星たちのごとくに我が身を灯して

我が身を供養して積む功徳

 

こたつや

ストーブや

羽根布団や

エアコンや

自動点火タイマーや

カイロや

保温股引がなかったら

そうするしかないという環境であるなら

 

それはそれで楽だったろう

不快な環境を回避できる技術や道具や設備がある中で

それらを排除して

あえて自然なままの環境で生きるのは

なかなか苦しい

 

無農薬野菜が良いと言ってそれを食べながら

灯油ストーブを灯し

原子力発電の電力供給の中で暮らす

 

寒さに弱い肉体は

寒さを遮断する空間や衣類が作り出すのか

ストーブを遠ざけ

遠赤外線肌着を排除し

 

寒さの中で暮らせるか

 

イマイチ坊主は

寒さに負けそうになるたびに

くよくよと

去来する妄念と懺悔と自己嫌悪に悩まされる

 

こういうことに打つ勝つのは

やはり精神力ではなく

誓願

ではないだろうか

 

お釈迦さまや

弘法大師や

偉大な祖師たちは

特別に寒さに強い肌や神経を身につけていたのではなく

その点では普通の人間と一緒だったけれども

大きな誓いを建てたが故に

寒さも含めて

その誓いの妨げになるものを克服すること自体が喜びだったのだろう

 

だから

寒さに弱いのは

それだけとってみたら

別にお坊さんとしてイマイチでもなんでもなく

寒さにその都度打ち負かされそうな誓いしかもっていないのが

大いにイマイチということである

 

寒さに打ち勝つことが大願ではなく

もっと大きな大願を建てることで

寒さそのものを問題視しないお坊さん

 

そういうものに

私はなりたい

 

夕方、ポカンと空いた時間を得て、ブログに向かったら、じつにまあ、ウダウダ日記だこと・・・。

 

 

 

 

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