住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

当たり前

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京都東山の智積院には「利休好みの庭」と称えられる名勝庭園があります。

小堀遠州が築き、運敞(うんしょう)という江戸初期を代表する学僧によって完成されました。

この庭園は李白の「廬山の瀑布を望む」という漢詩の世界を表すとされ、運敞僧正は、ここに廬山より流れくだる美しい瀧を作り、その瀧のそばに一つの石を置きました。

その高さ三尺ほどの白い石は、老人が瀧に向かって合掌しているような姿をして立っていて「羅漢石(らかんせき)」と呼ばれています。

羅漢とは、お釈迦様に憧れ、その説法をいつも聞いてお悟りを開いた方のことです。

この石を羅漢石と呼ぶからには、この羅漢様はその流れ落ちる瀧をお釈迦様と観て、その水の音をお釈迦様の説法として聞いているのです。

流れゆく水がお釈迦様?と不思議に思うかもしれませんが、お釈迦様の悟りの世界、宇宙の真理、ダルマを示す『法』という漢字を思い浮かべてください。

この文字はサンズイ偏に「去」という字からなり、水が高きより低きへと流れ去る様子を表しています。

水が高きより低きへ流れるのは当たり前のことです。

でも、その当たり前の出来事の中に、宇宙の真理=ダルマが現れていることを、この文字は表しているのです。

智積院の羅漢様は、もう何百年もの間、じっとそこに立ち尽くして、流れくだる水にお釈迦様の姿を見、ダルマを見つめ、その説法に耳を澄ましています。

私たちも羅漢様に学び、身の回りにある当たり前の存在や出来事に目を凝らし耳を澄まして、自分にとって大切なものに気づいていきたいものですね。

あなたも一人の羅漢となって、じっと当たり前を見つめ、耳を澄ましてみましょう。

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2015年7月

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