住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

チュンダよ、自分を責めるでない

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チュンダよ、自分を責めるでない

 

季節はめぐり、月ももう終わろうとしています。

信州では、3月15日には月おくれのお釈迦さまの涅槃会(やしょうま)を迎えます。

涅槃会は、お釈迦さまと弟子たちとのお別れの時です。

 

ふりかえれば、この一年の間に、皆さんにもどれほどのお別れがあったことでしょう。遅れ先立つは世の習い、とは言いますが、大切な人を亡くすと、私たちの心中には、本当にさま々な思いが去来しますね。

あの時にこうしておけば、とか、もう一度会っておけば、とか、、、、。

そして時に、私達は自分を責めてしまいます。

 

この大切な人との別れに当たり、自分自身を責めてしまう私たちの心を思う時、私はお釈迦さまの涅槃の物語の中のある人を思い出します。

それは、お釈迦さまに「最期の食事」を捧げた鍛冶屋のチュンダです。

チュンダは、憧れのお釈迦さまに食事を供養できることを誇りに思って最高の食材を用意しましたが、気の毒なことにその時の茸がもとになって、お釈迦さまの体調は悪化してしまいます。

チュンダは、自分の食事のせいでお釈迦さまの死期が早まったことを嘆き、人々にも非難され、とうとう自分がお釈迦さまを死なせてしまうと我が身を責めます。

 このチュンダの心情と周囲の動揺を察したお釈迦さまは、チュンダに向け、そして周囲の弟子らにも聞こえるように殊更きっぱりとこうお説きになります。

 

チュンダよ、私が死んでいくのはお前のせいではない。

私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである。

 

 私は、この一句を読んだり聞いたりするごとに、お釈迦さまは、未来のすべてのチュンダ、すなわち私たちに向かって語りかけているのだと思うのです。

「あの時に私がこうしていれば、あの人は死なずに済んだのではないか」「いや、ああしていれば...」と、自分を責め、ひとり苦しむ多くのチュンダ。

 そんなチュンダである私達に向かって、お釈迦さまは、「あなたのせいじゃない、心の重荷を降ろしていいのだよ」と語りかけていると思うのです。

 

 皆さんのそばで、チュンダが泣いていませんか。

 知らずにチュンダを責めていませんか。

 あるいは、ご自分を責めていませんか。

 

 

 3月15日は、お釈迦さまの涅槃会、

 皆さんと一緒に、お釈迦さまの言葉に耳をすましたいと思います。

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