住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2015年12月アーカイブ

謹賀新年

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新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 

皆々様のこの一年が、より善き一日一日でありますよう、ご祈念申し上げます。

御本尊十一面観世音菩薩さまのご加護がありますように、ご祈念申し上げます。

 

年頭に当たり、詩人の山尾三省さんの詩をひとつ、皆さまのお贈りいたします。

 

 

お正月

                   山尾三省

 

新しく 巡りきた 天地のただなかで

正座をして

背骨を すっと立てて

 

おめでとう ございます

 

心から祝う 心の中に

お正月様という 神は宿る

 

みんなで見 味わうことさえできる

お正月様という

神があることを

 

忘れてはならない わすれまい

                            『親和力』くだかけ社 所収

 

古き歳が去り、新しき歳が来たること。この不思議。

私たちの祖先は、命が来たり、また還りゆくこの世界の営みを深く深く見つめ続け、年々歳々の中に生きて在る不思議を、文字通りに、「有り難く」感じ、無事に新年を迎える目出度さを噛み締めたのでしょう。

けっして、当たり前ではない、今命ある有り難きを、このお正月に深く噛み締めたのでしょう。

どうぞ、皆々様も、このお正月の何処かで、テレビも、スマホもない時間をもって、ひとり静かに座り、できたら正座をして背筋を伸ばし、もちろん足が痛ければ椅子でもよいから静かに座して、お正月を無事に迎えたことをお祝いしましょう。

かつて誕生を祝われ、七五三を祝われ、進学や成人や就職や結婚を祝われていた若者も、やがては格段誰にも祝われない人生を淡々と歩みます。

でも、命あるは有り難く、命そのものが尊く目出度いのですね。

ですから、誰に祝われるのでなくても、こうして生きて在ることを、自ら祝いましょう。

わが命をお祝いしましょう。

それを感じさせてくれるお正月様を心から心からお祝いしましょう。

すると、その目出度い命を授けてくれた方々や支えてくれている方々や縁ある方々に、おのずから「ありがとう」という思いが涌いてまいります。

 

お正月様をしっかり心からお迎えして、今年は「ありがとう」と心から言える人になるよう、ともに勤めましょう。

 

長谷寺 住職 慶澄 合掌

 

 

自らをキャンドルとせよ

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自らをキャンドルとせよ

 

師走を迎え、この季節になると街のそこかしこにクリスマスの飾りやライトアップが賑やかです。特に、キャンドル、ろうそくの明かりというのは何とも言えないぬくもりを感じますね。


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お寺のライトアップについて専門の先生と話していたら面白いことを聞きました。

ロウソクの灯の形についてです。

あのぽっと灯される、小さなロウソクの炎は、ロウソクならではの姿かたちをしていますね。

愛らしくて、見ているだけで心が温まります。

先生はある時「こんな素敵な炎だから、もっと大きくしたらどうだろう。みんな喜ぶしビックリするんじゃないか」と思いついて、いろいろと実験をしてみたそうです。

ところが、ロウソクというものは、大きくしたり灯芯を太くしたりしていくと、少しは大きくすることが出来るそうですが、ある程度の大きさを超えてしまうと炎の形が壊れて、メラメラぼうぼうと盛んな火になってしまうのだそうです。

結局、ロウソクの可愛らしい灯火は、ロウソクでしか灯せないことが分かったそうです。

さて、クリスマスに先立って、12月8日にはお釈迦さまが悟りを開いた成道会を迎えました。

お釈迦さまは「自らを燈明とせよ」と説きました。

この時に、お釈迦さまの胸に灯されていたのは、どんな炎だったのでしょう。

私は、大きく燃え上がる炎ではなくて、小さなロウソクの炎のような、小さな灯芯に灯される小さな灯火だったのではないかと思います。

大きく、立派な形にしようとしてもできない、自分自身の器のサイズに相応しい姿かたちの炎。

それは小さなキャンドルかもしれませんが、燃え盛って姿や形が乱れることもない、ほのかだけれど、静かに人生の道を照らす。

そういうちょうど良い大きさの炎となって生きる。

クリスマスを前に、自分自身をひとつの灯として、ちょうど良いかどうか見つめ直してみませんか。

自分自身について、大切な気づきの贈り物があるかもしれませんよ。

明日香 岡本寺寄稿〈一部訂正〉

冬至の頃の贈り物 

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冬至の頃の贈り物 


12月8日は、お釈迦さまが長い修行の末に悟りを開いた日、成道会(じょうどうえ)です。

この時期の信州の夜明けは冷え込みがぐっと厳しくなって、お布団から出るのも辛くなってまいりますが、朝のお勤めに観音堂に向かう時、東の空には美しい三日月とともに、ひときわ輝く金星がありました。

お釈迦さまがお悟りを開いた時も、金星が輝いたそうです。

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その昔、中国では冬至を太陽運行の起点と考え尊い日として祝いました。

古代中国の皇帝は、その天の運行を司る能力を天命によって授かるものであり、その神聖な力に則って暦を作りました。

周辺の朝貢国は、冬至の頃に「冬至使」という使者を送り皇帝に貢物を献上しましたが、この時の返礼の品として、何にもまして最も重要だったのが暦だったのです。

農耕を中心に生きる人々にとって、正しい暦は生死を分ける道標ですから、周辺の国々はこぞって暦を求め冬至使を送ったといいます。

長谷観音は、真東を向いて立っていますが、毎朝同じ場所に立つと、毎朝の日の出が冬至から夏至にかけて南北に扇のように行き来するのがよく分かります。

きっと、遠い昔に、この山に立って、人々は太陽の運行、月の運行、季節の変化、宇宙の摂理を見つめていたのでしょう。

昔の僧侶や宗教者を「ひじり」といいますが、それは太陽の動きについてよく知っている人、つまり「日知り」という意味であったという説もありますね。

大自然、森羅万象の根本にある太陽について深い知識を持つ人が、まさに共同体の命運を左右する導き手であり、その『智』によって、人々は宇宙とつながっていたのでしょう。

 

さて、冬至は、暦の起点として神聖なばかりでなく、日照時間が最も短くなり、また最も力の弱まった太陽が、その日を極として再生してくる日でもあります。したがって、太古から天地の運行に従って生きてきた人類にとっては、太陽がその力を蘇らせるという特別に神聖で神秘的な日だったのです。

そのせいでしょう。世界各地に冬至の頃に聖者が訪ねてきて贈り物を届ける話が伝えられています。

日本にはこの時期に弘法大師が贈り物を届けてくれる伝承がありますし、よく知られる笠地蔵の民話も、年越しを前にした老夫婦が、お地蔵さまから思いがけない恵みを授かるものですね。西洋ではイエス=キリストという最大の贈り物が神様から届けられるのがこの冬至の季節ですね。お釈迦さまがお悟りを開いたと伝えられるのもまた、この冬至を前にした12月8日なのですね。

聖者が贈り物をくださったり、世界に愛をもたらすイエスの誕生や人類に平安をもたらすお釈迦さまのお悟りがこの季節とされたりするのは、太陽の力が蘇り、天地が命に恵み(慈愛)を与えてくれることを強く実感できるからなのでしょう。

 

東日本大震災や原発事故をきっかけに、便利さや効率重視のライフスタイルを見直す機運が高まり、自然との共生が見直されています。

しかし自然の厳しさを思えば、共生というより自然の中に生きる存在として、人間や自分自身を見直す必要があります。

今年の冬至には、改めて暦を見直してみてはいかがでしょうか。

きっと天地から与えられる慈愛が感じられますよ。

(明日香岡本寺寄稿一部訂正)

一日暮らし

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一日暮らし

 

師走に入ると気持ちも急いてきますね。

年の瀬を迎えて、一年を振り返りつつ片づけなくてはならないことをあれこれ思うと、つい気持ちが焦ったりして落ち着かなくなります。

それもまた、日本人の一年のリズムといえばそうかもしれませんが、それでも静かな気持ちを見失いたくありませんね。

忙中に閑あり、という言葉は忙しい中にものどかな心持を見出し生み出していくことの大切さを言う言葉。

観音経にも、「其中一人」という言葉があって、みんながパニックになったり怒りや憎しみに我を失っている時、「その中の一人」が観音さまを呼ぶなら、みんなの気持ちが鎮まるというような教えがあります。

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今の世の中、世界中が、年がら年中師走のような気持ちばかりが焦ったり、怒りや憎しみでお互いに我を失っているような毎日に、私たちが「その中の一人」として、『閑』を見出し、思いやりや慈しみを呼び覚ましていくことが、とても大切なことであると思われます。

 

詩人の山尾三省(1938-2001)さんに「一日暮らし」という詩があります。

師走の始まりに、皆さまにこの「一日暮らし」をお贈りします。

仕事の手を休めて、お気に入り椅子やおコタツに腰を下ろし、行きつけの喫茶店でもいてですよ、いっぱいのお茶やコーヒーの味や香り、そのぬくもりを静かに楽しみながら、どうぞゆっくりと読んでみてください。

ふぅっと息をついて、一口のお茶がのど元からお腹へと染み渡るのを感じてみましょう。

街の音や、部屋の時計の音が聞こえてきますか。

鳥の鳴き声や葉の舞う音が聞こえてきますか。

胸のあたりの緊張が緩むのを感じますか。

しずかに、ゆっくりと、読んでみてください。

 

一日暮らし

                      山尾三省

 

海に行って

海の久遠を眺め

お弁当を食べる

少しの貝と少しのノリを採り

薪にする流木を拾い集めて

一日を暮らす

 

山に行って

山の静けさにひたり

お弁当を食べる

ツワブキの新芽と少しのヨモギ

薪にする枯木を拾い集めて

一日を暮らす

 

一生を暮らす のではない

ただ一日一日

一日一日と 暮らしてゆくのだ

 

       (『銀河系の断片』山尾三省 )

2016年3月

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