住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2016年6月アーカイブ

アジサイだより

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信州さらしなの里も本格的な梅雨の季節。

しっとり、じっとり?と大気も大地も潤って、草木も青々としてまいりました。

毎年、すこしずつ信徒さんが寄進して下さるアジサイのお花も、年々大きくなり、今年も見ごろを迎えています。

雨の中もお参りもいかがですか?

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雨音に耳を澄まし、雨粒に瞳を凝らしていると、普段は思いもしないことが思われたり、考えもしないことを考えたりします。

アジサイの花々を愛でながら、時に語りかけながら、雨の境内でひと時を過ごしてみませんか。

   

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各地のお寺にアジサイが多いのは、お釈迦さまのお誕生を祝う際に供えられるアマチャと似ているからとか、その花木の成育の様、とりわけ花の蕾から開花そして落花までの移ろいが仏教の「諸行無常」を語りかける花であるからとか、あるいはまたお地蔵さまが手にする仏さまの大きな功徳のシンボル「如意宝珠」に似ているからなど、いろんな説があるそうです。

いずれにしても、芒種から夏至の梅雨の季節に降り注ぐ雨の中に、様々な色合いで境内をかざるアジサイたち。

私たちはどうして、この花に心惹かれるのでしょうね。

思えば、お寺の境内に足を運んで、その仏さまの空間でひと時をすごせば、ゆるやかに乾いた心が潤いをとりもどしてまいります。

アジサイの姿が私たちの心をひくのは、そんなふうに癒され潤っていく心が、雨に降られて喜んでいるアジサイの花と、「一緒だね」と共感しているからかもしれませんね。

仏典では、咲く、という字をもって「笑う」と読み、受けとめて参りますが、まさにこの雨の季節にお寺でアジサイを眺めれば、私たちの心も咲いているのかもしれませんね。








6月15日は、弘法大師のお誕生日です。

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誕生の地については諸説ありますが、伝統的には香川県の屏風ヶ浦。

私も一度訪ねました。

屏風を立てるがごとき姿からその名になったといわれますが、信州の山国から行けばなだらかな讃岐の山並みがゆるやかに海岸にその稜線を降ろしていくと、弘法大師がお生まれになったという海岸寺というお寺があります。

穏やかな瀬戸内の海の潮騒を遠く聞きながら、後の弘法大師が産声を上げる場面に思いをはせます。

『貴物(とうともの)』と呼ばれた幼少年期。

それは一族から宝物のように大切にされたばかりでなく、きっと幼年期からたぐいまれなる能力を示していたことを伝えている名でもありましょう。

讃岐の誕生の地のあたりには、少年時代の弘法大師が過ごしたり訪ねたり学んだり修行したり、時には「身を投げた」といういわれの地があります。それらのいくつかは、四国八十八ケ所の札所の寺となっています。

それらの地を訪ねると、真魚(まお)と呼ばれた頃の、巨大な能力を秘めたまま海を望み、山や野原をかけめぐり、同世代の子らと遊びながら、おそろしく早熟な心を持て余し、何を為すべきかと悩むともなく遥かに遠くを見つめる少年空海の姿が思われます。

善通寺という弘法大師生誕の地に相応しい大きなお寺の境内に、幼い真魚も見上げたといわれる巨樹の楠が青々と茂り、そのこずえを渡る風は、真魚の髪も揺らした風かと思うと、時を超えて少年空海の気配を感じるようです。

真魚は、何を思って楠を見上げ、海を望み、山を歩き、風を肌に感じていたでしょう。

弘法大師と、後世になって人々に崇められる大人物となる前の、まだ無名で、何者でもない段階の真魚を、青葉まつりを迎えるとしきりに思います。

私たちは、偉大な先人から学ぶことがたくさんありますね。

お釈迦さまは空海という宗教的な偉人だけではなく、いろんな分野の何かを成した人たちの言動から、私たちは人生のヒントをたくさん頂けます。

しかし、偉大なことを成し遂げた後のその人はもちろん魅力的ですが、成し遂げる前の、そこに向かって歩んでいるその人からは、もっと学ぶことがありそうですし、その迷ったり、つまずいたりしていたであろう姿の中にこそ、その人自身もまた振り返れば「楽しかった」と懐かしんだであろう日々の姿に、惹かれてやみません。

以前も紹介しましたが、私は弘法大師の次の言葉が大好きです。

岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く

若い頃は、進むべき道が分からずに、岐路に立って途方に暮れて涙を流したものだ、と。

楠の下で、海を望み、山を駈けながら、泣いた日もきっとあったでしょう。

その流した涙が、後の空海弘法大師の糧になっているはずです。

そのこぼした涙が、その魂を磨いたのでしょう。

泣いている小さな真魚、若き日の空海の姿も思われます。

偉大な人を称える時、その偉大さの光で見えにくい、涙の頃も大切に思いたいものですね。



南無大師遍照金剛










平成28年 長谷観音の御開帳に当たり、八重山民謡の奉納がありました。

千年の歴史ある観音さまも、八重山民謡は初めてのことと思います。

でも、観音さまの元々のお住まいは、はるか南の島とか。
もしかしたら、大海原の輝きや潮騒の響を懐かしいでおられるかもしれませんね。

八重山民謡の「あやぱに」の皆さん、ありがとうございました。

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