住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2016年12月アーカイブ

冬至の頃の贈り物 

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その昔、中国では冬至を太陽運行の起点と考え尊い日として祝いました。

  

古代中国の皇帝は、その天の運行を司る能力を天命によって授かるものであり、その神聖な力に則って暦を作りました。

 

周辺の朝貢国は、冬至の頃に「冬至使」という使者を送り皇帝に貢物を献上しましたが、この時の返礼の品として、何にもまして最も重要だったのが暦だったのです。

 

農耕を中心に生きる人々にとって、正しい暦は生死を分ける道標ですから、周辺の国々はこぞって暦を求め冬至使を送ったといいます。


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冬至は、暦の起点として神聖なばかりでなく、日照時間が短くなり最も弱まった太陽が、その日を極として再生してくる日でもあり、太古から天地の運行に従って生きてきた人類にとっては特別神聖な日だったのです。

  

世界各地に冬至の頃に聖者が訪ねてきて贈り物を届ける話が伝えられています。

 

日本にはこの時期に、昔話「笠地蔵」で知られるようにお地蔵さまとか弘法大師が贈り物を届けてくれる伝承がありますし、西洋ではイエス=キリストという最大の贈り物が神様から届けられるのがこの冬至の季節ですね。

 

お地蔵さまや弘法大師のような聖者が贈り物をくださったり、世界に愛をもたらすイエスの誕生がこの季節とされたりするのは、太陽の力が蘇えり天地が命に恵み(慈愛)を与えてくれることを強く実感できるからなのでしょう。

 

この一年も自然災害が続き、天候も不順でした。東日本大震災のころから、便利さや効率重視のライフスタイルを見直す機運が高まりを見せていますし、自然との共生も語られます。

 

しかし自然の厳しさを思えば、共生というより自然の中に生きる存在として、人間や自分自身を見直す必要がありますね。

 

今年の冬至には、改めて暦を見直してみてはいかがでしょうか。

 

きっと天地から与えられる慈愛が感じられますよ。

 

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(明日香岡本寺「葉書法話」寄稿訂正加筆)

長谷寺開基の物語

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これは、数年前に、地元の小学生たちが、有線放送で演じてくれたものです。

語り継ぎたい故郷のお話。

お時間のある時にぜひどうぞ。




蓮の浄土にて

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夏のある日の朝、蓮の花で知られるお寺をたずねました。見ごろを迎えた蓮の花々は境内各所の鉢の上で咲き誇っています。朝の光の中の白蓮の姿に見ほれているところに、寺の住職が通りかったので、つい「美しいですね」と声をかけました。若い住職は、しずかな笑顔で寺の蓮の歴史や、蓮を育てる苦労について話を聞かせてくれました。

毎年蓮を育てながら、その大変な作業に辟易すること。でも、その清らかな蓮の花に癒されること。そして以前は辛いばかりだった蓮の世話が、不思議と年々苦にならなくなり、むしろその大変さの中に深い喜びを感じるようになってきたことなどを、私にというより、まるでその蓮の花たちに話しかけるように話してくれました。

その寺には代々の住職に伝えられるこんな言葉があるそうです。


「蓮を育てているのではない。蓮に育てられているのだ」


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その言葉は、お経に説かれるいにしえの菩薩たちが、何万年もの間、千億の仏に仕えたという話しを思いださせました。この寺では、幾世代もの僧たちが、蓮の花に仕えてその説法に耳を澄ましている。そんなことに思いめぐらしているうちに、目の前の蓮華蔵世界もかくありと咲く蓮の花々が、昔も今も変わりなく咲いてそこにあり、私はといえば自分の子育てを思い、亡き母の供養を思うのでした。子を育てているのではない、子に育てられているのだ。亡き母を供養しているのではない。亡き母に供養されているのだ。そんな言葉となって胸に木霊し、目の前の白蓮の眩しい姿の向こうに、幼い頃の子供たちの姿や、遠い日の母の面影とともに、母が旅立ってからのことがしきりに思われるのです。そして、その子育てや供養の日々の道は、頼りなく、闇の中を手探りで進むように、子の手を取りながら実はその手を杖にして歩き、母への供養の灯明を捧げながら実はその灯明を足元の灯りとして歩いてきた。そんな自分の姿を知るのでした。

白日の蓮の花の夢の浄土で、私も蓮の説法を聴いたのかもしれません。


(明日香・岡本寺 葉書法話寄稿より)

あっという間に12月。

 

子供の頃は感じなかったのに、年齢を重ねるにしたがって時の流れが速く感じられますね。

無常迅速、という言葉がしみじみ感じられる師走です。

 

12月は振り返りの季節でもありますね。

今年はどんな出会いがあり、どんな別れがあったでしょう。

 

人は、あなたに出会って、私になる。

 

そんな言葉がございますが、身近な家族はもちろん、さまざまな『あなた』と出会って、この私は成り立ち織りなされています。

その一本一本の糸である「あなた」は愛する人であったり、憎い人であったり、すでに先だった人もありますね。

また、先だった人であっても、その人と同じ年齢になってみて、初めてその人の気持ちを知る心境に到り、あらためてその先だった方と出会い直すこともあります。初めて我が子を抱いた若い親が、かつてそのようにして自分を抱きあげた親の想いを知るように。親と出会い直すこともありますね。

『あなた』は「人」ばかりではありませんね。見なれた一本の樹。手に馴染むペン。仕事や趣味、一冊の本や映画。

 

さて、今年はどんな出会いがあったでしょう。

師走という忙しい時期ではありますが、この一年の出会い、そして別れについて、静かに振り返る時間を持ちたいですね。


人は、あなたに出会って私になる。

 

ご縁、縁起という仏のまなざしを、自分に引き寄せて行く言葉です。

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