住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

死別のレッスンとしての涅槃会

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3月15日 涅槃会(やしょうま)晴れ  

 

信州では月おくれとなる本日、長谷寺におきましても、お釈迦さまの涅槃会が営まれました。

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午前と午後、あわせて150人ほどのお参りを頂いて、皆さんとともにお釈迦さまへの報恩と追慕のお祈りをしました。

 

涅槃会は、その遺法の末世の弟子たる私どもが、出家も在家もともどもに、お釈迦さまへの報恩の誠をささげる法会です。しかしそれだけではありません。


おもうに、直弟子たちにとっては、父とも母とも慕ったお釈迦さまがお亡くなりになる別れの悲しみはいかばかりであったでしょう。きっと、おそばにいるだけで、言葉で言い表しようもない安心や温かみ、励まし、そしてゆるしを与えて下さる、本当に大きな大きな方であったと思われます。そんな父とも母とも慕う方との別れの悲しみ。


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お釈迦さまとの別れの悲しみのあまり気を失う弟子の阿難


そのように、弟子たちの悲しみが深く刻印された、仏教徒にとっては特別な意味を持つ日、それが涅槃会であります。ですから、この法会は報恩謝徳ばかりでなく、悲しみの追体験と、その悲しみをリフレインする面が大変強いものと言えましょう。

 

法会の中では、死にゆく(入滅してゆく、涅槃に入ってゆく)お釈迦さまを本尊としてまつり、遺されるひとりの弟子としての悼み、嘆きを追体験し、嘆き悲しみという感情そのものを繰り返してゆく。それはあたかも、悲しみという気持ちを特化して純化して、高めて鍛え上げていくかのような感じがするほどです。

 

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ここには、日本人の、死への格別な関心の高さと、悲しみという感情に寄せるやはり格別に強い関心と、ある種の信頼のようなものを感じます。お釈迦さまと弟子たちとが、その別れに際して、どのような別れたのか、どのように悲しみ、どのように嘆いたのか。


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お釈迦さまとの別れに際して足に取りすがるヴァイシャ―リーの老婆


それは、遅れ先立つ習いの作法を学ぶ、やがて逝くものであり、それまでは見送るものである私たちの、死別のレッスンといえるのではないでしょうか。

だからこそ、宗派を超えて広く大切にされる法会なのではないでしょうか。

長谷寺恒例の絵解きは、まさにそんな「死の学び(デス・エドゥケーション)」として、参拝者にとっては、自分自身の死別体験などに引き寄せてお釈迦さまの生涯や言行を受けとめることができ、それぞれ胸に響く、印象に残るものとなります。


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お釈迦さまの生涯とその教えをに絵解きを通じて親しむ


日本人が、お葬式を仏法によって営むのも、死別の悲しみが、もっともお釈迦さまの教えが意味を持って受け止めることが出来る場面だからなのかもしれませんね。

 

涅槃会は、これからも大切にしていきたい法要です。

 

(住職記)

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