住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住まいを看取る仕事

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3月30日 雷乃発声 晴れ 春を感じる


本日は、空き家となるお宅のお仏壇のお魂抜きのお参りをしました。

事情で家をたたむことになる方が増えている昨今、そんな住宅の片付けをしている友人夫婦に依頼され、時々、お仏壇や神棚の魂抜き(発遣)の法要をします。

長い間、そこに住んだ人が、先祖をまつり、たくさん拝んだ仏壇に、最後のお参りをします。だいたい、その時、その家に暮らした人はいません。亡くなってしまっているか、施設や病院におられます。ですので、この友人が、その人やその家族に依頼されて、あるいは自分で施主となって、この小さな法要を営んでくれるのです。


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この友人は、こういう空き家の整理の仕事があると、先ずは家財道具をひとつひとつ丁寧に片付け、処分し、じきに解体される家でもすみずみまでお掃除をし、最後に仏壇や、神棚を片付けます。

でも、長年拝まれた仏壇や神棚は、単に廃棄物として処分するのは忍びなく、しっかりお参りしてからにしたいと、私に声をかけてくれるのです。その気持ちが、とても尊いと思います。ですから、私も、心を込めて、お会いしたことのない、そのお宅に暮らした人や、その先祖を思ってお祈りします。

 

人の生業が、少し前まであった部屋。

今はもうがらんとしてしまい、解体を待つばかりなのに、どこかに、何かが宿っている感じがする。

暮らしを支えた家具や台所用品や、テレビやゴミ箱など、いろんなものがなくなってしまった後にも、何かその家の人の気配のようなものが残っている。そんな気がします。

 

お参りが済み、家の中を少し拝見しました。

二階にあがる古い木製の階段(梯子のような)が、とてもきれいでした。それは、水を固く絞ったぞうきんで、毎日々々拭いて磨いた木だけがもつツヤと輝きで、そこだけを見ても、この家に暮らした人の生き方や心に少し触れたような気がします。

 

もちろん、そんな暮らしの残り香のようなものをきれいに感じさせてくれたのは、友人夫婦が、主のいなくなった家を心を込めて整理し、片付けてくれるからでしょう。私がおもむくのは、いつも仏壇だけになった時ですから、実際に、ホコリがたまり、散らかった状態は見ていません。ですから、そんなふうにきれいにするまではとても大変な作業だと思います。

おそらく、片付けながら、気が重くなったり、切なくなるありさまを目にしたりすることも少なくないと思います。友人夫婦の、こうした「人の住まい最期」を看取っているような仕事ぶりには、いつも頭が下がります。

 

明日にも、我が身辺整理が必要にならないとは限りませんね。本来無一物、とは言いながら、なかなかそうはいかない現代の暮らしの中で、いろいろと考えさせられるお参りでした。

 

合掌

(住職記)

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