住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2018年3月アーカイブ

3回 ながのご縁を~長谷寺でご縁を

「ながのご縁を~長谷寺でご縁を」

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主催

篠ノ井地区住民自治協議会 

塩崎地域委員会「ながのご縁を~長谷寺でご縁を実行委員会」

このイベントは「お寺」という荘厳な雰囲気の中で、真剣に結婚意欲をお持ちになった独身男女の皆様の「ご縁づくりの場」のご提供ができたら・・・と考えております。

新緑の時期を迎え気候も穏やかと思われます。

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。 

皆様お一人お一人を心をこめてお迎えし、よき出会いのお手伝いができればと思っております。                 

ながのご縁を~長谷寺でご縁を実行委員会」一同より

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弘法大師 正御影供

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今日は、弘法大師空海が、高野山に入定された日です。

お大師さまは、密教の深い瞑想に入ることによって、この世に肉体を留めたまま高野山の奥の院に今なおいらして、56億7千万年の後に、弥勒菩薩がこの世に現れるのをお待ちになり、その間ひたすらに衆生を救い続けておられます。


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弘法大師が伝えた密教の法を授ける儀式で用いる曼荼羅


観音の大悲の桜咲きにけり

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観音の大悲の桜咲きにけり

          正岡子規

 

観音さまの寺の桜が咲いたよ、ということですが、「大悲」という言葉があることで、この句はとても味わい深くなりますね。

大悲とは、観音さまの心「大いなる思いやり」ということで、共苦とか同悲ともいい、さかのぼれば「一緒に泣く」「共に震える」という意味をもつ言葉で、サンスクリット語では「カルナー」といいます。

長谷寺の本尊十一面観音さまの真言「おん まか きゃろにきゃ そわか」の「まか きゃろにきゃ」がこの大悲を表しています。

この一緒に悲しむという心が観音さまの『本心』でありその救いの力の働きそのものなのです。観音さまとは「一緒に泣く菩薩」なのですね。

仏教では、この「悲」という働きが、人間の悲しみを癒し、傷ついた心を再生させると考えます。共に泣き、共に震える。苦しみを分かち合う心が、悲しんでいる人を癒し、苦しんでいる私をなぐさめる。

昔から、どの村にも観音堂があるのは、人と人とが生きていくうえでこの同悲同苦の心が大切なのだということを、決して忘れないためにまつったのです。悲しみや苦しみを分かち合う仲間であるからこそ、喜びも共に出来るのです。

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また「かなしみ」という心は、日本人にとってはとても大切です。悲しみは、人生の真実を教え、世界の実相へと私たちを導きます。和歌や俳句などの名作から伺えるのは、日本人はこの世界に悲しみが流れていると感じ、それをより深く受け止めていくことに依って神仏へいたり、さらには深い心境や魂の救済へと導かれていく。悲しみとは、宗教的な心情でもあるのです。

そんなことを踏まえて子規の句を味わってみましょう。

子規は深い悲しみに沈み、その悲しみに立ち尽くしている。そんな子規の前に桜の花が咲き開く。深い悲しみを知る人の眼差しは、その悲しみを知らなかった時には見ることの出来ない桜の美しさを見るでしょう。悲しみが深まり極まっていく時、そこでは見る・見られるのあわいは融けあって、悲しみは共振し、子規は桜となり桜は子規となって一緒に咲き散り、そこに深い慰めがあるのではないでしょうか。

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長谷寺には、たくさんの桜はありませんが、一本一本に観音さまの働きがやどり、皆さまをお待ちしております。開花まで今しばらく。大悲の桜に会いに来てください。

奈良桜井の長谷観音。

この寺のご本尊十一面観世音菩薩様は、少々変わった姿をしておられるます。

ご存知のように長谷観音様は右の御手に錫杖を持っておられます。

ふつう、十一面観音様は錫杖を持ちません。

仏様の持ち物は、その仏様の徳を示すものです。

では、長谷観音様の錫杖は、どんな徳を示しているのでしょうか?




仏様で錫杖といえば、お地蔵様のシンボルです。

ですから、長谷観音様はお地蔵様の徳をも備えている、さらには観音地蔵一体とも称えられています。

日本人の観音信仰と、地蔵信仰とが長谷という霊場で結晶して現れた真に尊いお姿といえましょう。


ところでお地蔵様はその名の通り、大地の蔵、すなわちこの母なる大地の徳、今日で言うなら地球そのものを仏格化したお方です。

仏教の中で大地といえば、思い出されるのは釈尊の降魔成道すなわちお悟りの時、その悟りを阻もうと迫り来る悪魔の軍勢を退ける際に、大地の女神が現れて「仏法は正しい」と証明する場面です。

仏法は、釈尊が自分勝手に「私は正しい」と主張するものではなく、大地がその正しさを保証してくれたのですね。

もはや悪魔も退くほかはありません。

同じように観音経でも、お釈迦様が観音の徳を説き明かすと、持地菩薩という大地の菩薩が「観音の慈悲の力は素晴らしい」と称え、人々に勧める場面があります。

いずれも、大地の名において、仏法や慈悲が讃えられ保証されています。

母なる大地や地球が「いいね!」と認めてくれるのですから、それはもう大いに安心して、また誇りを持って仏道を歩みたいものです。


こうして考えると長谷観音様の「ちょっと変わった姿」も、観音様の慈悲の働きは、母なる大地に根ざす普遍的な心であることを示すものなのでしょう。

揺れ動く世の中に生きる私たちにとって、揺るぎない大地が「これなら大丈夫」と太鼓判を捺してくれるなら何より安心です。

これからも、慈悲の心を大切にしてまいりましょう。                          

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