住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

2018年6月アーカイブ

人が死ぬって、初めて知った

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いい年をして、人が死ぬんだとはじめて知った青年がいた。

「おれも死ぬのか?」と人に聞いたという。

「もちろんですよ」

そう言われて、あまりのショックで家に引きこもったとか。


青年の名は、ゴータマ・シッダールタ、後のブッダ、お釈迦さまなのです。


このエピソードは、仏教徒の間でも、大切にされてきました。

でも、なんか偉大なお釈迦さまのエピソードとしては、なんか格好わるい。

本当の出来事だっとしたら、むしろ、伝記の中から削除、歴史の隠蔽、となりそうですね。

でも、お釈迦さまを慕う弟子たちも、後の時代の仏教徒たちも、この話しを伝えてきた。

隠すどころか、むしろ、大切にし、開祖の一代記の重要な場面として語り継いできました。

「おれも死ぬのか?」とビビッて、引きこもった姿を。


なぜでしょうね。


少し考えてみれば、なんとなく、分かってきます。

だって、私たちも、元気な間は、自分は死なない、と思ってませんか?

死なないと思う以前、死について、忘れてる。

または、知識として「人は死ぬ」ということを知っているとしても、「私が死ぬ」という事は考えない。

または、考えたくない、目を逸らしている。


青年シッダールタも、同じだったのかもしれませんね。

彼は、王子として、英才教育を受けていました。

最高のバラモンのもとで、インドの神話や哲学を学んでいたことでしょう。

そんな彼が、死についてまったく知らなかった、ということは考えられませんね。

生母も、彼を産んですぐに亡くなっているのですし。。。。

むしろ、知識としてはより多くのことを知っていたことでしょう。


でも、ある時まで、それは自分の人生にとって意味をもつものではなかった。

死は、いつも誰かのものであり、遠い、他人事だった。

それが、ある時、なにゆえか、死は、彼の前になまなましい人生からの問いとして現れた。


この時、死に先立って、老と病からの問いも彼の人生の扉をたたいたといいます。


私は、日頃檀家さんのお葬式の法要の導師を務めたり、法事をして故人のことを偲んだりします。

その時、遺族や親族に、それらしいことを、語ったりもします。

でも、お釈迦さまのこのエピソードは、問いかけてきます。

「おまえは、どうなの?」と。


お釈迦さまは、そのとき、王子として城の東、南、西そして北の門を順に開き、はじめに東の門で老人と出会い、ついで南の門で病人と出会い、西の門では死人(葬列)と会ったといいます。

そして、最後に北の門で出家者と会い、老病死を超えていく道を求めて出家する思いが芽生えたといいます。

あなたはいかがですか?

あなたは、老病死について、人生からの問いかけに対して、城壁を立て門を閉ざしてはいませんか?





ふるさとだより

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 時々、県外にお住まいの方に「ブログ読んでます」といわれる。

お聞きすると、もともと長野に住んでいたという人が少なくない。

ふと、ふるさとのことを思い出して、このブログをのぞくこともあるとか。

そんな方にとっては、こんなブログでも「ふるさとからのたより」かもしれませんね。


お寺の周辺は、どんな様子かといいますと。。。、

田植えが、ようやく一通り済みました。

よそに比べると田植えシーズンがとても遅いのが長谷寺のある篠ノ井塩崎。

カエルの歌声が夜になると響いています。


モモやブドウの畑が、忙しい季節を迎えました。

今年は空梅雨で、ナスやジャガイモが、「焼けてこまる」とお百姓さんたちが心配しています。


塩崎小学校は、少しずつ子どもが減って、今年の一年生はとうとう一クラスになりました。

でも「千曲野川の西に沿い♪」という校歌は今も変わりません。

その小学校の東側に「塩崎バイパス」という新しい道が出来ました。

開通にとても時間がかかりましたが、篠ノ井橋の北(庄の宮)のあたりから上町の南の松節まで。

稲荷山方面から長野方面へと、朝夕の通勤の車が塩崎を通過しますが、村の中はかなり車が減りました。

でも、村からこのバイパスへ抜ける道が少なくて狭いから、住民にとっては「ビミョー」です。

それから、今塩崎の南部には、国道18号バイパスの工事が始まっています。

なにしろ、歴史のある土地ですので、遺跡の発掘がえんえんと続いています。

私は、遺跡が好きなので楽しみですが、道路工事は一向に進みません(笑)

いつか、この国道バイパスが開通すると、何か変わるかもしれませんね~。


稲荷山駅は、最近少し工事が続いて、駅舎もきれいになり、ホームのほうも整備されました。

塩崎なのに、相変わらず「稲荷山駅」なのです(笑)

なぜ隣町の名前が、駅名に?

というのは、塩崎の方ならご存知のことでしょうね。

歴史というのは、おもしろいものです。


学校のそばにあった、ガソリンスタンドはもうだいぶ前に閉店してしまいました。

懐かしいお店も少しずつ閉店し、昔を知る人は寂しいと言います。

近々、稲荷山駅前の駐在所も「閉店」らしいです。

お巡りさんがいてくれる安心感があるのですが、残念ですね。

でも、駅のそばの中華料理のお店とか、見山にいく踏切のそばの焼き鳥屋さんとか、人気です。

私は、焼き鳥屋さんのラーメンが好きです(笑)

お寺の総代さんたちとの「会議」がここでよく開かれますよ。

消防団の皆さんとか、お神楽の皆さんとか、みんなここで「会議」を開催しています。

みんな会議がすきなんです。

会議は、長谷観音前のお寿司屋さんでもしばしば開催されているようですよ。

ここの「たまご焼き」は大将おすすめです。


長谷寺のほかに、塩崎には康楽寺さんと天用寺さんという大きなお寺がありますね。

ほかにも、欣浄寺とか浄信寺とか、覚えてますか?

さらに、長谷神社、中郷神社、上町、角間、平久保、それぞれにお宮があります。

上篠ノ井の唐根古神社とか、変わらず大きなケヤキの森です。


駅から少し東南に歩いていくと、四之宮には新しい家やアパートが増えました。

昔の風景しか知らないと、きっとびっくりするでしょう。

でも、そんなに人が増えているわけではないです。

ここもやっぱいり少子高齢化。空き家も増えてきました。

塩崎は、駅もあるし、小学校もあるし、篠ノ井の大きな病院も近いし、高速道路のインターも近いです。

だから、「住むのには良さそうだな」と感じる人は多いみたいです。

でも、市の決まりとかで、あまり住宅は増えません。

そこはちょっと残念ですね。

国道バイパスも通るのに。


また、時々、ふるさとだより、書きますね。


ではまた。




梅雨の露の中に

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梅雨、空梅雨ですが、今は梅雨。

しとしとと、雨が降り、アジサイの花が咲いて、そこにカタツムリ。

そんな風情を楽しむ今日この頃。

天から落ちてくる無数の、それこそ無量無数の雨粒。雨粒。雨粒たち。

そんな一滴も、大地に落ちれば、流れ集まります。

大地にしみこんだり木の根に吸われたり。

根に吸われたら木の中を通って、また葉から大気へ。

あるものたちは小川へ、そして大きな川へと集ってやがて再び大海へ向かいます。

そしてやがて太陽の光を浴びる大海で、ゆったりと気体となって大空へ。

冷たい風が吹いてくれば、雲に生まれて、またあるものは雨に。

雨、雨、雨となった無量無数の雫となって、またここに。


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この一滴が、そんな旅を続けているのを、じっと思い巡らしてみる。

そして、その一滴がこんなふうに、葉にとどまるのをじっと見ている。

小さな、美しい一滴の雨露。

じっと見て、その帰し方に思いをはせ、その行き方に思いをはせる。

その滴には、世界が映っている。

その滴に、この世が映っている。

すると、その映っている世界の奥にはまたまた梅雨の雨が降る。

その中に、無量無数の雨が降る。

その一滴の滴に、思いをはせる。

その滴に、また世界が映っている。

その奥に、また無量無数の雨が降る。

その一滴には、また世界が映っている。


私たちの人生が、そのどこかに映っている。


梅雨の日は、雨粒に学ぶ。

禅が伝える昔の老師さんのエピソードにはハッとさせられるものが多い。


うろ覚えだけど、こんなのがあった。

 

むかし、ある修行僧が心から尊敬する師について修行していた。

清僧として知られる憧れの師について修行することが深い喜びだった。


ある時、師のお供でお出かけをした。

川に差し掛かったが、あいにく橋はなく、渡し舟もなかった。

仕方なく浅瀬を歩いてわたろうということになった。


そこには若い女性もひとり同じように川を渡れず困っていた。

すると師が、どれ娘さんや私の背に負んぶなさい、といって若い娘を負ぶって川を渡っていった。

弟子は驚いた。


若い女性を、尊敬する師が負んぶしている姿に、戒を受け仏道を歩むものとして違和感を受けた。

なぜだろう、どうしてだろう。


ぶじに川を渡り終え、師の背から下ろされた女性も深々と頭を下げて去っていった。

 

しばらく歩いても弟子は師への疑問が尽きなかった。

やがて弟子はたまらず師に尋ねた。

老師さま、我々出家のものは戒を受け、女性に触れることは禁じられております。

しかし、師は触れたばかりか、その背に負われました。

どうしてですか?

 

すると師は答えた。

 

「なんじゃ、お前はまだ下ろしてないのか?」


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さて、みなさんは、どう思いますか?


私も、この弟子の気持ち、わかりますね~。


でも、師の自由さも、素敵ですね。


このエピソードは、折に触れ、思い出します。


思い出すような時は、何か、このエピソードに心が引っかかるのでしょうね。



住職 記



紫陽花の候

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信州さらしなにもアジサイの季節がやってきました。


この花は、雨の季節に人の心を和ませてくれますね。

 

この花の名前は、「藍色が集まったもの」である「あづさい(集真藍)」から名付けられたとか。


日本語って素敵ですね。


英名では「ハイドランジア」というそうですが、この語源も素敵です。


ギリシア語の「水の器」だそうです。


境内には、いろんな色のアジサイが咲き始めました。


どうぞ会いに来てください。



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絵解きの旅

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長谷寺の岡澤恭子は、お釈迦さまの涅槃図の絵解きをしています。

絵解きって何?

涅槃図って何?

と、いろいろ分からないかもしれませんね。

涅槃図は、お釈迦さまの最期の場面を描く絵です。

絵解きは、その絵について、お話をすることです。

つまり、お釈迦さまが亡くなっていくときの物語を、一枚の絵を通じて、語るのです。

下に、その一端をご紹介していますので、ご覧下さい。

少しずつご縁が広がり、時々、各地のお寺さまや学びの会にお声掛けいただきます。

日本全国、お声がけをいただければどこへでも参ります。

今年も北海道、富山、神奈川、そして昨日(6/17)は秋田のお寺さまにゆきました。

宗派もみんな違います。町のお寺、山のお寺、海のお寺。大きなお寺、小さなお寺。

元気な若いご住職、見るからありがたい老僧さま。和尚さまもいろいろ。

お寺の奥さまも、素敵な方がたくさん。

そして集まってこられる、檀家さまや信者さま、地域の方々。

皆さん熱心にお釈迦さまの話をお聞きになられます。

ひとりひとりに、それはそれはいろんな人生があるのでしょう。

それぞれの物語が、涅槃図の前に集って、お釈迦さまの最後のお話に耳を澄まします。

お釈迦さまの絵解きの旅です。

これからも岡澤恭子の絵解きを旅は続きます。









その中の一人

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観音経には、こんな一節があります。


「人々が、金銀財宝を求めて大海に船出したところ、にわかに黒風が吹いて船が悪鬼羅刹の国に漂着してしまった」。


この短い一節は富を求める経済活動の危うさを語っていますが、まるで、私たち日本人の戦後の歩みをたとえているようです。


我が国は、戦後、希望を持って復興の大海に船出し、必死の努力をして荒波を越えて世界でも稀な豊かさ(金銀財宝)を手に入れました。


しかし、私たちの船は、いつの間にか「もっともっと」というむさぼりの黒い風に運ばれて、今や激しい競争と厳しい格差の社会(羅刹国)に漂着してしまいました。


観音経はこう続きます。


「その時、もしもその中の一人が、南無観世音と称えるならば、その人たちはみんな羅刹の難から逃れることができる」。


観音菩薩を呼ぶとは、その本願を活動させることです。


観音菩薩の本願とは、大悲心によって衆生を救うことであり、大悲とはマハー・カルナーすなわち大いなる同悲同苦の心です。


とすれば、羅刹世界に観音様を呼ぶということは、奪い合いの世界に分かち合いの心、愛や思いやりを呼び覚ます、ということですね。


では同悲同苦を呼び覚ますとどうなるのかと言えば、観音経は「全員助かる」と断言しています。


つまり仏教は、観音の力つまり同悲同苦、愛には、奪い合いを直ちに停止させる力があると確信しているのです。


問題は、この羅刹国と化している我が国にあって、誰が「その中の一人」となるのか、なのです。


政治家ですか?


社会活動家ですか?


学校の先生ですか?


マスコミですか?


いいえ、もちろん違いますね。


観音経は強く訴えているのです、あなたこそが「その中の一人」たれ、と。


再生の聖地ハツセに学ぶ

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長谷寺の長谷はそもそもハツセという。

漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。

果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。


終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


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流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。



古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。

そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。

長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である。


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された。

これはいかなることか。

十一面は「大悲」を本願とする観音である。

大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。







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