謹 啓 向寒のみぎり 年内も余日少なく何かと御繁忙の御事と存じ上げます
本年も 当山に御参拝を賜り 誠に有り難うございました 当山では 来る新春には 伝統の大護摩祈祷を厳修し 御本尊十一面観世音菩薩の 大慈大悲の妙智力の御加護による 信徒皆々さまの
厄難消除 家内安全 コロナ退散 各願成就
を御祈念申し上げます 就きましては 下記の通りご案内申し上げます
本年は 新型コロナウィルスの感染防止のため
事前予約 お札の郵送 また分散参拝をおすすめいたします
詳しくは下記のご案内をお読みください
寒さ追々に厳しくなる折柄 御自愛 切にお祈り申し上げます 合 掌
令和二年 十二月 吉日
日本三所 長谷観世音 金峯山 長谷寺
雨乞い祭り 三十三燈籠「さんじょさん」の由来
昔々、長谷観音のある塩崎の里をひどい日照りが襲いました。
人々は嘆き苦しんで、長谷の観音さまに雨を願うとたちまちに恵みの雨が降り注ぎました。
人々は喜び、8月9日の観音さまの縁日に、感謝の提燈を捧げました。
その時にお参りをしたのが三十三軒の家の人々(現在の塩崎山﨑地区)であったといわれ、これが三十三燈籠"さんじょさん"の始まりであると伝えられます。
江戸時代の初めより始まったとされるこの「三十三燈籠献灯祭」。
地元の人は親しみをこめて「さんじょさん」と呼び習わし、この夏祭りを毎年楽しみにしています。
嫁に出た娘たちも、盆前のこの祭りに合わせて子どもを連れて里帰りをし、家々ではおやきを作って孫たちを迎え、日が暮れると「さんじょさん」に出かけました。
祭り支度に身を固め、大燈籠の大棹を担ぐ山崎の若衆たちの「トーユイトー」という掛け声が遠くから聞え、先頭を駆ける「火縄」の炎が暗い参道に見え、ご神体の到着を告げるカチンカチンという拍子木の響きが近づくと、子どもたちも「サンジョサンが来たよ」と待ち構えます。
そして「ワッショイワッショイ」という掛け声とともに若衆に担がれた燈籠が観音さまの境内に駆け上ってきます。
それにつづく長谷太神楽の音色が祭りのムードを盛り上げ、境内の老若男女は「サンジョサン」が立ち上がるのを今か今かと待ちます。
やがて若衆たちが、長老たちの指図によって見事に大燈籠を立ち上げ、観音さまに感謝の祈りを捧げます。
伝統の神楽が舞われると、いよいよ大燈籠は「打ち倒し」のクライマックスを迎えます。
その瞬間の緊張と、若衆たちの気合とともに石段を駆け下りていく様はとても勇壮です。
「さんじょさん」は、観音経が説く観世音菩薩の三十三変化身の教え(無限に姿を変えて人々を救う慈悲の力)や、天地自然とともにある日本古来の神道のこころ、そして自然への祈りと畏敬がこめられた素晴らしいお祭りです。
(長野市無形民俗文化財選択)
令和5年(2023年) 宗祖 弘法大師 ご生誕1250年 記念浄行
ご本尊十一面観世音菩薩の供養法「十一面法」壱千日奉修
●はじめに 発願
来る令和五年(二〇二三年)は、真言宗の宗祖弘法大師空海さまのご誕生一二五〇年を迎えます。
そこでこの尊い仏縁に当たり、長谷寺の本尊十一面観世音菩薩の供養の法である「十一面法」の一千座の修行である「千日祈祷」を発願いたしました。令和二年八月四日(旧暦・六月十五日弘法大師誕生日)より同五年の六月十五日(弘法大師誕生日・青葉祭り)まで、一日一座この秘法を修し、皆さまのお幸せをお祈りいたします。
●十一面法とは
この「十一面法」とは弘法大師が伝えられた真言密教の秘法であり、本尊十一面観世音菩薩を供養し、その大悲の妙智力によって「除災・除病・滅罪・福徳・長寿」の功徳を授かる法であり、古来疫病流行の折、修されてまいりました。「千日」の奉修は長谷寺開基「白助の翁」の縁起の「千日の祈り」にちなみ、千の祈りを本尊十一面観世音菩薩さまに捧げて、檀信徒の皆さまの現世と後世の二世安楽の福徳を願うとともに、世界の平和と疫病(新型コロナウィルス等)退散、災害の撲滅を祈るものであります。また人々の罪を清める「悔過の法」としても知られます。
参拝結縁の皆さまも、この千日祈祷の奉修期間中(令和二年〜令和五年六月十五日)一日でも多くお参りしましょう。
●写経・喜捨で参加する
奉修期間中には写経(長谷寺特製 延命十句観音経写経用紙)勧進をし、並びにお花・お香・お灯明の供養料の勧進をいたします。観音さまへの喜捨奉納の功徳は広大で、ご先祖や大切な故人のみ霊の供養となります。またご家族のお幸せためやご自身の心の安らぎのために祈りを込めて奉納ください。千日祈祷の期間中、何回でもご奉納いただけます。ご奉納者のお名前を十一面法修行の際にお唱えしてお幸せを念じ、特別な祈祷札を進呈いたします。
●浄財を子供たちに
なお、お納めいただきましたご供養料の一部を「おてらおやつクラブ」の活動を通じて支援を必要とする子供たちにお届けいたします。
ご本尊十一面観世音菩薩並びに弘法大師の妙智力が皆さまをお守りくださいますよう、この「千日祈祷」を修行いたしたく、謹んでご案内申し上げます。
金峯山 長谷寺 第三十五世 慶澄 謹白
・弘法大師空海 御略伝
弘法大師・空海は宝亀5年(774年)に今の香川県に生まれました。15歳で都にのぼり大学に学びますが、仏法を志して山岳修行に入ります。
やがて真実の法を求めて留学僧として中国に渡り、偉大な密教僧である恵果阿闍梨より正統な真言密教を授かります。
帰国の後は、人々に密教を伝え、弟子を育て、真実の仏法を広めるために、朝廷より高野山や東寺を賜り、密教の根本道場としました。
仏の教えによって、人々の幸福のためにさまざまな事業を展開し、福祉、教育、書道、文芸、土木工事など多彩で大きな足跡を残しています。
やがて承和2年(835年)3月21日、高野山にて入定されました。弘法大師は今なお高野山で深い瞑想をし、人々を救い続けていると信じられております。
御生誕記念の年にめぐり合うのはありがたいことです。
長谷寺におきましても、さまざまな機会を作って弘法大師についてお伝えしてまいりますので、どうか皆さまもご一緒に弘法大師の生涯や教えを学んで参りましょう。
【御本尊 十一面観音の功徳】
「十一面観世音神呪経」には十一面観世音がもたらす10の功徳である「十種勝利」が説かれています。
1・身体が健康である
2・あらゆる仏に憶念される
(心に留めて忘れずにいてくれる)
3・衣食、財物が自然と備わる
4・あらゆる敵に打ち勝つ
5・慈悲心を起こさせる
6・毒虫や熱病に侵されない
7・刀杖(暴力)の難にあわない
8.火難にあわない
9・水難にあわない
10・横死(非業の死)をしない
また、別の経典には死と死後の功徳をとく「四種果報」もあげられます。
1・臨終にて仏を見る
2・悪趣に生じない
3・非業の死をとげない
4・極楽に生まれることが出来る
御本尊十一面観世音菩薩の「大悲の本誓」は海のように広く、山のように高いものであります。
そのお誓いの力が、私たちの厄難を払い、福を授けてくださるのです。苦しい時代である今こそ、御本尊十一面観世音菩薩の教えを信じて守り、その広大な利益を授かりましょう。
当山のご本尊さまは、開基白助(しらすけ)の翁が、双親菩提のために千日の供養をし、善光寺如来のお導きによって奈良の長谷山より勧請されました。その折、女神瀧蔵権現が現れて白助を導き、瀧蔵権現は姿を明かして天に去るにあたり、その左腕を観音の像に残したと伝えられ、それ以来人肌のぬくもりを失わない「人肌観音」と呼ばれ信仰されています。
この白助の千日供養の本願にあやかり、千日の祈願を申し上げ、ご本尊さまの供養の法を修して、檀信徒の皆さまに除病延命、除災与福、疫病退散、災害撲滅、無病息災をお祈りします。
ヨーロッパの白人たちがアメリカ大陸に新天地を求めて続々と渡ってきました。
ヨーロッパの人々は競って土地を求めていました。
当時、土地勘のない白人たちは、インディアン(ネイティブ・アメリカン)を道案内のガイドに雇いました。
ある白人たちが、馬車を仕立てて西部の土地を目指して旅を急いでいました。
一刻も早く良い土地を自分のものにしたいと、彼らはインディアンたちを急かせて毎日馬車を走らせました。
昼夜に休むことのない大急ぎの旅です。
ところが、あるところまで来たら、インディアンたちはピタリと馬車を止めてしまい、馬を休ませ焚火を起こして休んでしまいました。
先を急ぐ白人たちははじめ奇異に思いましたが、いつまでたっても動こうとしないので、ついに腹を立て、立て、走れ、と命じます。
しかしインディアンたちは座ったまま。とうとう鉄砲まで使って脅かしますが、彼らはたき火を囲んだままじっと座っています。
白人たちは困り果ててインディアンに尋ねました。
「いったい、どうして動こうとしないのか。我々は急いでいるのだ」。
すると、インディアンの一人がこう答えたそうです。
「旦那さんたちの気持ちはよく分かる。
しかし、旦那さんたちがあんまり急かすものだから、急ぎすぎて魂を置いてきてしまった。
もうじきわしらの魂が追いつくから、それまで少しだけ待ってくれ」。
白人たちは、その言葉を聞いて、何か思い当たることがあったのでしょう。
鉄砲をしまい、インディアンたちと一緒にたき火を囲んで腰を下ろしました。
そして一緒に、彼らの魂が追いつくのを待っていたそうです。
この忙しい現代社会を生きる私たちの魂はどうでしょう。
どこかに置いてきてしまってはいないでしょうか。
ご先祖の魂がお帰りになるお盆。
じっと腰を下ろして、私たちの魂が追いつくのを待ってみませんか。
じっくり味わいください。
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祈り
山尾三省
南無浄瑠璃光
海の薬師如来
われらの 病んだ身心を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
山の薬師如来
われらの 病んだ欲望を 癒したまえ
その深い 青の呼吸で 癒したまえ
南無浄瑠璃光
川の薬師如来
われらの 病んだ眠りを 癒したまえ
その深いせせらぎの音に 安らかな枕を戻したまえ
南無浄瑠璃光
われら 人の内なる薬師如来
われらの 病んだ科学を 癒したまえ
科学をして すべての生命に奉仕する 手だてとなしたまえ
南無浄瑠璃光
樹木の薬師如来
われらの 沈み悲しむ心を 祝わしたまえ
樹ち尽くす その青の姿に
われらもまた 深く樹ち尽くすことと 学ばせたまえ
南無浄瑠璃光
風の薬師如来
われらの閉じた呼吸を 解き放ちたまえ
大いなる その青の道すじに 解き放ちたまえ
南無浄瑠璃光
虚空なる薬師如来
われらの乱れ恐れる心を 溶かし去りたまえ
その大いなる 青の透明に 溶かし去りたまえ
南無浄瑠璃光
大地の薬師如来
われらの病んだ文明社会を 癒したまえ
多様なる 大地なる花々において
単相なる われらの文明社会を 潤したまえ
Om huru huru Candari
matangi Svaha
オーム フルフル チャリンダー
マートンギー スヴァーハー