住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

長谷寺: 2008年3月アーカイブ

太古の人たちの宗教について分かっていることは少ないのだと思うが、長谷寺のある土地も、仏教寺院となる遥か以前から何らかの聖地とされていたのだとおもう。

そう考える理由はいくつかあるのであるが、そのひとつが彼岸の日の出だ。

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長谷寺は東向きに建立されているが、彼岸の日のでは、まさに真正面から顔を出す。

先日、母の一周忌の法事が営まれた。

時の経過を早いと感じたり遅いと感じたり、人間は時計の針の運行のようにはいかない心の流れを持っている。

わけても日本語の『とき』という言葉には、解く、溶く、融ける、ほどけるなどと通じる語源があるそうだから、何か固いものが融け出したり、固く絡まった糸がほどけたりするような、状態の変容を認めたときに初めて時が経ったと感じ取る面があるのであろう。

その意味で、母の死から一年間時計の針を運行を続けたのだが、僕の中で『時が経った』とうなずくことが出来るだろうか。

 

この一年で、母の夢を3回みた。もっと見ているのであろうが、目が覚めても記憶に残っているものは3回で、そのうち1度は声だけであった。電話で話をしたのである。

 

裏山石仏.JPGのサムネール画像
 

2019年3月

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