住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

長谷寺: 2012年2月アーカイブ

大丈夫。

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『暮らしの手帖』で、小児科医の細谷亮太先生のエッセイを読んだ。

先生は聖路加国際病院で長年小児がんの子供たちを治療をしている。

俳人でもあり、優しい語り口で、講演やラジオでも素晴らしいお話をされる。

このエッセイでは、ご自身が、小児がんの子供たちの治療を続けながら、いつしか口癖のようになった「大丈夫。」という言葉について、ご自身の子供の頃の話に始まり、誕生日をめぐる思い出や、その誕生日が正月2日であることから、実は今年が定年前の聖路加での最後の1年となること、そしてその最後の1年であるがゆえに、「一年の計」についてより一層深く考えられていることが語られています。

チュンダよ、自分を責めるでない

 

季節はめぐり歳はあらたまり、もうお釈迦様の涅槃会を迎えます。

この一年の間に、どれほどの別れがあったことでしょう。

遅れ先立つは世の習い、とは言いますが、大切な人を亡くすと、私達は時に自分を責めてしまいます。

 涅槃会に掲げられる涅槃図の物語に欠かせないのは、お釈迦様に「最期の食事」を捧げた鍛冶屋のチュンダです。

 チュンダは、憧れのお釈迦様に食事を供養できることを誇りに思って最高の食材を求めましたが、気の毒なことにその時の茸がもとになって、お釈迦様の体調は悪化してしまいます。

 チュンダは、自分の食事のせいでお釈迦様の死期が早まったことを嘆き、人々にも非難され、とうとう自分がお釈迦様を死なせてしまうと我が身を責めます。

 このチュンダの心情と周囲の動揺を察したお釈迦様は、チュンダに向け、そして周囲の弟子らにも聞こえるように殊更きっぱりとこうお説きになります。


チュンダよ、私が死んでいくのはお前のせいではない。

私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである。


 私は、この一句を読んだり聞いたりするごとに、お釈迦様は、未来のすべてのチュンダに向かって語りかけているのだと思うのです。

「あの時に私がこうしていれば、あの人は死なずに済んだのではないか」

「いや、ああしていれば...」と、自分を責め、ひとり苦しむ多くのチュンダ。

そんなチュンダである私達に向かって、お釈迦様は、「あなたのせいじゃない、心の重荷を降ろしていいのだよ」と語りかけていると思うのです。

 皆さんのそばで、チュンダが泣いていませんか。

 知らずにチュンダを責めていませんか。

 あるいは、ご自分を責めていませんか。                                   


(奈良 明日香 岡本寺 はがき説法に寄稿)

2012年3月

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