住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

長谷寺: 2014年11月アーカイブ

一本の手に

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一本の手に

私たちは、寺社に詣でて、神仏に自分の願いを聞いていただこう、叶えていただこうと祈ります。しかし、ある師はおっしゃいました。

それは逆なのだ、と。

そうではなく、寺社に詣でたら、自分の願いを聞いてほしいと願う前に、耳を澄まして神仏の願いを聞くのだ、と。そして、その願いが叶うよう祈り、そのためにお手伝いさせてくださいと誓う。そういう人の願いが叶っていくそうです。

千手観世音菩薩は、ご存じのように手が千本ある観音さまです。あらゆる人々を、あらゆる苦難や悲しみに応じてすくい取ろうというお誓いによって、あの千の手を持っていらっしゃるのです。

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本当に手が千以上ある千手観音と大足石刻(中国)| 世界遺産

(「トリップハンター」ホームページより)


しかし、初めから、千本あったわけではありません。そうではなく、二本の手で救いの修行をしていたのです。でも、救っても救っても次から次へと迷い苦しむ人があり、この菩薩は自分の救いの力の及ばぬことを嘆きます。「もっと、もっと救いの手があれば」と強く願ううちに、手が少しずつ増えていきました。しかしまだまだ及びません。それほど世界の悲しみは深いのです。どれほど永い年月が流れたでしょう。ある時、この菩薩は、どんなに世界に悲しみがあろうとも、決して救いをあきらめないという広大無辺の大誓願を持つに至り、とうとう千の手を持つ観音菩薩になったといわれます。

あの千の手には、救っても救っても救い切れないという深い悲しみと、でも決してあきらめない永遠の救いの誓いが表れているのですね。

間もなく年の瀬。この一年をふりかえる季節。千手観音さまに詣でて、その前に立ち、手を合わせて「観音さまの願いは何ですか」とお聞きになってみてください。私の願いを聞いてください、と願うのは後まわしにして、その千の手に表れる観音菩薩の願いに耳を澄ましてみましょう。私たち人間の悲しみに寄り添い、いつもでもその手を差し伸べ続けるという誓願に。そして、どうぞ私をその一本の手にしてください、と願いましょう。あなたの思いやりが、観音さまの誓いの手になっていくなんて、素敵だと思いませんか。

明日香 岡本寺 はがき法話 寄稿より

鳩文字の額

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善光寺さんの鳩文字の額はとても有名です。五羽の鳩が隠れているのを、参詣者が数えている姿を見かけます。鎌倉の鶴岡八幡宮も知られていますが、この鳩文字は、全国の神仏の霊場にしばしば見られます。信州にも、飯山の小菅神社の鳥居にかかる「八所大神」、安曇野の満願寺の仁王門にかかる「救療山」の額にも、鳩と思われる鳥が描きこまれています。

長谷寺の観音堂にかかる額にも、「谷」の字に二羽の鳩が描かれています。

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この額の書は、江戸時代の正徳年間の頃に、京都の仁和寺の門跡となられた守恕法親王さまによるものです。どのような縁によるものか、古い時代に長谷寺周辺が仁和寺の荘園であったとされることからかお書きいただきました。堂々たる大書で、長谷寺のお観音さまの霊力をあらわしているようです。

古来、神域の入り口に建てられる鳥居。神のお使いである鳥が降り居る特別な場所の印ですね。長谷寺の額も、鳥居が神域であることをあらわすように、お堂正面に高々と掲げられて、長谷寺が特別な霊場であることをあらわしていると思います。

寺の字をよくご覧いただくと、宝剣と如意宝珠が巧みに書かれているのがお分かりと思います。それぞれ、宝剣は除災を、如意宝珠は招福をあらわすシンボルですから、この字をもって、長谷観音が除災招福のご利益を得られる寺であると告げているのですね。

文字というものについて、私たちの祖先は、神秘的な力、霊的な力を感じていました。とりわけ漢字には、畏怖に近い気持ちを抱いていたと思います。現代人の私たちでも、この額の文字をじっと見つめていると、なにやら動き出しそうな感じがしてまいります。

今度お参りしたらぜひじっくりと鳩文字の額をご覧ください。

観音さまの除災招福のパワーを感じて頂けますよ。

火渡り~スナップ集

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火渡り修行~柴燈護摩火生三昧

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平成26年 11月16日

真言宗智山派 長野南北青年会

被災地復興祈願 国土安穏 檀信徒健勝 世界平和

柴燈護摩火生三昧法要


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火渡り修行の朝、爽やかに晴れた朝日にもみじが美しい。



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朝日を受けて、法要の始まりを静かに待つがごときご本尊。

不動明王。


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法要を前に、支度万全確認をする出仕の行者。


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いよいよ法要、列をなして道場へと進む。


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修験道は、山の宗教。

伝統の山岳修行のいでたちに身を固め

法螺貝を吹き鳴らして魔を祓い、十方に法要を知らせる。


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しめ縄で結界された聖なる護摩道場へと進む。


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道場に整列着座


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山の修行らしいさまざまな祈りの姿

宝斧加持


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宝剣加持


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宝弓


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願文~この度の柴燈護摩法要の願いを高らかに唱えあげる。


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本尊前の聖火よりいただいた火によって点火


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燃え上がる炎、わきあがる煙。
祈りよ届けと導師の作法も進む。

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燃え盛る炎をじっと見据える本尊不動明王。


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火炎の中に十方信徒の願いを込めた護摩木を投入。


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いよいよお浄めをして火渡りへと進む


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祈祷札とともに渡火する住職


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つぎつぎと火渡りをする僧侶たち


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ちびっこ山伏は法螺貝を吹きながら


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参詣の皆さんの火渡りが始まる


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燃え上がる炎からもうもうと煙がせまる


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小さな子も勇気をふるって


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心から手を合わせる


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渡り終えて本尊に手を合わす


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行者さんと一緒に渡る


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わずか数歩の歩みが遠く感じられる


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400人ほどの方々が祈りを胸に火渡り修行



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火渡りを終え、導師に無病息災のお加持を受けてお札を授かる


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法要が終わり、本堂前にて法楽をげる


一緒に準備してくださった皆さん有り難うございました。

一緒にお祈りをささげてくださった皆さん有り難うございました。

一緒に片づけてくださった皆さん有り難うございました。

お蔭さまで、無事に大法要を勤めることが出来ました。

柴燈護摩は、たくさんの人の支援なくしてはできない法要です。

経験ある人(先達)の智慧や技術。

それを形にしていくたくさんの人手。

道場を支度する人、周りの掃除をする人。

表で活躍する人、裏方で法要を支える人。

参拝者をお迎えする人、案内する人、送り出す人。

お手伝いの人にお茶を出す人、おむすびを握る人。

飲み終え食べ終えた後の片づけをする人。

こうして法要に参加する人と、そのために留守を守る人。

いろんな人、人、人たちが、いろんな立場、いろんな思い、いろんな関わり方で営む。

燃え上がる炎、立ち上る煙。

そこにこうしてえにしあって集ったみんなの祈りが込められている。

初冬の青空に吸い込まれていく祈りの煙。

火渡りの前と、最中と、渡り終えたときの心。

足の裏の感触。

耳に残る読経と太鼓の響き。

煙のにおい。

 

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また皆さんと一緒にこんな祈りのひと時を営みましょう。







火渡り修行、いよいよです!

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いよいよ迫ってまいりました!

 

長野県内の真言宗の青年僧侶によります、柴燈護摩、火渡り修行!

 

11月16日 午前10時より 長谷寺にて

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東日本大震災を始め、近年相次ぐ自然災害の被災地の早期復興と暮らしている皆さまのお心の安穏、そして広く世界の平和と人々の安らぎを祈ってお勤めされます。

 

火渡り、柴燈護摩は、修験道の法要です。

修験道は、日本の古来からの宗教心、自然を尊び、また畏怖する心、神道の祈りと、仏教の心、さらには道教やさまざまな信仰が融け合ったものです。

柴燈護摩は、その修験道の法要のひとつで、屋外に薪を積み、神仏をお招きし、聖なる火を熾して供物をささげる盛大なものです。そして時に、その時に焚きあげた燃える炭を平らにならし、その上を修行者や信者で歩く「火渡り」が行われます。これを特に火生三昧といい、大変大きな福徳を授かると申します。

 

信州では、なかなか身近にお参りも体験もできない柴燈護摩、火渡り修行。皆さまのご参拝、ご修行をお待ちしております。

 

参加は無料です。

 

「火渡りの証」を特にご希望の方は、金三百円にて頒布いたします。この売り上げはすべて被災地にお送りいたします。

舒明天皇の御代、信濃国更級郡姨捨山のほとりに、白助の翁といふひとあり。允恭天皇六代の孫なるが、祖父に朝家に不忠のことありて信濃国に流されてより土民となって貧しく暮らしていた。白助は。。。

 

鎌倉時代の初期に、奈良長谷観音の聖たちによって編纂されたという「長谷寺験記」。その下巻の第一話に収録される、このお話し。あの柳田国男も注目したお話です。

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当山開基伝説「白助物語」は、平安の都人の憧れの地であった「さらしな・おばすて」を舞台に、亡き親を思う孤児の悲しみと祈り、善光寺如来の登場、山と初瀬のお山への巡礼と観世音菩薩の降臨、そのお告げによる女性との出会い、信濃さらしなへ帰ってからの殿さまとの知恵比べ、そして妻の力を借りて富み栄え、報恩のために観世音菩薩をまつり寺を建てる白助、最後には、妻がその正体を明かして去っていくまでがストーリー性豊かに語られる物語です。

 

さらしな、という月の都は、悲しみと再生の地。

 

ハツセという地もまた、古来、黄泉への通路、果てる瀬、またはっする瀬として、再生と浄化をいのる地。

 

シラスケという名の「シラ」は、「生まれ清まり」をしめす、古くからの言葉。

 

こうして折り重なる悲しみと再生のイメージの中に、降り立つ観音菩薩。

 

ここには、日本人と仏教の出会いも静かに語られてあるように思えます。

 

とりわけ、最後に、観音の像に、日本の女神の腕を取り付けるという印象的な場面と、それによって温もりを失わない「人肌観音」になったというお話しには、神仏の出会いの秘密が描かれてあるように思います。

 

長谷寺という一つの寺の始まりを語るだけではなく、昔々の日本人のこと、また人間の心のドラマとして、深い味わいがあるがゆえに、長く語られてきたのでしょう。

 

長谷寺では、いま、この物語の絵解き用の絵を制作しています。完成を楽しみにお待ちください。

【長谷観音の宝物~経筒(部分)

昭和9年、折からの大雨で観音堂の裏山の斜面で小規模な土砂崩れが続きました。そこで長野県の助成を得て、地盤の弱い傾斜地の何カ所かで石積み処置が施されました。

その工事の時、ある場所で大きな石の下から、砕けた甕ととともに出土したのがこの写真の経筒。

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何枚もの宋銭とともに、経巻だったと思しき紙と共にでてきた金銅製の筒。

そこには、わずかに文字が読み取れました。

仁平元年七月。。西暦1151年の銘の入ったもので、その他にも法華経などの経巻の名前、南無大日如来の文字などが刻まれてありました。

霊場にお経を埋める信仰は、平安時代、とりわけ藤原道長などの摂関期に末法におののく風潮の中で盛んになりました。長谷寺の経筒は長野県でも最古級に属すもので、平安末の時代から確かにこの地が霊場であったことを示す貴重な資料となりました。

残念なのは、この埋経の願主となった僧侶の名前の部分が欠損しており不明なことです。また、法華経の奇数巻だけの出土だったので、残りの偶数巻が今なお観音堂の背後の何処かに埋蔵されている可能性があります。1000年前の人たちの祈りが山の何処かに眠っているのですね。

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