「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
シラスケ物語(長谷観音開山伝説)余録の最近のブログ記事
観音@ハツセ考
風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。
今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。
最初の種が落ちたのはどこだったのか。
あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。
果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。
長谷観音の開基シラスケさんのお話が落語になった!
聞いてびっくり、笑って納得。
長谷観音のはじめて物語。
長屋の物知り甚兵衛さんとお調子者の熊五郎が、信州長谷観音の昔話で一騒動。 信州長谷観音はいつ、誰が、何のために創ったのか。 シラスケとは何者? 親のために1000本の塔婆を建てたって? 善光寺如来が千日の湯に入ったって? 観音さまのお告げで謎の美女と結婚! 美しい妻をめぐって白助と悪代官の知恵比べ。 最強の力士とヨボヨボ爺さん力士の相撲対決やいかに。 そして、妻との悲しい別れと人肌観音の秘密とは? 美人の女房と5万石のご利益を目指して、熊五郎が一大決心、その結末やいかに。
長谷寺の開基の縁起を伝える「白助物語」(→詳細はこちら)を、昨年落語家桂七福師匠にお願いして落語にしていただいた。その「ふるさと落語『白助物語』がCDになりました!
本日、19時40分から、篠ノ井有線放送で、塩崎小学校の放送委員会の皆さんによる放送劇『白助物語』が放送された。
素晴らしい!
長い間、地元の人たちの間でも忘れらていたこの長谷寺開創の物語が、この平成の世の子供たちによって見事に演じられた。
たまたま、昨年の秋、4年生たちが地元を学ぶ授業の一環で長谷寺を訪ねてくれたので、私は「こんな話があるんだよ」と、白助物語を語ってお聞かせしたことがありました。
それからしばらくすると、放送委員会の先生から電話があって、かくかく云々で、放送劇に仕立てることになりましたよ、という。なんでも、先生は別のお話を台本にしようと考えていたそうであったが、子供たちが「シラスケ物語がいい!」といったというのです。
嬉しいではありませんか。
シラスケのお話の素晴らしさを改めて顕彰したい私としては、こんなに感激することはありません。
しかも、シラスケ役の男の子の見事なシラスケぶり。
他の役柄の皆さんも、みんなとっても上手でした。
練習時間がなかったとのことでしたが、さすがは放送委員の皆様です。
塩崎小学校のみんな、有り難う!
長谷寺を開基した伝説の人、シラスケさんは、その物語の後半で、観音さまの導きで出会った美しい妻をめぐって土地の権力者と勝負をする。
妻をかけて、その勝負は2回。
一度目は「弓くらべ」。
二度目は「相撲」であった。
この弓くらべに関しては、これまで僕もあまり関心を払わなかった。
相撲のほうは、今日でこそ「スポーツ」として社会的に認識されるようになってしまった感があるが、ほんらいは神意を問う御神事だったものと思われる。
同じ力量のチカラビトの2人が、無限な円の中で立会い、四つに組み闘う。
この時、その勝敗により、神意をはかったのではないだろうか。
生まれ清まった者
白助=シラスケ
最後に白助の名前と長谷という言葉について触れましょう。
まずは白助という名前から考えてみたいと思いますが、シラとスケを分けて考えてみます。先に「助=スケ」ですが、この言葉は日本に古くからある言葉で「男」を指すようです。赤胴鈴之スケ、といったり、芥川龍之スケ、というように、男であることを示す言葉です。また奈良時代の官庁の役職である四等官では長官に次ぐ時間のことを「輔・介」等と書いてスケと読みますが、ここにはサポートするもの、手助けするものという意味合いがあるでしょう。
筆者が注目し問題としたいのは「白=シラ」です。日本の民俗学の最大のテーマであり最大の謎とも言われる「シラ」が、長谷寺を開基した男の名前に冠されているのです。
白助物語の時代は、その記述どおりの時代まで遡るとすると、今から一四〇〇年ほど昔に遡ることになります。この時代は、これまでに検討してきたように、仏教の伝来からそれほど時代が下っていない頃と考えられます。
旅の終わり
その後九ヵ年を経て、くたんの本尊の左手忽然として失せぬ。時天くもり山幽にして、翁が家を巻き覆い、夜中に及んで件の女房の云う。我は是れ長谷寺の地主瀧蔵権現なり。大聖の御使に此の所に来れり。然るに此本尊の御手失せ給ふ事並びに我が怪異也。汝が所願すてに成就す。我れ本山に帰って、常に此の山に影向し、この伽藍を守り奉んと思ひ、日頃汝と夫婦なりと。人に語るべ可らす。但し、後の形見の為、来世衆生のため、我が一手を留と云て空に上り、霞に入ってうせたまいぬ。則ち亦具する所の童、我は是れ長谷の山口の神なり。日頃汝に仕と。人に語るべ可らずと云って同じく天に上る。
大意 白助が代官となって寺を建てて九年が過ぎたある日、白助が造った本尊の左手が突然なくなってしまいました。その時、空はにわかに曇り、山は怪しい気配に包まれ、白助の屋敷はすっかり雲に覆われてしまいました。夜になって妻がこう言いました。『私は実は奈良の長谷寺の土地の神である瀧蔵権現なのです。大聖観世音の使いとしてここにやってきていたのです。先に本尊の左手を消したのも私が示したことでした。あなたの願いはもはや叶っています。私は大和の長谷山に帰ってからも、常にこちらの山にも守護の光を向けるでしょう。これまではこちらの伽藍を守ろうとお前と夫婦の姿を取ってきたのですが、このことは人に語ってはなりません。ただし私の形見として、また後の世の人々のために、私の手を留め残していきます』。そう言い残し、妻であった瀧蔵権現は天に上り霞に消えてしまわれました。そしていつも供にいた童子も『私も大和長谷山の山口の神である。これまではお前に仕えて参った。このことは決して人に語ってはならない』と言って天に上っていってしまいました。
白助の満ち足りた幸福な暮らしが九年間続きました。しかし、白助はいよいよ本当の意味で自立する時を迎えます。彼をずっと支えてきた妻と童子が、自分の本来の姿を明かして去っていくのです。人間が一人の大人へと成熟し自立していくためには、時には愛して止まない存在との決別を果たす必要があります。おそらく、未熟な彼の欠点を補っていた女性と童子が、白助がもう十分に成熟したのを見届けて去っていくのでしょう。
旅から還って
夢さめて下向しけるほどに、初瀬の里、森というところにて、童子一人具したる女に合ぬ。みめことからゆゆしくして、立ち寄るべき様もなし。翁兎角親しみ依って、夢想の様を語る。女則ち汝に従わんと云う。悦んで具足して本国更級郡に下る。
大意 白助は、夢から覚めて山から下りていくと、初瀬の里の森というところで、童子を一人連れた女と出会いました。その女は姿形がとても美しく、白助としては近づきようもありません。しかし翁は兎にも角にも親しげに近寄って、夢の経緯を語って聞かせました。すると女はただちに『あなたに従いましょう』と言うではありませんか。白助は大喜びで、さっそく女と童子を連れて故郷の信濃国更級郡へ帰りました。
白助の物語は、これまで彼の内面的な修行が中心でありましたが、この辺りから、白助の冒険はむしろ現実の世界との関わりが中心になってまいります。文字通り夢からさめ、現の世界での活躍へと展開していくのです。観世音菩薩はその経典が説くように「現世利益」の願いを叶える仏といわれますが、前章までに描かれたように、現世において利益を得るためには、慈悲心(観音性)の回復や再生が前提とされます。観音経がその全段を通じて「一心にその名を称えれば」とか「彼の観音の力を念ぜば」というのは、救済神としての観音を呼ぶということのみならず、私たち自らのうちに秘められている慈悲心呼び覚ますこと、あるいは傷ついて死に掛っている観音性を蘇生されることも意味しています。内的に仮死状態にあった観音性という精神が、私たちのうちに蘇るとき、今日の医療が提唱する「実存的転換」があり、従来の実存において解決できなかったことが解決したり叶わなかった願いが自ずから叶う。慈悲心(観音性)というのは、実存においてはそれほど重要な働きをなすものといえるのでしょう。
旅の深まり
翁かの説法の詞にしたがって、当山(※奈良の長谷山)に尋ね入るに、寳石いまだ顕はれ給わざる前なれば、堂舎もなく、本尊もいまさず。ただ茫然として山に向かうほどに、中心に當って光を放つところあり。其の在所に卒塔婆を立て、毎月に香花を備えて礼拝し念誦すること三ヵ年。
大意 白助は善光寺如来が姿を変えて顕れた僧の教えにしたがって、奈良の長谷山を尋ね入っていきました。しかしその頃はまだ、ご本尊が出現した宝石も顕れていませんでしたので、当然お堂もなければ本尊もありませんでした。白助はただ呆然とし、山の奥へ奥へと向かっていくと、山の中心あたりに光を放っている場所がありました。白助はその場所を選んで卒塔婆を立て、月毎に香や花を供養し、礼拝し、念じ経を唱えること三ヵ年に及びました。
白助は善光寺如来のお告げを真っすぐに信じて、はるばると奈良の長谷山を訪ねます。しかし、そこにはまだお堂もありません。物語の冒頭にありましたように、白助の旅は奈良の長谷寺が開山される百年も前のことなのです。当然のことながら今日のような立派な伽藍も何もない森閑としたところへやって来てしまい、白助は呆然とし、とりあえず山の奥へ奥へと進んでいきます。しかしその長谷山の奥の中心と思われる地点までやってきてみると、何やら神秘的な光を放っている場所があり、白助はそこで両親菩提のためにお参りをし、それが三年続いたということです。



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