住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

社会の最近のブログ記事

八十も半ばの老婆が ただ独り 玄関と勝手口の間にある納屋の土間に座って ペシャンコの法被をはおり 冷えた鉄のような手をこすりながら 毎日訪れる唯一の人である 新聞配達の婦人を待っていた

周りを 山と畑と雑木林に囲まれたその場所では 老婆がはめている 薄利多売の腕時計の音ですら カチコチと良く聴こえる

途方もない疲労と 長く味わった寒さのおかげで 意識と足と腰の痛みは やや薄まっている

時刻は 午前一時を二十分も回った頃だろうか 

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月曜日の午後三時頃 老婆は畑から家に戻ろうと 僅かに水の入ったバケツを片手に持ち(明日はまた 菩提寺の若さんが手伝いに来るなあ) と思いながら 歩き始めた

家まで50mの地点で ビニールハウス跡の 剥き出しになった骨組みの一つに 老婆は躓いて転んだ

山尾三省生誕70年祭 アニミズムという希望

日時 10月11日(土)14:00~20:00 
開場 東京・お茶の水の全電通ホール
入場料 前売り2500円/当日3000円

第1部 リレートーク
 長本光男(長本兄弟商会・八百屋)/加藤行衞(日本山妙法寺・僧侶)/
 渡辺眸(写真家)/槇田きこり(冨士山北口御師)/
 兵頭昌明(山尾三省記念会代表・屋久島)

第2部 シンポジウム
 今福龍太(文化人類学者)/鎌田東二(宗教学者)/
 田口ランディ(作家)/長屋のり子(詩人)

第3部 三省の詩を歌う
 李政美/長沢哲夫/内田ボブ/松井智恵/山本純/
 じゅごん/眞理ヨシコ(堀之内幸二/龍聡/賀川純)

主催:山尾三省生誕70年祭実行委員会
後援:山尾三省記念会
問い合わせ先:野草社  tel.03-3815-1701
       新宿書房 tel.03-3262-3392
       地湧社  tel.03-3258-1251


前売券:電話で確認のうえ、
「ゆうちょ銀行・振替口座 01000-9-74497 加入者名 野草社」へ
お振り込みください。前売券を郵送します。


同時開催【山尾三省回顧展】
10/9(木)~13(月)
space NEO(東京・お茶の水)にて

総理大臣

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また総理大臣が辞めてしまった。

庶民の想像を絶する重圧があるのだろうけど、もう少し何とな踏ん張って欲しかったなあ。

それにしても、行政のヘマやだれそれ大臣の事務所費やら前総理以来政策とは関係の無いことで政治家同士がワーワーと争っていて、肝心の政策論議はないし、政治そのものをしているように見えない。

実は、与党も野党も、政策を論議する能力がないから、こういう状況を作り続けて国民を煙に巻いているのではないだろうか。

まともに政策を話し合い始めたらたちまちにボロが出て政治部の記者にやり込められたりして。

もっとも、こうやって大衆レベルで批評家ぶってああだこうだと言うのはお気楽なもので、問題があまりにも多くあまりにも複雑で、それに対する意見や提案も多岐に渡りすぎている上に、とにかく前進していくための合意を形成したり決断をしていく「仕組み」が無いのではないだろうか。あるいは、従来の仕組みではもうどうにもならなくなっているか。

きっと政治だけがおかしいのではなく、やはり国全体の、同時代の我々人間のあり様を映し出しているのだろうから、「無責任だ」と鸚鵡のように責め立てても始まらない。「無責任」コールに終始している野党だって、それしか言ってない所を見ると、「オレならこうする」という代替案もないのだろう、と馬鹿にされても仕方が無い。

小学校でPTA役員を決定するのに深夜まで要する社会である。

自分たちが参加している社会であるから、その決定や結果については、自分に責任があるのだと、切り替えていくべきなのだろうが、どうも「お上任せ」の意識は僕らに根強く、またお上のお役人たちも、下々のものは心配せず任せておけと、幕閣のような気持ちでいるのだろう。

腹を切るような決死の覚悟で下々の上に立っていた大昔とは違うのだから、僕らも、責任の所在の明確化や、意思の決定の仕組みについて、それから決定したことに対する引き受け方など、意識を変えていかないとならないのだろう。

そうしないと、総理は任期が一年交代制になってしまう。

あんがい、それもいいかもしれないが。

福島県で、帝王切開手術で娘を亡くした父親が起した裁判。

※ご指摘により、下記のようにた訂正します。

福島県で、帝王切開によって女性が死亡した出来事をめぐる裁判。

 

僕の友人も手術中に命を落としたが、それも医療ミスではないかと疑われている。

医療の進化は高度化を伴うから、現場の医師の能力もそれに伴って進化を求められよう。

でも、医師だとて完璧な人間ではないから、ミスをするということを前提とした思想の中で、そのリスクの可能性を縮小する仕組みを形作って、高度先端医療を実践していくしかないだろう。

僕も、先年母を亡くしたが、その治療中に手術をするに当たって「誓約書」を書いた。

裁判の社会になってそういうものも要請されるようになったものだろうが、なんとなく「文句言うなよ」という病院側の態度が気になった。

手術実績は、その病院にとっても医師にとっても、自分の『売り』になるものだ。

私の母の場合も、当初の診断ではもう手術をしても成果を期待できないから化学療法で、というものだったけれども、途中で方針が変更されて「やるだけやってみましょう」ということになった。今となっては、初期の診断をした医師の意見をきちんと聞くべきだったと悔やまれもするが、担当の外科医は「有能」であるとされていたし、「やるだけやってみる」という言葉の中に少しの希望を見出したい家族にとっては、外科医の力に望みをかけたくなるのは自然なことであった。

しかし、12時間以上は要するといわれて挑んだ手術だったが、わずか数時間で「終わりました」と告げられた。

その時に直感したのは、この手術は患者の治療のためではなく、その手術実績を上げるためのものだったのではないか、ということだった。

病院にとっては、それによって難易度の高い手術の回数はひとつ増えたことになっただろうが、その大手術のダメージは、一人の命を支える体力・気力を大幅に奪うことになる。

母の場合は、その後の抗がん剤が大きな効果を上げたので、当初告げられた『余命』の何倍も一緒に過ごすことができたが、もしも化学療法をスタートする時点での体力がもっと安定していたら、と考えることもある。

ともかく、痛感したのは、我々は医学について知らな過ぎる言うことだった。

医療情報は、中学生レベルからの必修科目にしてもいいのではないだろうか。

病気になってからインフォームド・コンセントといっても、患者(家族)対医師(病院)という関係性の中だけであるから、どうしても俄か仕込みのあせりと圧倒的な情報格差の中で、患者側は真実を伝えられている気がしない。

そのような個々のレベルではなく「医療界全体が社会全体に対してインフォームド・コンセントをする」という大きなレベルで考え直し、いっそ義務教育レベルから医学を学ぶようにしたらどうなのだろう。

僕自身、日頃からそんなことを考えていた時に、昨日福島での帝王切開によって死亡してしまった娘の父親が起した(※訂正:福島県で、帝王切開によって女性が死亡した出来事をめぐる)裁判の結果が報じられた。

報道のトーンは、「医師を守る」という流れの中にあるように感じられたし、この逮捕と裁判とによって「産科医が減った」とか、今日の医師不足や医療界の混乱を招いたという文脈が形成されていたように思う。

僕は、おそらくあの父親の真意もそうだと思うが、事故を起こしてしまった病院を含む医療界全体の風土的な「仕組み」を明らかにするべきではないかと思う。

仕組みが患者を死なせ、若い医師を追い詰めているのではないだろうか。

以下は、知人が送ってくれたそのお父さんの会見の内容と、行政に送付したという要望書だ。

無念の思いと、大きな力の前で立ち尽くす人間の静かな怒りがある。

 

【1.ご遺族の記者会見での言葉と配布した文章】

この会見にあたり、報道関係者の皆様には、下記の点についてご理解とご協力を
お願いいたします。
 1.なにぶん不慣れなことをお許しください。
 2.家族のプライバシーに関するご質問はご遠慮ください。
 3.失言があるかもしれませんが、報道する際には配慮をお願いいたします。
 4.被告側を刺激しない報道をお願いいたします。
 5.遺族側コメントは、私、渡辺好男以外は匿名でお願いいたします。

 本日の判決は、被害者の父としては、残念な結果と受け止めるとともに、今後
の医療界に不安を感じざるをえません。

 2007年1月26日の初公判から、「真実の言葉を聞きたい」との一心で、裁
判の傍聴を続けてきました。警察・検察が捜査して、裁判になったおかげで、初
めて知ったことがたくさんありました。