「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
チベットの最近のブログ記事
長野で地道にチベット文化との交流を続ける市民の会『チベットの風』が、ご縁を頂いてチベットの伝統医学を今に継承するパルモさんをお迎えすることになりました。
伝統医学の先生であるだけではなく、チベット仏教の尼僧さんたちの宗教や生活のための環境を改善するために長年努力しているそうです。
その観点から、女性学のコメンテーターとしても、様々なシンポジウムや宗教団体などからも招かれ、日本では大変多忙なスケジュールをこなしています。
そんな中、善光寺様への参詣とともに、長野でも講演会。
長野は、大本願のお上人様を始め、尼僧さんの伝統が深いですから、こういうことをきっかけにしてチベット仏教の尼僧さんと日本の尼僧さんとの縁が深まるといいですね。
ぱるも02.pdf ← パルモさんのチラシです。
12日、前日に石鎚山に登った私は、私に会うためにわざわざ(上司と喧嘩してまで)会社を休んで松山まで駆けつけてくれた高知の友人Hの車で、国道33号線をひた走り松山から久万高原町、そして仁淀川に沿って井野町、高知へと向った。
真言宗智山派の高知教区で開催された教化研究会に参加するためである。
研究会のテーマは「慈悲再生~チベット問題に学ぶ~」ということで、この中で僕に与えられたテーマは「僕たちはなぜ立ち上がったか」というもの。
聖火リレーを機に僧侶の有志で行った様々な活動について話すことであり、と同時に、僕自身がチベット問題に多少なりとも関わっている動機や、チベット問題をきっかけに見えてくる日本仏教の僧侶の今後についてなど、荷の重い内容であった。
◆
与えられたテーマに沿ってこの半年を振り返ると気づくこともいろいろとある。
中でも、僕が「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」に参加していて興味深いのは、幹事として関わっているたくさんの僧侶の方々が、一人ひとり実に多彩な問題意識の中にあることだ。そして依って立つ思想的な根拠や歴史観も違う。
僕は、どっちつかずと言われても甘んじるが、右か左かという意思決定をしろといわれると悩むだろう。
例えば、憲法九条について考えると、そのどっちつかずが鮮明になる。それぞれの言い分に、それぞれその通りだなあと思ってしまうのだ。僕のようなどっちつかずの人間には、誠に弱ってしまうのが憲法問題であり、と同時に、なぜ憲法の前で僕は迷うのかも分からない。自分の国の憲法なのに「これはいい」といい切れないのも変だが、「これはダメだ」といい切れるのも変だ。その意味で「作り直したほうがいいのだ」という意見もあろうが、「憲法改正断固反対」という立場の声にも、ナルホド、と思えるものもある。
案外、国の意見を割り続けることにこそ、この憲法を作成した人たちの意図はあったのかもしれない。 それは、「主体」の問題としても、僕らに難問となっている。
◆
10日から13日まで大阪、愛媛、高知へと旅をした。
出会いあり、登山あり、仕事ありの盛りだくさんツアーだった。
■10日「大阪應典院」
10日は朝8時に家を出て大阪へ。
大阪は、府や市の財政が厳しいと昔から言われているが、いつ行っても活気がある。行政の財政が厳しいのに、人々はいつも元気だ。何か、民と官では違う次元の経済があるのではないだろうか。
(何か、人を本気にさせる名前だ)
さて、私の目的地は天王寺にあるにある應典院というお寺だ。
昨今、日本でもエンゲイジド・ブッディズムという言葉も広がっているし、地域に開かれた寺院という発想も僧侶の中に浸透しつつある。そんな流れにあって、この應典院を知らないとしたらそのお坊さんは勉強不足であると断言していいだろう。
社会を向いて、同時代の人々の思いや苦しみや悲しみに対して、仏教は、寺院は、僧侶は何をなしうるのか。
そういうことに真摯に取り組んでいる寺院として広く知られる松本の神宮寺、京都の法然院などとともに、應典院様は現代の寺院のトップランナー(日本仏教界のボルト!)といえるだろう。
その主幹様と秋以降に企画されている某イベントの打ち合わせに行ったのである。
應典院様には、世紀末にその名も「ノストラダムスをぶっ飛ばせ」という激しい企画のイベントに参加したことがあった。
到着してみると、そのモダンな建築は寺院とは思えない趣である。しかし、入り口には石の地蔵菩薩が慈悲溢れるお顔で迎えてくれ、入り口からして仏教と現代との出会いが演出されているようだ。
チベット亡命政府の呼びかけによる「平和のための断食」にひとり参加。
http://www.tibethouse.jp/event/2008/080830_fasting.html
概要は下記の通り(チベットハウスのサイトより)。
1. この断食の目的:
- 全ての生きとし生きるもの、特にチベット人と中国人の悪い行為を清めるため、そして善いカルマ(善業)を蓄積するため。
- これにより、ダライ・ラマ法王の長寿と健康をもたらし、衆生の繁栄と利益に対する法王の活動を支援します。
- 全人類が平和と調和のなかで暮らせるよう、世界におけるあらゆる闘争、病気、苦しみ、惨禍を緩和します。
- 今年三月のチベットにおけるデモで政治的理由で闘い、亡くなったチベット人達の悪い行いを清め、彼らがより良い来世に生まれ変わり、いずれは輪廻から解脱するのを助けします。そして中国の残忍な圧制での虐待行為に今なお耐え続けているチベット人達を苦しみから即座に楽にさせるため、チベット問題の真実を早く普及させます。
- 威力弾圧と暴力の犠牲となり、宗教の自由と良心や発言の自由に恵まれていない世界中の全ての人々と、特にチベットの人々を自由にし、幸福と自由を享受させます。又、圧制者達の心にある全ての憎しみを取り除き、彼らを慈悲と智慧をもって導きます。
- そして、圧制者に対する慈悲と慈愛から生まれた非暴力かつ平和的な方法で、弾圧行為や暴力そして人権侵害に有効的に反対するよう、全人類に真剣に呼びかけてアピールします。
長谷観音こころの学校
●渡辺一枝 講演会「私のチベット紀行」
チベットの美しい自然、人々、文化、そして真実。
●期日 9月15日(月・祝)
●時間 午後2時より(会場は午後1時)
●場所 長谷寺(長野市篠ノ井塩崎878)026-292-2102
●会費 志納
●同時開催 渡辺一枝写真展
● 主催 長谷寺南無の会
●協力 チベットの風
◆プロフィール わたなべいちえ一九四五年、ハルビン生まれ。八九年に十八年間の保母生活に終止符をうち作家活動に入る。チベット、中国、モンゴルへ旅を続けている。著書に『時計のない保育園』(集英社文庫)、『チベットを馬で行く』(文春文庫)、『わたしのチベット紀行』(集英社文庫)、『風の馬 ルンタ』(本の雑誌社)など多数。『マガジン9条』発起人の一人。
僕が学生の頃、「イングリッシュンマン・イン・ニューヨーク」という曲が流行したことがあった。
で、先日、若い友人のチベットやネパールの旅の写真に、僕が言葉を添えるという写真展の企画があって、結局ボツになってしまったのだけど、「ジャパニーズマン・イン・チベット」というタイトルを当初考えたりしていた。
アメリカで暮らす英国紳士の呟きのような歌と、若い日本人のチベットの旅とでは、歌詞の世界がかみ合わなくて、デザイナーさんにボツにされてしまった。
でも、友人の写真を観ていて、蘇ってきた懐かしい曲のタイトルから、先日久しぶりにあの渋いサックスのイントロから始まる名曲を聴いた。ううむ、渋い。
と、そんなこの一月の流れの中にあって、こういう出来事があると少々驚く。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080722_songs_for_tibet.html
まさにシンクロにシティーと言うべきか。
そういえば、やはりその昔、世界のトップアーティストによる「ライプ゛・エイド」という大規模な企画もあった。
スティングたちの歌はどんなふうに広がっていくのだろう。
日本のアーティストたちの中からも、そんな歌が唄われるだろうか。



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