住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

寺宝: 2014年11月アーカイブ

鳩文字の額

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善光寺さんの鳩文字の額はとても有名です。五羽の鳩が隠れているのを、参詣者が数えている姿を見かけます。鎌倉の鶴岡八幡宮も知られていますが、この鳩文字は、全国の神仏の霊場にしばしば見られます。信州にも、飯山の小菅神社の鳥居にかかる「八所大神」、安曇野の満願寺の仁王門にかかる「救療山」の額にも、鳩と思われる鳥が描きこまれています。

長谷寺の観音堂にかかる額にも、「谷」の字に二羽の鳩が描かれています。

鳩文字の額.JPG

この額の書は、江戸時代の正徳年間の頃に、京都の仁和寺の門跡となられた守恕法親王さまによるものです。どのような縁によるものか、古い時代に長谷寺周辺が仁和寺の荘園であったとされることからかお書きいただきました。堂々たる大書で、長谷寺のお観音さまの霊力をあらわしているようです。

古来、神域の入り口に建てられる鳥居。神のお使いである鳥が降り居る特別な場所の印ですね。長谷寺の額も、鳥居が神域であることをあらわすように、お堂正面に高々と掲げられて、長谷寺が特別な霊場であることをあらわしていると思います。

寺の字をよくご覧いただくと、宝剣と如意宝珠が巧みに書かれているのがお分かりと思います。それぞれ、宝剣は除災を、如意宝珠は招福をあらわすシンボルですから、この字をもって、長谷観音が除災招福のご利益を得られる寺であると告げているのですね。

文字というものについて、私たちの祖先は、神秘的な力、霊的な力を感じていました。とりわけ漢字には、畏怖に近い気持ちを抱いていたと思います。現代人の私たちでも、この額の文字をじっと見つめていると、なにやら動き出しそうな感じがしてまいります。

今度お参りしたらぜひじっくりと鳩文字の額をご覧ください。

観音さまの除災招福のパワーを感じて頂けますよ。

【長谷観音の宝物~経筒(部分)

昭和9年、折からの大雨で観音堂の裏山の斜面で小規模な土砂崩れが続きました。そこで長野県の助成を得て、地盤の弱い傾斜地の何カ所かで石積み処置が施されました。

その工事の時、ある場所で大きな石の下から、砕けた甕ととともに出土したのがこの写真の経筒。

P1010660.JPG


何枚もの宋銭とともに、経巻だったと思しき紙と共にでてきた金銅製の筒。

そこには、わずかに文字が読み取れました。

仁平元年七月。。西暦1151年の銘の入ったもので、その他にも法華経などの経巻の名前、南無大日如来の文字などが刻まれてありました。

霊場にお経を埋める信仰は、平安時代、とりわけ藤原道長などの摂関期に末法におののく風潮の中で盛んになりました。長谷寺の経筒は長野県でも最古級に属すもので、平安末の時代から確かにこの地が霊場であったことを示す貴重な資料となりました。

残念なのは、この埋経の願主となった僧侶の名前の部分が欠損しており不明なことです。また、法華経の奇数巻だけの出土だったので、残りの偶数巻が今なお観音堂の背後の何処かに埋蔵されている可能性があります。1000年前の人たちの祈りが山の何処かに眠っているのですね。

2015年7月

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