住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言の最近のブログ記事

すきなお花は?

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降りつづく雨が朝方少しやんだ。

すると、妻のお母さんが庭に出て紫陽花を一輪、摘んできた。

お母さんは80歳を過ぎ、体も弱ってきたけれど、昔は学校の先生でした。

先生だけあって、ピリッとした厳しいところがある。

子どものころ厳しかった先生が、卒業後に会うと、とても優しい人であることを知って驚くことがある。

妻のお母さんもそんな感じで、ピリッとしているけれど、実は優しい。

優しさを上図に家族や他者に表現できる人もあれば、そうでない人もある。

今日のように優しさが求められる時代は、「実は優しい」人にとっては、生きにくい時代かもしれない。

実は意地悪だけど、優しさを表現するのは上手、という人もある。

不器用な人の優しさは、高倉健が生きていた頃より、もっと伝わりにくくなっている気がする。

雨の合間に、少し痛む足をかばいながら外に出たお母さんは、青い紫陽花を一輪摘んできた。

そして、テーブルの片隅に飾ってくれた。

長雨で気分も沈み、部屋もいささかどんよりしていたのに、ふっと明るくなってようだ。

優しさが、部屋に広がった。

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あまりじっくり語り合うこともなかったけれど、最近は一緒に過ごすことが増え、思い出話をしたりする。

今日は、紫陽花の花を摘んできたお母さんに尋ねてみた。

「おかあさん、好きなお花は何ですか?」

すると、いつもどちらかというとピリッとした表情の顔がぱっと明るくなった。

「私はもうなんといっても紫陽花のお花が大好きよ」。

「どうしてですか?」

「だって学校の子どもたちみたいでしょう。小さなお花が皆でひとつに並んで咲いているの」

「ほんとうですね~」

「ほら、子どもたちが合唱しているみたいでしょう」


そう言われてみると、確かにその通りだ。

雨の中、傘を指して庭に出てみた。

あちこちで、子どもたちが心ひとつに歌っている。


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梅雨の露の中に

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梅雨、空梅雨ですが、今は梅雨。

しとしとと、雨が降り、アジサイの花が咲いて、そこにカタツムリ。

そんな風情を楽しむ今日この頃。

天から落ちてくる無数の、それこそ無量無数の雨粒。雨粒。雨粒たち。

そんな一滴も、大地に落ちれば、流れ集まります。

大地にしみこんだり木の根に吸われたり。

根に吸われたら木の中を通って、また葉から大気へ。

あるものたちは小川へ、そして大きな川へと集ってやがて再び大海へ向かいます。

そしてやがて太陽の光を浴びる大海で、ゆったりと気体となって大空へ。

冷たい風が吹いてくれば、雲に生まれて、またあるものは雨に。

雨、雨、雨となった無量無数の雫となって、またここに。


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この一滴が、そんな旅を続けているのを、じっと思い巡らしてみる。

そして、その一滴がこんなふうに、葉にとどまるのをじっと見ている。

小さな、美しい一滴の雨露。

じっと見て、その帰し方に思いをはせ、その行き方に思いをはせる。

その滴には、世界が映っている。

その滴に、この世が映っている。

すると、その映っている世界の奥にはまたまた梅雨の雨が降る。

その中に、無量無数の雨が降る。

その一滴の滴に、思いをはせる。

その滴に、また世界が映っている。

その奥に、また無量無数の雨が降る。

その一滴には、また世界が映っている。


私たちの人生が、そのどこかに映っている。


梅雨の日は、雨粒に学ぶ。

禅が伝える昔の老師さんのエピソードにはハッとさせられるものが多い。


うろ覚えだけど、こんなのがあった。

 

むかし、ある修行僧が心から尊敬する師について修行していた。

清僧として知られる憧れの師について修行することが深い喜びだった。


ある時、師のお供でお出かけをした。

川に差し掛かったが、あいにく橋はなく、渡し舟もなかった。

仕方なく浅瀬を歩いてわたろうということになった。


そこには若い女性もひとり同じように川を渡れず困っていた。

すると師が、どれ娘さんや私の背に負んぶなさい、といって若い娘を負ぶって川を渡っていった。

弟子は驚いた。


若い女性を、尊敬する師が負んぶしている姿に、戒を受け仏道を歩むものとして違和感を受けた。

なぜだろう、どうしてだろう。


ぶじに川を渡り終え、師の背から下ろされた女性も深々と頭を下げて去っていった。

 

しばらく歩いても弟子は師への疑問が尽きなかった。

やがて弟子はたまらず師に尋ねた。

老師さま、我々出家のものは戒を受け、女性に触れることは禁じられております。

しかし、師は触れたばかりか、その背に負われました。

どうしてですか?

 

すると師は答えた。

 

「なんじゃ、お前はまだ下ろしてないのか?」


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さて、みなさんは、どう思いますか?


私も、この弟子の気持ち、わかりますね~。


でも、師の自由さも、素敵ですね。


このエピソードは、折に触れ、思い出します。


思い出すような時は、何か、このエピソードに心が引っかかるのでしょうね。



住職 記



再生の聖地ハツセに学ぶ

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長谷寺の長谷はそもそもハツセという。

漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。

果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。


終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


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流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。



古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。

そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。

長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である。


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された。

これはいかなることか。

十一面は「大悲」を本願とする観音である。

大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。







観音の大悲の桜咲きにけり

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観音の大悲の桜咲きにけり

          正岡子規

 

観音さまの寺の桜が咲いたよ、ということですが、「大悲」という言葉があることで、この句はとても味わい深くなりますね。

大悲とは、観音さまの心「大いなる思いやり」ということで、共苦とか同悲ともいい、さかのぼれば「一緒に泣く」「共に震える」という意味をもつ言葉で、サンスクリット語では「カルナー」といいます。

長谷寺の本尊十一面観音さまの真言「おん まか きゃろにきゃ そわか」の「まか きゃろにきゃ」がこの大悲を表しています。

この一緒に悲しむという心が観音さまの『本心』でありその救いの力の働きそのものなのです。観音さまとは「一緒に泣く菩薩」なのですね。

仏教では、この「悲」という働きが、人間の悲しみを癒し、傷ついた心を再生させると考えます。共に泣き、共に震える。苦しみを分かち合う心が、悲しんでいる人を癒し、苦しんでいる私をなぐさめる。

昔から、どの村にも観音堂があるのは、人と人とが生きていくうえでこの同悲同苦の心が大切なのだということを、決して忘れないためにまつったのです。悲しみや苦しみを分かち合う仲間であるからこそ、喜びも共に出来るのです。

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また「かなしみ」という心は、日本人にとってはとても大切です。悲しみは、人生の真実を教え、世界の実相へと私たちを導きます。和歌や俳句などの名作から伺えるのは、日本人はこの世界に悲しみが流れていると感じ、それをより深く受け止めていくことに依って神仏へいたり、さらには深い心境や魂の救済へと導かれていく。悲しみとは、宗教的な心情でもあるのです。

そんなことを踏まえて子規の句を味わってみましょう。

子規は深い悲しみに沈み、その悲しみに立ち尽くしている。そんな子規の前に桜の花が咲き開く。深い悲しみを知る人の眼差しは、その悲しみを知らなかった時には見ることの出来ない桜の美しさを見るでしょう。悲しみが深まり極まっていく時、そこでは見る・見られるのあわいは融けあって、悲しみは共振し、子規は桜となり桜は子規となって一緒に咲き散り、そこに深い慰めがあるのではないでしょうか。

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長谷寺には、たくさんの桜はありませんが、一本一本に観音さまの働きがやどり、皆さまをお待ちしております。開花まで今しばらく。大悲の桜に会いに来てください。

近づく三十三燈籠

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毎年八月九日の夜、
観音千日参りの縁日に献灯される「三十三燈籠」。
祭の最後に、
捧げられた大燈籠を引き倒して石段を駆け下りていく。
この引き倒しの時、提灯を拾うと
その家は無病息災と伝えられます。



東京盆

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717日 晴れ

ひさしぶりの更新です。


こうしてお寺のブログを書いていますと、時々「読んでいますよ」とのお声をいただき嬉しくなることがあります。

が、そんなお声は、よりによってというか、不思議とブログの更新が滞っているタイミングで耳にするのです。。。

怠けているわけではないのですが、バタバタしていると「書く」という気持ちが湧いてこないのでしょうか。

忙中に閑あり、と古人の言葉通り、心に余裕がほしいものですね。

 

先日は東京のお盆の時期に合わせて、東京や埼玉にお住まいの檀家さんのお宅にご先祖のご供養のおまいりに行ってまいりました。

故郷を離れて東京に住まいを構え、家庭を築き、子が生まれ育ち、今では孫、ひ孫の代へと時は流れ、そんな暮らしの中に、年に一度、田舎から菩提寺の住職が「こんにちは」とやってくる。

 

田舎の住職を迎えるとき、どんなお気持ちなのかな、と、思います。


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お盆というのは、先祖を迎えるわけです。

先祖が、帰ってくる。

考えてみると、その目には見えない、魂を迎える時、そういう存在をお迎えしようという気持ちそれ自体もまた日頃は忘れているわけですから、やはり帰ってくる、といえますね。

お盆には、先祖を迎える気持ちが帰ってくる。

普段あまり意識しないけれど、やはり、祖先の霊を大切にしたり敬ったりする気持ちというのは、日常的には「遠く」に行ってしまっていますよね。忘れている、わけです。

それが、帰ってくる。

気持ちが帰ってくると、なにか、風景も違って見えてくる。

見慣れていたはずの景色の中に、普段は感じなかった一本の木の存在に気がついたり、近所の人の暮らしに親近感が湧いたり、身近な人に「ありがとう」と言いたくなったりする。

先祖と一緒に、自分の中の、優しさや感謝のような気持ちも帰ってくる。

不思議なものですね。

皆さんも、先祖をお迎えすると、なにか自分の気持ちも中にも帰ってくるような、蘇ってくるようなものや感情があるのではないですか?

お坊さんの、仕事というのはいろいろあるわけですが、先祖をお迎えして供養するお手伝いをしながら、「帰ってきたのはご先祖さんだけですか?」と、お尋ねすることもそのひとつかな、とそんなことを考えた東京盆でした。

(住職記)

法の雨

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 暑い日が続いています。  
 
 信州さらしなの辺りは雨らしい雨もなく、日照りです。  

 総代さんと話していたら、畑の井戸が枯れたそうです。  

 爽やかな新緑の青空は本当に美しいです。  

 気持ちも晴れ晴れとしてまいります。

  DSC_2017.JPG  でも、こんなに晴ればかりになると、さすがに不安なりますね。  

 法雨、という言葉があります。  

 仏さま、観音さまの法(のり)の雨、慈しみの雨。  

 観音経にはこんな経文もあります。  


 澍甘露法雨 滅除煩悩焔   

 観音さまの慈悲は甘露の法雨となって雨ふりそぞき   

 私たちの燃え盛る煩悩の火焔を滅して除いてしまう  



 お経が、これほどに観音さまの慈悲を雨の喩えをもって示すほど  

 私たちの祖先は干天を恐れ  

 乾くということがもたらす悲惨さを知っていたのでしょう。  

 長谷観音には江戸時代の初めからとも、  

 もっともっと遥か昔からとも伝えられる  

 雨乞いの祭りが伝承され  

 地域の皆さんとともに守り伝えています。  

 今は、心から観音さまに文字通り風雨順次とお祈りしましょう。  

 大地の渇きを潤したまえ。  

 南無観世音菩薩    

イエス=キリストの愛

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上田市の短大で数年前から宗教についてのお話をさせていただいています。

 お釈迦さまのお話をしたり、お経の言葉を取り上げて考えてもらったりします。

 今日は、キリスト教について、少しお話をしました。

 といっても、神父さんのようにしっかりと聖書のお話が出来るわけではありません。

 だから、一般によく知られているイエスの言葉を取り上げて、一緒に考えます。

 「人はパンのみによって生きるにあらず」

 「あなたの敵を愛しなさい」

 そんな言葉です。

 「敵を愛するなんて、凄い!普通じゃない」と、学生さんが言います。

 確かに、本当に凄い。普通じゃない。

 しかしふと思い当たる。観音経にも同じようなことが書いてある。

 「恐ろしい戦いの中にあっても 観音の力を念ずれば 諸々の怨みは消えていく」

 それは、敵対関係、という関係性、敵か味方か、あるいは勝つか負けるか、あるいは奪い奪われ。

 そのような敵対的な自他の関係性を、イエスは愛によって、観音さまは「慈悲」によって変えてしまう。

 興味深いのは、イエス=キリストが愛を説き、観音さまが信仰されるようになった時期だ。

 いずれも2000年前頃という説がある。

 洋の東西で、同時期に、人間の関係性を愛・慈悲によって変えようとする宗教運動があったということ。

 2000年前、何かがシンクロして、人類の中に意識化された。

 と、そんなようなことを、学生さんとお話しながら、思った。

 
 

    

静かに座るひと時を

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430日 晴れ 気持ちのよい新緑の日

 

4月はやはりバタバタとしていて、この「住職日記」もなかなか更新できません。よく「忙しいという字は、『心』が『亡ぶ』と書く」といわれますが、何やかにやと寺のことや諸々と頂いているお役目の会議などをしているうちに、あっという間に月末です。なんだか、「心ここにあらず」で、こんなふうに日々が過ぎていくのが少し怖いですね。

皆さんは、この4月をいかがお過ごしでしたか?

私は、坊さんの修行としてはもちろんですが、こういう落ち着かないときには、心のメンテナンスのつもりで、夜のひと時座るようにしています。

座る、そう、座禅、瞑想、ですね。

もっとも、こんなときは、心身のリラックスも願うところなので、本格的に実修するというより、呼吸法を中心に「静かに座る」という感じですね。

ですから、部屋の明かりをほの暗くして、お香を焚き、静かな音楽も流します。私のお気に入りは、リラクゼーションやメディテーション用に作曲されているものですが、夜のひと時の静座の間、『ここに在らずの心』が戻ってくるような、そんな気持ちがします。


みなさんも、夜眠る前などに、5分だけでも、心身をほどいて、静かに座るお時間を持ってみてはいかがですか?

 

深い呼吸と静座。

何も足さない、何も引かない。

そんなCMが昔ありましたね。

焦りやイライラ、忙しいと、そんな気持ちがたまってきます。

そんなマイナスの気持ちだけではなくて、穏やかで柔らかな気持ちも、自分の中に持っていたいですね。

眠る前、一日の体の疲れをとるときに、深い呼吸と静座で、イライラや心配だけで眠る夜とは違う、少しやさしい眠りが訪れるかもしれません。

 

今夜から、そんなお時間をお持ちになってはいかがですか。

 

住職より

合掌

観音の大悲の桜咲きにけり

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4月16日 晴れ 桜満開ちょっと前 

長谷寺の桜もいよいよ見頃を迎えています。

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18日の春まつりは雨の予報ですが、きっと一週間くらいは楽しませてくれると思いますので、お出かけ下さい。

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観音の大悲の桜咲きにけり      子規

 

正岡子規の句です。

観音さまの寺の桜が咲いたよ、ということですが、「大悲」という言葉があることで、この句はとても味わい深くなりますね。

大悲とは、観音さまの心「大いなる思いやり」ということで、さかのぼれば「一緒に泣く」「共に震える」という意味があるそうです。この一緒に悲しむという心が、観音さまの『本心』でありその救いの力の働きそのものなのですね。

仏教では、この「悲」という働きが、他者の悲しみを癒し、傷ついた心を再生させると考えます。とりわけ大切なのは、悲しんでいる人本人が、その同悲の実践によって自ら立ち直っていくと考えるところです。誰かの思いやりを受けるだけでなく、他者への思いやりの発動こそが、自身の悲しみを癒していくのですね。

そんなことを踏まえて子規の句を読み直してみましょう。

子規の悲しみを桜の花が慰める時、子規は、そこに大悲つまり観音さまの働きを感じていたのではないでしょうか。観音さまは、その姿を無限に変化させて人々を救ってくださいますが、誰かがあるいは何かが私を癒し慰める時、その癒しの場には観音さまがお出でになるのだと思います。桜を見上げて慰められている子規の前に、桜という観音さまが現れているのです。

長谷寺には、たくさんの桜はありませんが、一本一本に観音さまの働きがやどり、皆さまをお待ちしております。

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住職より

合掌

住まいを看取る仕事

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3月30日 雷乃発声 晴れ 春を感じる


本日は、空き家となるお宅のお仏壇のお魂抜きのお参りをしました。

事情で家をたたむことになる方が増えている昨今、そんな住宅の片付けをしている友人夫婦に依頼され、時々、お仏壇や神棚の魂抜き(発遣)の法要をします。

長い間、そこに住んだ人が、先祖をまつり、たくさん拝んだ仏壇に、最後のお参りをします。だいたい、その時、その家に暮らした人はいません。亡くなってしまっているか、施設や病院におられます。ですので、この友人が、その人やその家族に依頼されて、あるいは自分で施主となって、この小さな法要を営んでくれるのです。


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遠く離れていても

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3月23日 曇り 晴れ 

 

実際に会ったことも少ないし、じっくり話したこともあまりないのに、気持ちが通い合う遠方に住む友人がいて、SNSでやり取りをしている時、ふと弘法大師の言葉を思い出しました。

 

古人は面談を尊ばず。

尊ぶところは道を同じくするに在るのみ。


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弘法大師空海像 京都智積院蔵


その心は、「昔の人というものは、顔を合わせて話すことよりも、離れていても、志を同じくして生きていることを尊んだものだ」という感じですね。


月がきれいな夜には

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3月12日 晴れ  

 

月の光でしか見えない世界がある。

 

昔、何かの本の中で出会った言葉です。

とても印象に残り、以来、私は月を見上げる人になりました。


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お坊さんの修行に入り、真言宗の瞑想に「月輪観(がちりんかん)」という、月の瞑想があることを知り、それは素敵だな、と思いました。満月を想い、その満ち欠けを想い、闇を照らす性質や、その清浄な美しさを想い、その清らかで汚れなく、自在独立の姿に、悟りへの想い、菩提心を重ねてゆく瞑想です。

 

思えば、長谷寺のある信州さらしなは月の都、と言われてきました。

更級の月、姨捨の月は、西行、世阿弥、芭蕉、一茶という日本の詩歌や芸能の巨人たちが憧れた特別の場所でしたが、それは、万葉の昔から、この更級という土地が格別に月の美しい場所であるからにほかなりませんね。

 

今日は美しい満月でした。

少し雲がかかり、やわらかな光が美しくもあやしい月でした。

その光が照らす世界もまた、昼間の姿は違う姿となって、私たちの目に映ります。

 

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こころが静まってくるようでもあり、ざわめくようでもある、満月の夜。

暦においては、月と共に生きてきた歴史の方が、はるかに長い人類の歴史を思うと、瞑想とまではいかなくても、もっと月を見上げ、月の光でしか見えない世界を感じる時間を大切にしていきたいものですね。

 

合掌

(住職記)

天気予報好きDNA

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3月7日 曇りのち雪 時おり吹雪く


亡くなった母親は、なぜかテレビの天気予報が好きでした。

朝、昼、そして晩と、主にNHKニュースの後半にある天気予報をチェックしていました。

 

そして冬なら「ああ、東京は明日寒いわね」とか「あらやだ、長野は本州で一番寒いわよ」とつぶやき、夏なら「見て見て、東京38度ですってよ」とか「まあ、長野でも35度なんて、いやねぇ」とぼやくのです。

 

東京の天気なんて、長野に住んでいるのだかどうでも良さそうなものですが、どういうわけか東京の天気をチェックしてはつぶやいたりぼやいたり。もしかしたら、離れて暮らす仲良しの姉妹たちが東京方面にいたからかもしれませんが、そうやって毎日朝昼晩、天気予報をチェックしていました。

 

思えば、天気予報も細かくなりました。

昔は、かなり大雑把な天気図で、担当の方も、「私の言っていることはあくまで予報ですから」というどこか弱気な感じが漂っていましたが、最近は違いますね。

 

母親の影響か、私も天気予報をしっかり見ています。

とりわけ才色兼備な女性気象予報士が自信満々に伝えているのを楽しみにしているわけですが、実は美しい気象予報士以上に、NHKの週末だけ登場するおじさん予報士の南利幸さんのファンなのです。あの駄じゃれ、おやじギャグがたまりません。なにか、おれも頑張ろう、という気になります。南さんは、地方の一寺院の住職を励ますつもりなど毛頭ないと思いますが、どういうわけか、ほのぼのとして、頑張ろうという気持ちになります。全国には、南さんのささやかな駄じゃれを楽しみにしている人がたくさんいると思います。今後とも、なにげない感じの、ダジャレで私たちをほのぼのと元気にしてください。


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ダジャレを飛ばす気象予報士 南利幸氏」より

私は、母のDNAのお陰で天気予報好きではありますが、予報そのものより、南さんのダジャレやお天気キャスターさんたち手を変え品を変えて気象の魅力を伝えるアイディアが楽しみです。

 

ところで今日の天気予報はと言えば、またまたピタリと当たり、午後から雪になり、夕方を過ぎてからだいぶ降っています。こんなに当たってしまうのも、なんだかつまらない気もしますね。「あ~した天気になぁれ」と下駄でお天気占いをしていた方が、天地自然と気持ちが通っているような気がします。

 

(住職記)

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