住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言の最近のブログ記事

魂が帰ってくるお盆

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メリカ新大陸の開拓時代のお話です。


ヨーロッパの白人たちがアメリカ大陸に新天地を求めて続々と渡ってきました。


ヨーロッパの人々は競って土地を求めていました。


当時、土地勘のない白人たちは、インディアン(ネイティブ・アメリカン)を道案内のガイドに雇いました。


ある白人たちが、馬車を仕立てて西部の土地を目指して旅を急いでいました。


一刻も早く良い土地を自分のものにしたいと、彼らはインディアンたちを急かせて毎日馬車を走らせました。


昼夜に休むことのない大急ぎの旅です。


ところが、あるところまで来たら、インディアンたちはピタリと馬車を止めてしまい、馬を休ませ焚火を起こして休んでしまいました。


先を急ぐ白人たちははじめ奇異に思いましたが、いつまでたっても動こうとしないので、ついに腹を立て、立て、走れ、と命じます。


しかしインディアンたちは座ったまま。とうとう鉄砲まで使って脅かしますが、彼らはたき火を囲んだままじっと座っています。


白人たちは困り果ててインディアンに尋ねました。


「いったい、どうして動こうとしないのか。我々は急いでいるのだ」。


すると、インディアンの一人がこう答えたそうです。


「旦那さんたちの気持ちはよく分かる。

しかし、旦那さんたちがあんまり急かすものだから、急ぎすぎて魂を置いてきてしまった。

もうじきわしらの魂が追いつくから、それまで少しだけ待ってくれ」。


白人たちは、その言葉を聞いて、何か思い当たることがあったのでしょう。


鉄砲をしまい、インディアンたちと一緒にたき火を囲んで腰を下ろしました。


そして一緒に、彼らの魂が追いつくのを待っていたそうです。



この忙しい現代社会を生きる私たちの魂はどうでしょう。


どこかに置いてきてしまってはいないでしょうか。


ご先祖の魂がお帰りになるお盆。


じっと腰を下ろして、私たちの魂が追いつくのを待ってみませんか。


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お寺を上空から

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信越放送(SBC)に、長野県各地をドローンで撮影して紹介する番組があります。

 先ごろ、長野市を紹介する企画の中で、長谷寺の様子が放映されました。 

こうした上空からの映像はなかなか見ることができませんので、とても新鮮です。 

 ぜひご覧ください。


 

新しい年の願い

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和顔施

 

 あなたの

 

 やわらかくなごやかな顔は

 

 わたしの心を

 

 和らげ和やかにしてくれる

 

 そこに観音さまがいる


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みなさま、明けましておめでとうございます。


旧年中は何かとお世話になりました。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

昨年は台風により私たちの故郷も大きな被害を受けました。


被災された皆さまには心よりお見舞いを申し上げます。


日々に復興を祈念し、皆さまの平安をお祈りしております。

 

今年は「和やかな顔を施す(和顔施)」という仏の願いを「私の願い」として、家族や友人やご縁のある人に接しましょう。


世の中が悪い、政治が悪いとムスッとしているより、ひとまず微笑みましょう。


あなたが微笑めば、それだけ世界に喜びと光がもたらされます。


せっかくの人生です。


せっかくの今日です。


せっかくの今です。


せっかくいただいた命です。


世界と今と命を分けあう家族や友人に、和やかなお顔を差し上げましょう。


そこに観音さまがおいでです。


長谷寺住職 合掌



冬至の頃の贈り物 

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冬至の頃の贈り物 

 

その昔、中国では冬至を太陽運行の起点と考え尊い日として祝いました。

古代中国の皇帝は、その天の運行を司る能力を天命によって授かるものであり、その神聖な力に則って暦を作りました。

周辺の朝貢国は、冬至の頃に「冬至使」という使者を送り皇帝に貢物を献上しましたが、この時の返礼の品として、何にもまして最も重要だったのが暦だったのです。

農耕を中心に生きる人々にとって、正しい暦は生死を分ける道標ですから、周辺の国々はこぞって暦を求め冬至使を送ったといいます。

冬至は、暦の起点として神聖なばかりでなく、日照時間が短くなり最も弱まった太陽が、その日を極として再生してくる日でもあり、太古から天地の運行に従って生きてきた人類にとっては特別神聖な日だったのです。

世界各地に冬至の頃に聖者が訪ねてきて贈り物を届ける話が伝えられています。

日本にはこの時期に弘法大師が贈り物を届けてくれる伝承がありますし、西洋ではイエス=キリストという最大の贈り物が神様から届けられるのがこの冬至の季節ですね。

聖者が贈り物をくださったり、世界に愛をもたらすイエスの誕生がこの季節とされたりするのは、太陽の力が蘇えり天地が命に恵み(慈愛)を与えてくれることを強く実感できるからなのでしょう。

この一年は便利さや効率重視のライフスタイルを見直す機運が高まり、自然との共生が叫ばれました。

しかし自然の厳しさを思えば、共生というより自然の中に生きる存在として、人間や自分自身を見直す必要があります。

今年の冬至には、改めて暦を見直してみてはいかがでしょうか。

きっと天地から与えられる慈愛が感じられますよ。

もっと大変な人がいます

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このたびの台風19号により、私の暮らしている長野市にもにも、おとなりの千曲市にも、また長野県全体にも大きな被害がありました。

千曲川流域の被害だけでも5000棟を越える家屋が浸水の被害に遭いました。

赤く色づいて収穫を迎えるりんごは全滅し、刈り取られたばかりの大量のお米も流されました。

東京ディズニーランドの30倍となる1500ヘクタールが濁流に襲われました。

寺の檀家さん信者さんのお宅にも床上、床下浸水が多数発生し、家財の多くを失った方も少なくありません。

私どもの寺には被害がなかったものの、日頃寺を支えてくださる檀信徒さんの暮らしが壊れてしまったのです。

さっそく総代さんたちにはかり、菩提寺を共にする仲間の応援に行く計画を立て、寺役員や有志30人ほどでいくつかのチームに分かれて、家や庭に流れ込んだ大量の泥出しや、だめになってしまった家財道具や畳を搬出する作業をしに行きました。

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家族にとっての大切な思い出の品も、仏壇も、水と泥によって流され、壊されていました。

地域で守る墓地も根こそぎ倒されていました。

そんな中、寺の総代さんや役員さんたちは、被災した檀家の家々を回り、精一杯の作業をして檀家仲間の応援をしました。

この災難の中、さまざまな縁によって、みんなが助け合っています。


また私は妻とともに浸水被害に遭った檀家さんのお宅一軒一軒にお見舞いに伺いました。

被害の様はそれぞれですが、日常が崩れ去ってしまった事実を知るには十分な惨状です。

片づけや復旧の作業に追われるご家族に、声をかけるのもはばかれる思いでしたが、お見舞いの声をかけると作業の手を休めてそれぞれの被災の実情を話してくださいました。

話すことが少しでも気休めになればと願うばかりでしたが、驚かされたのは「うちも大変だけど、私たちよりもっと大変な人がいるから、何とか頑張ります」と話されることでした。


「もっと大変な人がいます」。


この言葉を何度聞いたことでしょう。

この言葉は、どこから来るのでしょう。

苦難にある人が自分を励ます言葉なのでしょうか。

災害の多い国で生きる人々の言葉なのでしょうか。

この言葉を胸に、前を向いて歩もうとしています。

奈良 明日香村 岡本寺さま「はがき説法」より

摘むか、注ぐか

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花を可愛がる人は、咲いている花を摘んで飾る。

花を愛する人は、咲いている花に毎日水を注ぐ。

子育ての話の中で、ある先生がこんな言葉を紹介しながら、「可愛がる」と「愛する」の違いについて教えてくれました。

現代人は、この二つを混同しているのではないか、という問いかけでした。

いただいたお花を枯らしてしまうことが多い私にはなんとも耳の痛い言葉で、思えば、私の子育てはどうだったろう? 

種から花を咲かせるまで根気よく水遣りをしたり、土づくりや環境を調えるよう心を配ったりしただろうか。

要するに、毎日毎日、心を使ってきただろうか。。。

子育てばかりではありません。

友人との関係や、仕事のお付き合い、地域の人との輪の中でも、そこに時間をかけて、根気よく、しっかり見つめながら水を注ぐようにして、ご縁を育んできただろうか。

摘んできた花々が咲くまでの時間を知らず、その花が開く仕組みも、その根っこの姿も知らないのに、自分は花を愛していると勘違いしてしまう。

昔から花盗人が非難されるのは、「毎日水を注ぐ」という生き方へのあまりの敬意の無さのゆえでしょう。

毎日水を注ぐ心は、その花はもちろんですが、その種に始まり、命の芽吹きから生長と開花、そして衰えや枯死までを含めた全体に注がれているのでしょう。

そのようにして花との関係を深める人は、家族や友人やものや世界とのつながりも丁寧に育んで、やがては、花の咲き散りの喜びや悲しみを知るように、より深く人生を生きるのだと思います。

時の流れの早さ、老の早さに戦慄する時、人は(私は)焦って何かしたくなり、慌てて花を摘んで飾ることでそれを可愛がり、心を満たしたくなるものですが、そんな時こそ、摘み取る手を止めて、ひと手間ひと手間を惜しむことなく、水を汲み、その根元まで水を運び、そっと注ぐ。

それを毎日毎日、続けていく。花にも、家族にも、友にも、地域にも、その繰り返され注がれた手間の分だけ、私の人生にも水が注がれると思って。

そのようにしてしか決して咲かない花が、人生にはあるのではないでしょうか。

明日香村 岡本寺 はがき説法 寄稿


時を越えた美しさの秘密

 

 

悲惨な事件、気の毒な出来事が続く。

防ぐことは出来なかったのかと、みんな考えていると思います。

残酷な行動に出てしまった人も、そのような行動をするどこか手前で、

「助けて」と言える場面があったならば、と、、、。


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女優のオードリー・ヘップバーンが大切にしたという詩の一説を思い出します。

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人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に

助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

ひとつの手は、自分自身を助けるため、

もうひとつの手は他者を助けるために。

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サム・レヴェンソン Sam Levenson

米国の作家 教師 ジャーナリスト 19111980

 

お互いに少しずつそうやって、「助けて」と、言いやすい世の中にできたら。

大きなことは出来なくても、自分に出来る小さなことを、私の「手」で、ちょっとだけ。

「で」の人

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「で」の人

 

以前、本山の僧堂で指導をしていた時、T君という修行僧がいました。

彼は寺院後継者ではなく、30歳を過ぎて発心し、仕事を辞めて道場にやってまいりました。

彼はひと言でいうと不器用でした。


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お経も、人と話すのも、何をやっても不器用で、その様子は何でもスマートにこなす今時の若い修行僧たちの失笑を買うのでした。


修行僧たちの大半は寺の子です。

「今時の」とは言え、まったくの初心者ではなく、修行も学門もスムースです。

これに対してT君はぎこちなく、スムースには程遠いのでした。


ある時、そんな彼を心配し僧房を訪ねました。

修行僧の小さな個室です。

私は「修行は辛くないか」と率直に尋ねました。

すると彼は不思議そうな顔をして「毎日充実しています」とドモリながら応えました。

その顔は「人生でこんなに楽しい日々はない」という輝きなのでした.

私は驚き、そして気づかされました。

彼は少しも困ってないし、苦しんでいないのです。

仏道生活、その教えに従って暮らすことが楽しくて嬉しくて仕方がないと言うのです。

見れば、彼の部屋は清らかに整頓されていました。

自ら写仏した本尊をおまつりし、水と花を供え、何巻もの写経が供えられていました。

壁には釈尊や弘法大師の言葉が掲げられ、部屋は仏さまで満ちていました。


寺の跡取りである若者の多くは、本山での修行を資格取得のためととらえていて、仏教の学門もその延長で考えています。

彼らにとって仏教は、いわば職業上必要な知識なのです。

しかしT君は違いました。

多くの僧侶が資格取得のために仏教「を」学ぶのですが、T君は仏教「で」自分自身を、人生を学び、生きているのでした。

彼は卒業までずっと不器用でしたが、いつの間にか彼を笑うものはなくなりました。


あれから時が流れ、多くの仲間が寺を継いでいる今、彼は社会に戻り働いています。

不器用さは相変わらずでしょう。

でも、きっとT君は今も仏教「で」人生を歩んでいるに違いありません。

「を」ではなく「で」の人。


僧堂での不器用なT君の姿を思い出すと、懐かしさとともに、大事なことが蘇ってまいります。

ねこ

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涅槃会が過ぎると、信州も春が近づいてきます。

今朝も、境内の裏山で鶯がたどたどしく鳴いていました。

新聞で素敵な歌と出会いました。

↓をご覧ください。



未来の御成敗式目が生まれる日まで

ある文化が違う世界観を有する思想と出会うと、それを受け止め、吟味し、消化して血肉化し、その思想を自分たちの言葉で語り、それを「生きる」のに数百年という時間を要する。

そんな話を聞いたことがあります。

例えば仏教についていえば、今から2500年ほど前に、インドでお釈迦さまによって開かれた仏教は、人から人へと伝えられ、なんと500年という歳月をかけてシルクロードを進み、2000年ほど前、ちょうど紀元前後に中国に伝わります。

ありがとうございました

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観音は近づきやすし除夜詣    虚子

 

この句は、昭和10年の大晦日に浅草の観音さま(浅草寺)にお参りした高浜虚子が詠んだものです。

 

いよいよ年の瀬を迎えて、除夜詣(二年参り)に訪れる人たちが集まってくる。浅草寺の賑わいが思われ、その賑わいの向く先は、江戸時代から庶民に親しまれてきた観音さま。

 

俳人虚子も、そんな賑やかな参詣人たちの一人になって参道を歩いていて、除夜詣に向かう人々を眺めれば、安心しきって観音さまへの参道の流れに身を任せている。どこの、何者に向かってお参りに行くのか、お参りをする心構えやら難しい理屈など何も心配することなく、夜店の明かりや、今夜ばかりは夜更かしを許される子どもたちの歓声が境内にこだまし、こんなにも安心してお参りをできることを、ふと不思議に感じる。

 

除夜と言えば、「闇を除く」すなわち、仏の教えや修行によって煩悩の闇や汚れをはらうことであり、新年を迎える習慣と仏の教えとが溶け合った日本の素晴らしい暮らしの文化ですね。でも、そんなことも何も考える必要とてなく安心してお参りできる。

 

そんなおおらかなお参りのなんと安らかなことでしょう。

 

観音さまは、あらゆる方向に向けて救いの門を開いておられ、普く人々、あまねく方向に開かれた門ということで「普門(ふもん)」の教えの菩薩と称されます。菩薩とは、仏教が掲げる人間の理想の姿ですが、それは自らの利益と、他者への利益とが一致する人、自利利他の生き方を目指す人の呼び名ですね。ですから、観音さまは、普く人々の癒しや救いを我が喜びとし、その喜びを我が修行としておられる方といえましょう。しかも、あまねき命をもらさず救いとらんという願いは、それ自体が果てしない、終わりなき大大大事業です。それゆえ、私たちの至らなさやダメダメさ、観音さまのことさえ知らない信心のなさも問わずに、その広大無辺の門を果てしなく、永遠に開いているのでしょう。

 

そんな広い広い心が、いつしか私たちを包み込んで、親しみやすい、近づきやすい存在として、浅草の観音さまのように私たち庶民を心が自然と向かうのでしょう。

 

いよいよ、年の瀬大晦日。

 

長谷観音のご本尊さまも、広い広い海のような、高い高い山のような、それらを全て包み込む空のようなお心で、皆さまをいつも、そしてずっと待っておられ、いつも、そしてずっとそばにおられます。

 

今年は、どんな一年でしたか?

 

辛いことも、悲しいこともあったでしょう。

楽しいことも、喜ばしいこともあったでしょう。

出会いがあれば、別れもあったでしょう。

得るものがあれば、失ったものもあったでしょう。

 

どんな日々も、私だけの、大切な一日一日として、いよいよ大晦日。

 

観音さまに除夜詣でして、一緒に善き年をお迎えしましょう。

 

今年もお世話になりました。

 

皆さま、本当にありがとうございました。

 

南無大慈大悲観世音菩薩

お寺というところは、祈り、学び、気づき、出会いがある場所であってほしいといつも思っています。

 

そのため、祈りの法要だけでなく、法話の会や講演会、そしていろんな楽しいイベントも開かれます。

 

でも、そういう癒しや安らぎ、喜びを分かち合う場所であると同じく、あるいはそれらに増して、お寺は老病死について、考える場所です。

 

お釈迦さまは、この老病死に生まれ生きることを加えた生老病死を『苦』ととらえて、その苦しみを見つめ、その原因を尋ね、それを乗り越えていく道を求めた方でした。


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そんなお釈迦さまの『道』を伝えるのがお寺ですから、いくら「地域に開かれた明るいお寺」を標榜しても、お寺である以上、陰気になってしまう話、出来れば避けたい話、楽しくない話しがたっぷり詰まっているといってもいいでしょう。

 

そんなんじゃ、行くたびに気が滅入るわけですが、私たちの人生には光と影があり、光り輝く青春時代があれば、やがて老いて死んでいくという、人生の夕暮れから夜への過ごし方を学ぶ場も必要なのですね。

 

そして、身近に、そういう場所があるということは、実はとても素晴らしいことなのではないでしょうか。誰かの老い、誰かの死、という三人称のお話として考えるのではなく、私の老い、私の死、という一人称、あるいは自分にとってかけがえのない家族や伴侶という「あなた」の老い、あなたの死、という二人称の老いや死として向き合い、思いを深めたり、また分かち合ったりする場所。それは、必ずしも楽しいことではないかもしれません。でも、パックツアーで名所観光だけした旅より、じっくりと旅先の街の裏道を歩いてその土地を味わう旅のように、人生の味わいは深まるように思います。

 

その味わいが深まるほど、楽しさや喜びを、身の回りにたくさん見出せるようになるのではないでしょうか。

 

これからは、そんな気づきや語り合いの場も、少しずつお寺に作っていけたらな、と願っています。

長谷寺秋分祭には、いろんな「表現」の花が咲きます。 


歌、踊り、絵画、それらアートだけではなく、マルシェには食べ物、飲み物、それから手作りの雑貨や小物たち。それぞれ表現する人、作る人の、真心が花咲いています。 

そんな中で、素敵な身心ケアのセルフマッサージのワークショップが開かれました。

住職も参加し、短時間でしたけれど、実際に自分の体を触りながら、いろんなことに気づかされました。

フェイスブックの記事ですが、よろしければご覧ください。


観音@ハツセ考

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風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。

最初の種が落ちたのはどこだったのか。

あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。


果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。


机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。

いつかある時、種は机から転がり落ち、壁から離れて、このジメジメとした大地に、めまぐるしい気候によって稀に見るほど発達した自然観を心底に横たえる日本人の大地に、落ちたのだ。


僕は、ひとつ、おぼろげにその「時」の様子を思うのである。


種は、観音と呼ばれるものであり、大地は、ハツセと呼ばれる土地であった。

机の上では、観音はまだ千変万化を誇る外国の神に過ぎなかった。

壁飾りでは、観音はまだ金色がまぶしいだけの意味不明な異形な人形に過ぎなかった。


その種が、ハツセにこぼれ落ちた時、種はそこが自分の居場所であるかのように根を張り、大きく大きく育っていくことになった。そしてあっという間に、その観音という巨木は、ハツセという大地をその大きな根で覆い隠してしまった。


やがて人は、そこに聳える観音の巨躯に目を奪われて、そのあたかも何万年も前からそこに鎮座しているような堂々たる存在が、どこに立っているのか忘れてしまった。そこに立っているからこそ、小さな種は巨樹になりえたというのに...。

 

ハツセは、泊瀬。そして初瀬。


清らかな谷川の奥へとさかのぼれば、やがて狭まる谷あいのその奥に、水の流れが流れ来たっては泊まり、また流れはじめる「瀬」がある。

その瀬において、水の終わりと始まりがひとところに融け合う。

死と生とが、そこにひとつに融けあうと、そう古代人が思うのに時間はかからなかったろう。

してそのような場所は、再生の地、魂の浄化の聖地となってゆく。

終わりと始まりがひとところに交じり合う両義的な場、そこに死もありまた生もある幽明のあわい。

ハツセを表記するに、思い余った智恵ある人が、その地を俯瞰して「長谷」と書いたものか。


問題は、この瀬に落ちた観音という種であった。


このハツセという聖地が、魂の浄化の場としてはるかな古代から人々が重視していたことは想像できる。

そして、この列島に運ばれてきた観音という種は、あちこちに蒔かれながらもこのハツセにおいてもっとも大きくもっとも深く根を張った。

それはなぜか。

注目すべきは、多くの伝説が、この土地が「もともと観音の聖地であった」と告げていることである。種は、実はもともとそこにあったのだが、発芽せず、根も張らなかった、というのだ。


僕はこう考えている。

ハツセという聖地において、魂は死に、浄化され、新たな生命をいただいて生まれる。

清められ、再生する魂。

ハツセにおいて、古代日本人は、淡々と、ただ淡々とそのような場の力に身を任せて、祈り続けていたのではないだろうか。

しかし、ある時、このハツセという場において何が起こっているか、再生や浄化の時、私たちの中で何が起こっているか、そのような宗教的な意識の変容の言語化が問題になったのだと思う。

誰かが問題にしたというより、その場の力や、その場で体験されることを意識化したり、言語化したりすることが、時代の成り行きの中で必然的に、しかも強力に要請されてきたのではなかったか。


つまり、人間の魂は、どのような力によって浄化されるのか。

どんな働きによって再生するのか。

再生には、どんな人間性が必要なのか。

あるいは、何が欠落することによって、我々は再生や浄化を必要とするのか...。


このような問いに、ハツセの川を流れ下る水は何も答えない。

水は答えず、ただ浄化し、癒し、再生するのだ。

魂を再生するのは、いったい何なのだろうか。



太陽信仰の聖地としての長谷寺

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長谷寺の観音堂は東を向いて
建てられています
春と秋の彼岸、
春分、秋分の季節には、真正面に太陽が昇ります。


ちょうど、
東の彼方にそびえる
根子岳と四阿山が
双子山の如くに
美しく並び、
その間から
彼岸の太陽が姿を現します。
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春分、秋分という
昼夜のバランスが調和する
神秘の時
私たちの祖先は
長谷山の頂きに立って
この朝の太陽を拝んだことでしょう。

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いつ、誰が、気づいたのか。
それは語り継がれ、今にいたります。
ぜひ一度
この真東の
ふたつの山の間から昇る
日の出をお参りください。

2020年7月

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