住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言の最近のブログ記事

摘むか、注ぐか

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花を可愛がる人は、咲いている花を摘んで飾る。

花を愛する人は、咲いている花に毎日水を注ぐ。

子育ての話の中で、ある先生がこんな言葉を紹介しながら、「可愛がる」と「愛する」の違いについて教えてくれました。

現代人は、この二つを混同しているのではないか、という問いかけでした。

いただいたお花を枯らしてしまうことが多い私にはなんとも耳の痛い言葉で、思えば、私の子育てはどうだったろう? 

種から花を咲かせるまで根気よく水遣りをしたり、土づくりや環境を調えるよう心を配ったりしただろうか。

要するに、毎日毎日、心を使ってきただろうか。。。

子育てばかりではありません。

友人との関係や、仕事のお付き合い、地域の人との輪の中でも、そこに時間をかけて、根気よく、しっかり見つめながら水を注ぐようにして、ご縁を育んできただろうか。

摘んできた花々が咲くまでの時間を知らず、その花が開く仕組みも、その根っこの姿も知らないのに、自分は花を愛していると勘違いしてしまう。

昔から花盗人が非難されるのは、「毎日水を注ぐ」という生き方へのあまりの敬意の無さのゆえでしょう。

毎日水を注ぐ心は、その花はもちろんですが、その種に始まり、命の芽吹きから生長と開花、そして衰えや枯死までを含めた全体に注がれているのでしょう。

そのようにして花との関係を深める人は、家族や友人やものや世界とのつながりも丁寧に育んで、やがては、花の咲き散りの喜びや悲しみを知るように、より深く人生を生きるのだと思います。

時の流れの早さ、老の早さに戦慄する時、人は(私は)焦って何かしたくなり、慌てて花を摘んで飾ることでそれを可愛がり、心を満たしたくなるものですが、そんな時こそ、摘み取る手を止めて、ひと手間ひと手間を惜しむことなく、水を汲み、その根元まで水を運び、そっと注ぐ。

それを毎日毎日、続けていく。花にも、家族にも、友にも、地域にも、その繰り返され注がれた手間の分だけ、私の人生にも水が注がれると思って。

そのようにしてしか決して咲かない花が、人生にはあるのではないでしょうか。

明日香村 岡本寺 はがき説法 寄稿


時を越えた美しさの秘密

 

 

悲惨な事件、気の毒な出来事が続く。

防ぐことは出来なかったのかと、みんな考えていると思います。

残酷な行動に出てしまった人も、そのような行動をするどこか手前で、

「助けて」と言える場面があったならば、と、、、。


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女優のオードリー・ヘップバーンが大切にしたという詩の一説を思い出します。

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人生に迷い、助けて欲しいとき、いつもあなたの手のちょっと先に

助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで下さい。

年をとると、人は自分にふたつの手があることに気づきます。

ひとつの手は、自分自身を助けるため、

もうひとつの手は他者を助けるために。

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サム・レヴェンソン Sam Levenson

米国の作家 教師 ジャーナリスト 19111980

 

お互いに少しずつそうやって、「助けて」と、言いやすい世の中にできたら。

大きなことは出来なくても、自分に出来る小さなことを、私の「手」で、ちょっとだけ。

「で」の人

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「で」の人

 

以前、本山の僧堂で指導をしていた時、T君という修行僧がいました。

彼は寺院後継者ではなく、30歳を過ぎて発心し、仕事を辞めて道場にやってまいりました。

彼はひと言でいうと不器用でした。


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お経も、人と話すのも、何をやっても不器用で、その様子は何でもスマートにこなす今時の若い修行僧たちの失笑を買うのでした。


修行僧たちの大半は寺の子です。

「今時の」とは言え、まったくの初心者ではなく、修行も学門もスムースです。

これに対してT君はぎこちなく、スムースには程遠いのでした。


ある時、そんな彼を心配し僧房を訪ねました。

修行僧の小さな個室です。

私は「修行は辛くないか」と率直に尋ねました。

すると彼は不思議そうな顔をして「毎日充実しています」とドモリながら応えました。

その顔は「人生でこんなに楽しい日々はない」という輝きなのでした.

私は驚き、そして気づかされました。

彼は少しも困ってないし、苦しんでいないのです。

仏道生活、その教えに従って暮らすことが楽しくて嬉しくて仕方がないと言うのです。

見れば、彼の部屋は清らかに整頓されていました。

自ら写仏した本尊をおまつりし、水と花を供え、何巻もの写経が供えられていました。

壁には釈尊や弘法大師の言葉が掲げられ、部屋は仏さまで満ちていました。


寺の跡取りである若者の多くは、本山での修行を資格取得のためととらえていて、仏教の学門もその延長で考えています。

彼らにとって仏教は、いわば職業上必要な知識なのです。

しかしT君は違いました。

多くの僧侶が資格取得のために仏教「を」学ぶのですが、T君は仏教「で」自分自身を、人生を学び、生きているのでした。

彼は卒業までずっと不器用でしたが、いつの間にか彼を笑うものはなくなりました。


あれから時が流れ、多くの仲間が寺を継いでいる今、彼は社会に戻り働いています。

不器用さは相変わらずでしょう。

でも、きっとT君は今も仏教「で」人生を歩んでいるに違いありません。

「を」ではなく「で」の人。


僧堂での不器用なT君の姿を思い出すと、懐かしさとともに、大事なことが蘇ってまいります。

ねこ

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涅槃会が過ぎると、信州も春が近づいてきます。

今朝も、境内の裏山で鶯がたどたどしく鳴いていました。

新聞で素敵な歌と出会いました。

↓をご覧ください。



未来の御成敗式目が生まれる日まで

ある文化が違う世界観を有する思想と出会うと、それを受け止め、吟味し、消化して血肉化し、その思想を自分たちの言葉で語り、それを「生きる」のに数百年という時間を要する。

そんな話を聞いたことがあります。

例えば仏教についていえば、今から2500年ほど前に、インドでお釈迦さまによって開かれた仏教は、人から人へと伝えられ、なんと500年という歳月をかけてシルクロードを進み、2000年ほど前、ちょうど紀元前後に中国に伝わります。

ありがとうございました

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観音は近づきやすし除夜詣    虚子

 

この句は、昭和10年の大晦日に浅草の観音さま(浅草寺)にお参りした高浜虚子が詠んだものです。

 

いよいよ年の瀬を迎えて、除夜詣(二年参り)に訪れる人たちが集まってくる。浅草寺の賑わいが思われ、その賑わいの向く先は、江戸時代から庶民に親しまれてきた観音さま。

 

俳人虚子も、そんな賑やかな参詣人たちの一人になって参道を歩いていて、除夜詣に向かう人々を眺めれば、安心しきって観音さまへの参道の流れに身を任せている。どこの、何者に向かってお参りに行くのか、お参りをする心構えやら難しい理屈など何も心配することなく、夜店の明かりや、今夜ばかりは夜更かしを許される子どもたちの歓声が境内にこだまし、こんなにも安心してお参りをできることを、ふと不思議に感じる。

 

除夜と言えば、「闇を除く」すなわち、仏の教えや修行によって煩悩の闇や汚れをはらうことであり、新年を迎える習慣と仏の教えとが溶け合った日本の素晴らしい暮らしの文化ですね。でも、そんなことも何も考える必要とてなく安心してお参りできる。

 

そんなおおらかなお参りのなんと安らかなことでしょう。

 

観音さまは、あらゆる方向に向けて救いの門を開いておられ、普く人々、あまねく方向に開かれた門ということで「普門(ふもん)」の教えの菩薩と称されます。菩薩とは、仏教が掲げる人間の理想の姿ですが、それは自らの利益と、他者への利益とが一致する人、自利利他の生き方を目指す人の呼び名ですね。ですから、観音さまは、普く人々の癒しや救いを我が喜びとし、その喜びを我が修行としておられる方といえましょう。しかも、あまねき命をもらさず救いとらんという願いは、それ自体が果てしない、終わりなき大大大事業です。それゆえ、私たちの至らなさやダメダメさ、観音さまのことさえ知らない信心のなさも問わずに、その広大無辺の門を果てしなく、永遠に開いているのでしょう。

 

そんな広い広い心が、いつしか私たちを包み込んで、親しみやすい、近づきやすい存在として、浅草の観音さまのように私たち庶民を心が自然と向かうのでしょう。

 

いよいよ、年の瀬大晦日。

 

長谷観音のご本尊さまも、広い広い海のような、高い高い山のような、それらを全て包み込む空のようなお心で、皆さまをいつも、そしてずっと待っておられ、いつも、そしてずっとそばにおられます。

 

今年は、どんな一年でしたか?

 

辛いことも、悲しいこともあったでしょう。

楽しいことも、喜ばしいこともあったでしょう。

出会いがあれば、別れもあったでしょう。

得るものがあれば、失ったものもあったでしょう。

 

どんな日々も、私だけの、大切な一日一日として、いよいよ大晦日。

 

観音さまに除夜詣でして、一緒に善き年をお迎えしましょう。

 

今年もお世話になりました。

 

皆さま、本当にありがとうございました。

 

南無大慈大悲観世音菩薩

お寺というところは、祈り、学び、気づき、出会いがある場所であってほしいといつも思っています。

 

そのため、祈りの法要だけでなく、法話の会や講演会、そしていろんな楽しいイベントも開かれます。

 

でも、そういう癒しや安らぎ、喜びを分かち合う場所であると同じく、あるいはそれらに増して、お寺は老病死について、考える場所です。

 

お釈迦さまは、この老病死に生まれ生きることを加えた生老病死を『苦』ととらえて、その苦しみを見つめ、その原因を尋ね、それを乗り越えていく道を求めた方でした。


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そんなお釈迦さまの『道』を伝えるのがお寺ですから、いくら「地域に開かれた明るいお寺」を標榜しても、お寺である以上、陰気になってしまう話、出来れば避けたい話、楽しくない話しがたっぷり詰まっているといってもいいでしょう。

 

そんなんじゃ、行くたびに気が滅入るわけですが、私たちの人生には光と影があり、光り輝く青春時代があれば、やがて老いて死んでいくという、人生の夕暮れから夜への過ごし方を学ぶ場も必要なのですね。

 

そして、身近に、そういう場所があるということは、実はとても素晴らしいことなのではないでしょうか。誰かの老い、誰かの死、という三人称のお話として考えるのではなく、私の老い、私の死、という一人称、あるいは自分にとってかけがえのない家族や伴侶という「あなた」の老い、あなたの死、という二人称の老いや死として向き合い、思いを深めたり、また分かち合ったりする場所。それは、必ずしも楽しいことではないかもしれません。でも、パックツアーで名所観光だけした旅より、じっくりと旅先の街の裏道を歩いてその土地を味わう旅のように、人生の味わいは深まるように思います。

 

その味わいが深まるほど、楽しさや喜びを、身の回りにたくさん見出せるようになるのではないでしょうか。

 

これからは、そんな気づきや語り合いの場も、少しずつお寺に作っていけたらな、と願っています。

長谷寺秋分祭には、いろんな「表現」の花が咲きます。 


歌、踊り、絵画、それらアートだけではなく、マルシェには食べ物、飲み物、それから手作りの雑貨や小物たち。それぞれ表現する人、作る人の、真心が花咲いています。 

そんな中で、素敵な身心ケアのセルフマッサージのワークショップが開かれました。

住職も参加し、短時間でしたけれど、実際に自分の体を触りながら、いろんなことに気づかされました。

フェイスブックの記事ですが、よろしければご覧ください。


観音@ハツセ考

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風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。

最初の種が落ちたのはどこだったのか。

あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。


果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。


机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。

いつかある時、種は机から転がり落ち、壁から離れて、このジメジメとした大地に、めまぐるしい気候によって稀に見るほど発達した自然観を心底に横たえる日本人の大地に、落ちたのだ。


僕は、ひとつ、おぼろげにその「時」の様子を思うのである。


種は、観音と呼ばれるものであり、大地は、ハツセと呼ばれる土地であった。

机の上では、観音はまだ千変万化を誇る外国の神に過ぎなかった。

壁飾りでは、観音はまだ金色がまぶしいだけの意味不明な異形な人形に過ぎなかった。


その種が、ハツセにこぼれ落ちた時、種はそこが自分の居場所であるかのように根を張り、大きく大きく育っていくことになった。そしてあっという間に、その観音という巨木は、ハツセという大地をその大きな根で覆い隠してしまった。


やがて人は、そこに聳える観音の巨躯に目を奪われて、そのあたかも何万年も前からそこに鎮座しているような堂々たる存在が、どこに立っているのか忘れてしまった。そこに立っているからこそ、小さな種は巨樹になりえたというのに...。

 

ハツセは、泊瀬。そして初瀬。


清らかな谷川の奥へとさかのぼれば、やがて狭まる谷あいのその奥に、水の流れが流れ来たっては泊まり、また流れはじめる「瀬」がある。

その瀬において、水の終わりと始まりがひとところに融け合う。

死と生とが、そこにひとつに融けあうと、そう古代人が思うのに時間はかからなかったろう。

してそのような場所は、再生の地、魂の浄化の聖地となってゆく。

終わりと始まりがひとところに交じり合う両義的な場、そこに死もありまた生もある幽明のあわい。

ハツセを表記するに、思い余った智恵ある人が、その地を俯瞰して「長谷」と書いたものか。


問題は、この瀬に落ちた観音という種であった。


このハツセという聖地が、魂の浄化の場としてはるかな古代から人々が重視していたことは想像できる。

そして、この列島に運ばれてきた観音という種は、あちこちに蒔かれながらもこのハツセにおいてもっとも大きくもっとも深く根を張った。

それはなぜか。

注目すべきは、多くの伝説が、この土地が「もともと観音の聖地であった」と告げていることである。種は、実はもともとそこにあったのだが、発芽せず、根も張らなかった、というのだ。


僕はこう考えている。

ハツセという聖地において、魂は死に、浄化され、新たな生命をいただいて生まれる。

清められ、再生する魂。

ハツセにおいて、古代日本人は、淡々と、ただ淡々とそのような場の力に身を任せて、祈り続けていたのではないだろうか。

しかし、ある時、このハツセという場において何が起こっているか、再生や浄化の時、私たちの中で何が起こっているか、そのような宗教的な意識の変容の言語化が問題になったのだと思う。

誰かが問題にしたというより、その場の力や、その場で体験されることを意識化したり、言語化したりすることが、時代の成り行きの中で必然的に、しかも強力に要請されてきたのではなかったか。


つまり、人間の魂は、どのような力によって浄化されるのか。

どんな働きによって再生するのか。

再生には、どんな人間性が必要なのか。

あるいは、何が欠落することによって、我々は再生や浄化を必要とするのか...。


このような問いに、ハツセの川を流れ下る水は何も答えない。

水は答えず、ただ浄化し、癒し、再生するのだ。

魂を再生するのは、いったい何なのだろうか。



太陽信仰の聖地としての長谷寺

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長谷寺の観音堂は東を向いて
建てられています
春と秋の彼岸、
春分、秋分の季節には、真正面に太陽が昇ります。


ちょうど、
東の彼方にそびえる
根子岳と四阿山が
双子山の如くに
美しく並び、
その間から
彼岸の太陽が姿を現します。
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春分、秋分という
昼夜のバランスが調和する
神秘の時
私たちの祖先は
長谷山の頂きに立って
この朝の太陽を拝んだことでしょう。

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いつ、誰が、気づいたのか。
それは語り継がれ、今にいたります。
ぜひ一度
この真東の
ふたつの山の間から昇る
日の出をお参りください。

たましいのめぐりあい

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お盆が近づくと「たましい」について思うことがありますね。


 

仏師の友人がいます。


新しい仏像を造るより、むしろ修復をもっぱらとしているのですが、彼がこんな話しをしてくれました。


「仏師というのは、自分で造り上げた仏像を何百年後かに生まれ変わって、また仏師になって自分で修復するんです」


彼は千年も前に造られてすっかり傷んだ仏像の前にたたずんで、長い年月を経てきたお像の指先や衣紋、背中の曲線をひとつひとつじっと眺めながら、そう言うのです。


茶目っ気のある彼のことだから、そんな言葉を真に受けてはいけないぞとその表情を見てみれば、お像のお顔に向ける眼差しは、遥かに傷みも風化もない頃の姿を懐かしんでいるかのように思われ、そばにいる私もその「千年の邂逅」に立ち会って厳粛な思いに打たれるのでした。


弘法大師空海の師である恵果阿闍梨は、真言密教の全てを弟子である空海に授け終えてこう言われます。


「お前と私は、遠い遠い過去から、お互いに師となり弟子となってこの尊い仏法を伝えてきた。この度は私が伝えたが、次は私が弟子となって法を授かろう」と。


この言葉を受けた弘法大師は、後に懐かしい師を偲び、悟りを得ることよりも、この法と遭えたこと、その法を伝える師とめぐり合えた深い喜びを語っています。


人身は受け難く、仏法は遭い難し。


仏師は、目の前の仏像との縁を、魂の縁として深く受け止め、師と弟子は、そのめぐり合いの不思議を、永い永い魂の絆、法の契りとして受け止めていく。


仏師でもなく、空海でもない私たちですが、同じく命を授かってかけがえのない人生を生きているのですから、この世の旅路を、この一瞬一瞬を少しでも有意義にしたいものです。


ならば仏師や弘法大師の思いをヒントに、魂の縁に思いをはせてみてはいかがでしょう。


目の前の何気ない風景が、ただ漫然と流れていくのをやめて、何事かを語りかけてくるように感じられ、家族や友人と過ごす何気ないひと時がいとおしく感じられてくるのではないでしょうか。


奈良 明日香 岡本寺 ハガキ説法に寄稿

すきなお花は?

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降りつづく雨が朝方少しやんだ。

すると、妻のお母さんが庭に出て紫陽花を一輪、摘んできた。

お母さんは80歳を過ぎ、体も弱ってきたけれど、昔は学校の先生でした。

先生だけあって、ピリッとした厳しいところがある。

子どものころ厳しかった先生が、卒業後に会うと、とても優しい人であることを知って驚くことがある。

妻のお母さんもそんな感じで、ピリッとしているけれど、実は優しい。

優しさを上図に家族や他者に表現できる人もあれば、そうでない人もある。

今日のように優しさが求められる時代は、「実は優しい」人にとっては、生きにくい時代かもしれない。

実は意地悪だけど、優しさを表現するのは上手、という人もある。

不器用な人の優しさは、高倉健が生きていた頃より、もっと伝わりにくくなっている気がする。

雨の合間に、少し痛む足をかばいながら外に出たお母さんは、青い紫陽花を一輪摘んできた。

そして、テーブルの片隅に飾ってくれた。

長雨で気分も沈み、部屋もいささかどんよりしていたのに、ふっと明るくなってようだ。

優しさが、部屋に広がった。

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あまりじっくり語り合うこともなかったけれど、最近は一緒に過ごすことが増え、思い出話をしたりする。

今日は、紫陽花の花を摘んできたお母さんに尋ねてみた。

「おかあさん、好きなお花は何ですか?」

すると、いつもどちらかというとピリッとした表情の顔がぱっと明るくなった。

「私はもうなんといっても紫陽花のお花が大好きよ」。

「どうしてですか?」

「だって学校の子どもたちみたいでしょう。小さなお花が皆でひとつに並んで咲いているの」

「ほんとうですね~」

「ほら、子どもたちが合唱しているみたいでしょう」


そう言われてみると、確かにその通りだ。

雨の中、傘を指して庭に出てみた。

あちこちで、子どもたちが心ひとつに歌っている。


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梅雨の露の中に

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梅雨、空梅雨ですが、今は梅雨。

しとしとと、雨が降り、アジサイの花が咲いて、そこにカタツムリ。

そんな風情を楽しむ今日この頃。

天から落ちてくる無数の、それこそ無量無数の雨粒。雨粒。雨粒たち。

そんな一滴も、大地に落ちれば、流れ集まります。

大地にしみこんだり木の根に吸われたり。

根に吸われたら木の中を通って、また葉から大気へ。

あるものたちは小川へ、そして大きな川へと集ってやがて再び大海へ向かいます。

そしてやがて太陽の光を浴びる大海で、ゆったりと気体となって大空へ。

冷たい風が吹いてくれば、雲に生まれて、またあるものは雨に。

雨、雨、雨となった無量無数の雫となって、またここに。


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この一滴が、そんな旅を続けているのを、じっと思い巡らしてみる。

そして、その一滴がこんなふうに、葉にとどまるのをじっと見ている。

小さな、美しい一滴の雨露。

じっと見て、その帰し方に思いをはせ、その行き方に思いをはせる。

その滴には、世界が映っている。

その滴に、この世が映っている。

すると、その映っている世界の奥にはまたまた梅雨の雨が降る。

その中に、無量無数の雨が降る。

その一滴の滴に、思いをはせる。

その滴に、また世界が映っている。

その奥に、また無量無数の雨が降る。

その一滴には、また世界が映っている。


私たちの人生が、そのどこかに映っている。


梅雨の日は、雨粒に学ぶ。

禅が伝える昔の老師さんのエピソードにはハッとさせられるものが多い。


うろ覚えだけど、こんなのがあった。

 

むかし、ある修行僧が心から尊敬する師について修行していた。

清僧として知られる憧れの師について修行することが深い喜びだった。


ある時、師のお供でお出かけをした。

川に差し掛かったが、あいにく橋はなく、渡し舟もなかった。

仕方なく浅瀬を歩いてわたろうということになった。


そこには若い女性もひとり同じように川を渡れず困っていた。

すると師が、どれ娘さんや私の背に負んぶなさい、といって若い娘を負ぶって川を渡っていった。

弟子は驚いた。


若い女性を、尊敬する師が負んぶしている姿に、戒を受け仏道を歩むものとして違和感を受けた。

なぜだろう、どうしてだろう。


ぶじに川を渡り終え、師の背から下ろされた女性も深々と頭を下げて去っていった。

 

しばらく歩いても弟子は師への疑問が尽きなかった。

やがて弟子はたまらず師に尋ねた。

老師さま、我々出家のものは戒を受け、女性に触れることは禁じられております。

しかし、師は触れたばかりか、その背に負われました。

どうしてですか?

 

すると師は答えた。

 

「なんじゃ、お前はまだ下ろしてないのか?」


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さて、みなさんは、どう思いますか?


私も、この弟子の気持ち、わかりますね~。


でも、師の自由さも、素敵ですね。


このエピソードは、折に触れ、思い出します。


思い出すような時は、何か、このエピソードに心が引っかかるのでしょうね。



住職 記



再生の聖地ハツセに学ぶ

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長谷寺の長谷はそもそもハツセという。

漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。

果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。


終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


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流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。



古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。

そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。

長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である。


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された。

これはいかなることか。

十一面は「大悲」を本願とする観音である。

大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。







2019年8月

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