住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言: 2010年11月アーカイブ

晋山式(傳燈奉告法要)

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さる31日、第三十五世の長谷寺住職に就任する法要が行われた。

いわゆる晋山(しんざん)式であり、寺に代々継承されてきた法の灯火すなわち法燈を伝え受けることを、本尊、鎮守、祖師先徳(宗祖や長谷寺代々の住職)、檀家、関係諸寺院、地域関係者、そして供養されているところの祖霊に対して奉告する法要である。

それは、新しい住職を、檀家が迎えるものとして、どこか伝統的な嫁入りの儀式と似ているものである。

実際、新住職(新命という)は、一旦ある檀家さん(今回は長谷寺檀家総代長)の家から寺に入る形を持つ。この家を「菩提親」といい、世襲でなかった時代には、出家して生家を離れている新住職にとって、いわば親代わりの後見人のような立場で、身の回りの品や御衣類などの支度品を整えた。近年まで、この菩提親ともなると家まで新築して新住職を送り出したという。

むろん、現代ではそれほどのことはないが、私の場合も、総代長ご夫妻が文字通り親身になっていろいろとご心配くださり、当日は諸事万端を家族、親族で整えてくださって感動的に送り出してくださった。

また晋山式一日の画像は改めてアップしたいと思いますが、心配された台風もそれ、晴れることこそなかったものの、暖かい一日となって、75人ものお稚児行列、庭儀法要も無事行うことができ、その後の傳燈奉告法要、記念式典、祝賀会まで、信じられないほど見事にスケジュールどおりに進行した。

この日のために、実行委員会を立ち上げて、記念事業を初めとする諸事業を進めてくださった総代さんをはじめとする役員の皆様、その趣旨を汲んで理解を示し、この経済情勢の中ご寄付をしてくださった上に物心両面からさまざまなサポートをしてくださった全檀家の皆さん、また法要前から何日も足を運んで法要の支度を整えてくださったご縁のご住職各位に、御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

私は、下記の奉告文で観音信仰を高顕することを本願とするこの寺の住職としては、その本願を自分の本願としていきたいと述べています。寺の住職としては、本尊の教えを伝えるなんて当たり前のことのようですが、そのような取り組みが可能になる条件が整うことは、けっして当たり前ではありません。むしろ稀なことではないかと思います。

その意味で、私は恵まれています。なぜなら、その稀なる環境に在るからです。

新住職となって、寺の本願に沿って活動します、と言えるのは、とても立派なことを言っているようでいて、実はそうとうにのん気なことでもあると思います。お坊ちゃんな内容なのです。だって、支えてくれる檀家さんもなく、お堂は壊れ雨漏りだらけ、家族のためには住職以外の仕事に就かなくてはならない、と、そんな条件の中であったなら、言い得ることも限られてくるでしょう。また逆に、ある意味でのん気な、その理想的な文言を傳燈奉告にあたって述べることが許されたということは、一層の自戒として、これを受け止めていかなくてはならないと思うのです。

私の場合は、先代であり父である34世が、その条件を整えるために40年を尽くしてくれたと思うのです。

のうのうと、私は今、そのお膳立てをしてもらったところへ、座ろうとしている。

そこのところは、忘れないようにしたい。

自分が今座った「第三十五世」という座は、自分で築いたものではない、ということ。

その座を支度し、整え、すわり心地よくしてくれているのは、たくさんの檀信徒さんと、長谷寺檀徒一切精霊と、先代夫婦と、地域十方有縁の皆さん。

お釈迦様は、その恩を忘れないようにと六方礼を説いた。

今回の事業では、先祖供養の位牌堂を整備してもらったが、そのお堂の入り口には、父に「恩」という一字を大書してもらって額にした。位牌堂には、この寺を護ってくれてきた全檀家の先祖が供養され、また現戸主の名が記されている。

「恩」。

今まで、実はそれほど意識に上ってくることのなかったこの言葉。

今回の晋山事業で、強く立ち上がってきた言葉。

大切にしていきたい言葉。

 

 

 

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