住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言: 2012年3月アーカイブ

思いやりの誕生日に-花つまり-

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思いやりの誕生日に-花つまり-

梅が香り、桜が咲き、桃の開く春を迎えると、お釈迦様の誕生日、四月八日がやってきます。

暦の妙か、辛い冬が去っていっせいに花々が咲くこの季節に、お釈迦様はお生まれになるのです。

 

私達の仏心もまたそうかもしれません。

冬なくして花が咲かないように、悲しみを知らず、苦しみも知らずして、仏心が生まれることはありません。

チベットには、泣き虫菩薩と呼ばれたみじめな菩薩が、何を見ても聞いてもめそめそと涙をこぼし、そのこぼした涙が水溜りとなり、次第に池となり、やがて大きな湖になると悲しみが極まって大悲観音菩薩になったというお話しがあります。

悲しいという言葉は「かなわない」に通じ、力の及ばない、ちっぽけな存在であるという嘆きの言葉とされます。しかし、この悲嘆が極まって悲しみの自己中心性がはじけ、人間という存在の普遍的な悲しみに到ると、他者の悲しみを真に分かち合う大いなる悲しみ(=思いやり=観音性)に深化するのだと思います。

 

言うまでもなく、今も、私達日本は深刻な苦難と深い悲しみの中にあります。

東日本大震災がもたらしている悲しみ、とりわけ被災地の人々の悲しみは一年たった今も変わらず、その深さは計り知れません。

圧倒的な自然の前で私達は自らの無力さに打ちのめされています。

手に負えない放射能の前で途方に暮れています。

 

花まつりは誕生仏に甘茶をそそいで祝う日ですが、今なお悲しみにくれる春においては、皆さんと共にあらためて被災者の悲しみを分かち合い、これからの辛い日々を共に耐えて、いつか心から春の花を共に愛で合う日まで被災地の方々と共にあることを誓う「思いやりの誕生日」とし、小さな我が仏心に涙をそそぎたいたいと思います。

(奈良 岡本寺 はがき法話に寄稿。一部改訂)

2015年7月

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