住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言: 2015年5月アーカイブ

こころの御開帳

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心の御開帳

 

今年は長野市の善光寺において七年に一度の御開帳中です。

本尊一光三尊阿弥陀如来は「絶対秘仏」で開帳されるのは前立本尊ですが、五月末日までの二カ月の期間中に七百万人が参詣すると言われています。

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この善光寺にお参りしますと、私は「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき」という与謝野晶子の歌を思い出します。

 

よく神社仏閣の参詣所に参ると「善男善女」という言葉を耳にします。

ご利益のある霊場にお参りする人々のことですね。

でも、祈りの場所は、必ずしも善男や善女だけが参るものではありません。

もちろん悪男や悪女も参るでしょう。

そもそも私たちは誰しも迷いの心を抱えて日々に善と悪とを右往左往する男女ですから、「善男善女と言われても、半分は当たっているけれどなぁ」と照れ臭いような申し訳ないような気持ちになってしまいますね。

 

しかしながら、善光寺さんの境内ですれ違うたくさんの人々は、みんな善男善女そのもの。そう呼ぶほかない晴れやかな善きお顔になっています。これはどうしたことでしょう。

 

思うに、昔からの神仏の霊場には、そこに行くだけで参る人の心を清々しい気持ちにする不思議な力があるのでしょう。

日頃の迷いの雲も晴れて、私たちのうちに深くそなわる善き光が美しく輝くのでしょう。与謝野晶子の歌の如くに、善光寺で会う人はみな美しき、です。

 

むろん、そんな美しき善男善女も、再び暮らしに帰ればたちまち右往左往です。

この四苦八苦の憂き世は、私たちをずっと善男善女にしておいてくれませんね。

私たちの善なる心の扉はどうしても閉まりがちです。

私たちが神仏に祈るのは、この憂き世にあって、いつも覆われてしまう私たちの心の扉を開くことです。

善光寺まで行けなくても、心から身近な神仏に祈りを捧げる暮らしを築いて、今日の一日を、善男善女で過ごして参りましょう。

(明日香 岡本寺はがき法話 寄稿より)


2015年7月

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