住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言: 2015年10月アーカイブ

インターネット寺院「彼岸寺」をご存知ですか?

仏教の「今」を感じることが出来るウェブサイトとして、とても人気です。

宗派を超えた若い世代のお坊さんたちが運営していて、切り口も表現もポップで分かりやすく、仏教の魅力も満載です。なによりひとりでも多くの方に仏教と出会ってほしいという気持ちが溢れています。

そんな「彼岸寺」にご縁をいただいて、このたび一文を寄稿させて頂きました。

近々公開の映画『ボクは、坊さん。』の著者白川密成さん(今治市・栄福寺住職)の新刊『坊さん、父になる』の紹介です。

下記をクリックして、ぜひご覧ください。


映画鑑賞前に必読!『ボクは坊さん。』の続編『坊さん、父になる。』をレビューhttp://goo.gl/v4ntwS10月24日の全国ロードショーが近づいてきた映画『ボクは坊さん。』。原作は同名のエッセイですが、実は映画の中身は『ボクは...

Posted by 彼岸寺 on 2015年10月4日

映画の予告編はこちら!

岐に臨んで幾度か泣く

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岐に臨んで幾度か泣く

 

岐は「ちまた」と読みます。すなわち「私は、岐路にさしかかって、何度も泣いた」と、この言葉の主は言うのです。岐路とは、もちろん人生の岐路。なぜ泣いたか。それは、この岐路に当たってどちらに進むべきなのか、それが分からず泣いたのです。そして泣きながら、必死に自分の進む道を求めました。

 

この言葉の主は、誰あろう、弘法大師空海です。「え?」と思う方もあるかも知れませんね。何しろあの弘法大師です。日本仏教のスーパースターで、万能の天才、今なお生きていると信じられる日本の歴史上空前の業績を残している人物です。「そんな人が、泣くの?」と、不思議に感じても無理はありません。でも、そんなスーパーマンのお大師さまも、泣いたのです。きっとお釈迦さまだって、何度も泣いたに違いありません。


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 弘法大師空海


皆さまも、日々の様々な場面で、どちらに進むべきかで途方に暮れ、時にひとり涙することもあると思います。そして進んでみた道が正しかったかも分からず、後悔してまた泣くのです。そんな、涙で前も見えないような人生の岐路で、お大師さんは、どうなさったのでしょう。

 

泣いている弘法大師、そんな姿を思い、私はこう考えます。人生、泣かずに、いつも笑っていられたらいいけれども、私たちの暮らしは決してそんなに順風でありません。しかし、その流した涙や悩んだ時間は、その分だけ深く人生を生きたことともいえるでしょう。太陽の光の下ではなく、月の光でしか見えない光景があるように、涙で濡れた瞳でしか見えない世界があります。涙や悩みを知る人こそ、弘法大師やお釈迦さまの言葉に深くうなずくのではないでしょうか。

 

弘法大師が『同行二人』というお誓いをもって私たちに寄り添っていて下さることの有り難さに、涙がこぼれるのもまた、そんな人生の岐路でのことと思われます。

 

(明日香 岡本寺「はがき法話」に寄稿)

五郎丸選手と三密加持

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ラグビーの五郎丸選手が話題です。

 

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(五郎丸選手のツイッターより)


とりわけ、五郎丸選手のルーティン(きまりきった仕事。日々の作業)と、あの手の仕草が、「まるで仏像の印だ」と話題になっています。ウェブ上では「不動明王の印だ」とか「空海の力を使っている」とか「忍者の子孫だ」などという声もありますね。

 

不動明王とか空海はともあれ、それよりも、興味深いのは、五郎丸選手のキックの前の動作です。あの手の「印」はもとより、身体の姿勢や動作を調え、口でも何ごとかつぶやいているようでもあり、意識も深い集中に入っている様子(歓声が全く聞こえないのだとか!)から、身体・言語・意識の三つを徹底的に調えることに勤めているように見受けられます。(これは、真言密教的に言うならばまさに三密加持!)

 

それによって五郎丸選手はベストなキックを確実に再現しています。自分のパフォーマンスのレベルを最大限に引き出す術として、五郎丸流の「三密加持」をご自身で築き上げたものだと思いますが、優れたメンタルトレーナーもついているとのことなので、密教が示すような方法論も、もちろん試行錯誤の中で取り入れられているのでしょう。

 

イチロー選手も、ネクストバッターズサークルから打席に向かってか前に入るまでの動作に同様なものがありますね。アメリカではそれがとても禅的でクールだと称賛されています。

 

スポーツ選手に限らず、十全に自分の能力を発揮することを目指す人は、こうした身体・言語・意識調和していくスタイル持っていて、それが特有のかっこよさになっているのかもしれません。

 

仏教には、心の安らぎのための教えである面とともに、人間の持っている能力を善きものとして開花するための術としての面もあります。五郎丸選手が、仏教を取り入れているかどうかは分かりませんが、あの不思議とかっこいいルーティンから、仏教のそんな一面をあらためて考えました。

 

観音さまの教えも、癒し、安らぎという面とともに、私たちの持っている生きる力をより良いものとして発揮していく術という面もある、ということを覚えておきたいですね。

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