住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

住職の独り言: 2018年6月アーカイブ

梅雨の露の中に

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梅雨、空梅雨ですが、今は梅雨。

しとしとと、雨が降り、アジサイの花が咲いて、そこにカタツムリ。

そんな風情を楽しむ今日この頃。

天から落ちてくる無数の、それこそ無量無数の雨粒。雨粒。雨粒たち。

そんな一滴も、大地に落ちれば、流れ集まります。

大地にしみこんだり木の根に吸われたり。

根に吸われたら木の中を通って、また葉から大気へ。

あるものたちは小川へ、そして大きな川へと集ってやがて再び大海へ向かいます。

そしてやがて太陽の光を浴びる大海で、ゆったりと気体となって大空へ。

冷たい風が吹いてくれば、雲に生まれて、またあるものは雨に。

雨、雨、雨となった無量無数の雫となって、またここに。


蓮の露.jpg

この一滴が、そんな旅を続けているのを、じっと思い巡らしてみる。

そして、その一滴がこんなふうに、葉にとどまるのをじっと見ている。

小さな、美しい一滴の雨露。

じっと見て、その帰し方に思いをはせ、その行き方に思いをはせる。

その滴には、世界が映っている。

その滴に、この世が映っている。

すると、その映っている世界の奥にはまたまた梅雨の雨が降る。

その中に、無量無数の雨が降る。

その一滴の滴に、思いをはせる。

その滴に、また世界が映っている。

その奥に、また無量無数の雨が降る。

その一滴には、また世界が映っている。


私たちの人生が、そのどこかに映っている。


梅雨の日は、雨粒に学ぶ。

禅が伝える昔の老師さんのエピソードにはハッとさせられるものが多い。


うろ覚えだけど、こんなのがあった。

 

むかし、ある修行僧が心から尊敬する師について修行していた。

清僧として知られる憧れの師について修行することが深い喜びだった。


ある時、師のお供でお出かけをした。

川に差し掛かったが、あいにく橋はなく、渡し舟もなかった。

仕方なく浅瀬を歩いてわたろうということになった。


そこには若い女性もひとり同じように川を渡れず困っていた。

すると師が、どれ娘さんや私の背に負んぶなさい、といって若い娘を負ぶって川を渡っていった。

弟子は驚いた。


若い女性を、尊敬する師が負んぶしている姿に、戒を受け仏道を歩むものとして違和感を受けた。

なぜだろう、どうしてだろう。


ぶじに川を渡り終え、師の背から下ろされた女性も深々と頭を下げて去っていった。

 

しばらく歩いても弟子は師への疑問が尽きなかった。

やがて弟子はたまらず師に尋ねた。

老師さま、我々出家のものは戒を受け、女性に触れることは禁じられております。

しかし、師は触れたばかりか、その背に負われました。

どうしてですか?

 

すると師は答えた。

 

「なんじゃ、お前はまだ下ろしてないのか?」


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さて、みなさんは、どう思いますか?


私も、この弟子の気持ち、わかりますね~。


でも、師の自由さも、素敵ですね。


このエピソードは、折に触れ、思い出します。


思い出すような時は、何か、このエピソードに心が引っかかるのでしょうね。



住職 記



再生の聖地ハツセに学ぶ

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長谷寺の長谷はそもそもハツセという。

漢字を当てれば「果瀬」「泊瀬」「初瀬」と書く。

果は果てること、泊はとまること、初ははじまること。


終わり、とどまり、始まり――。


山深き谷あいの奥の、清らかな水が流れくだる何処かに、そのような特別な「瀬」がある。


yatarougawa12-411x300.jpgのサムネール画像


流れくだってきた水が果て、泊まり、流れはじまる。


ハツセとは、一所でありながら、死と生と、そしてそのどちらでもある幽明のあわいでもある。


人々はいつしかこの三つの意味を秘めこんで、長い谷という地勢だけをもって長谷と表記したのだろう。



古来、人々はその「瀬」に詣で、そして再生を祈った。


魂に深い傷を負う人が、よみがえりを願った。

そこでひとたび果て、とどまり、そして再び生まれた。

長谷参りとは、その基層にこうした犠死再生を横たえた巡礼である。


この幽明のあわいに、いつの頃か、十一面観世音菩薩が出現された。

これはいかなることか。

十一面は「大悲」を本願とする観音である。

大悲(マハーカルナー)とは、大いなる憐れみであり、他者の悲しみ苦しみを我が悲しみ苦しみとする心である。


この同悲同苦の観音がハツセの中心におわすのは、人間性の、あるいは魂の再生にとって何が必要であるのか、そしてそれは見方を変えれば「何の欠如が再生を必要とするような状況に人を追い込むのか」を示してもいよう。


ハツセの叡智に学び、同悲同苦の観音性において再生に取り組みたい。







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