住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

絵解きの最近のブログ記事

仏教芸能が現代に伝えるもの

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仏教芸能が現代に伝えるもの


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信州には『やしょうま』という食べ物があります。お米の粉から作るお団子で、愛らしい花模様にするのは、花の咲かない寒い季節の涅槃会に、少しでもはなやかなお供えをお釈迦さまに差し上げたいという、雪国の人々の心かも知れません。信州の言い伝えでは、ご入滅のお釈迦さまに、ヤショという弟子がお米の団子を差し上げたところ、お釈迦さまは一口召し上がって「ヤショ、うまかったぞよ」と微笑んで亡くなったから、このお供えを「やしょうま」と呼ぶようになったとか。よほど人々に親しまれたのでしょう、やがて涅槃会のことも「やしょうま」と呼びならわすようになりました。

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(画像はJA長野県のウェブサイトより)

この、ほのかに甘いお団子がほしくて、315日の月おくれの「やしょうま」には子供たちがみんな寺に集まり、お堂にかけられた大きな涅槃図を見上げたものでした。涅槃図の絵の中では、臨終のお釈迦さまを囲んで、たくさんの弟子や神さま、それから動物や虫たちが悲しんでいます。子供たちはそんな死の光景を見つめながら何を思ったのでしょう。でも、そんなふうに子どもたちが涅槃図を囲んでいたのは、もう昔のことになってしまいました。いつしか「やしょうま」がほしくて寺に集まる子供たちの姿はなくなり、涅槃会の本堂はとても静なものになり、ただ愛らしい花模様の「やしょうま」がお供えされているばかりでした。

私の妻が絵解きを始めたころは、そんなさみしい「やしょうま」でした。涅槃会のお参りというよりは、お供えの「やしょうま」を懐かしんでポツリポツリとやってくるお年寄りにお茶を出しながら、寒い中をせっかく来ていただいたのだからと、お釈迦さまのお話をしました。まだ生まれたばかりの息子を負ぶって、涅槃図に描かれた物語をとつとつと語りはじめたのです。それが長く途絶えていた我が寺の絵解きの復興であり、妻の絵解きの産声でした。

あれから15年がたちました。人づてに縁が広がり、遠くまで絵解きの旅をすることもあります。絵解きは元来が熊野比丘尼のような名もなき女性宗教家たちによって発展してきた民衆のための芸能です。比丘尼たちは旅をして熊野の神仏との結縁を勧めながら、村々の辻や橋の上で絵解きをしました。現代に絵解きをする妻も、本堂ばかりでなく、公民館やホールなどいろんな場所で、いろんな人々の集まりで絵解きをします。ある時はお寺の法要で、ある時は公民館の文化企画で、ある時は敬老会で、ある時は幼稚園で、ある時は女性たちの集いで、またある時は大切な人を亡くした人たちの集いで絵解きをします。

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そこに集まってくる人たちは、みんないろいろな人生を歩んでいて、性別もお仕事も家庭の事情も大切にしていることも十人十色です。それぞれに喜びや悲しみを抱えています。でも、そんな人たちが、涅槃図の前に肩を寄せ合うように腰を下ろしてお釈迦さまの物語に耳を傾けています。沙羅の樹の間に横たわり、今まさに臨終を迎えているお釈迦さまが、何を語るのかと耳を澄ますのです。

絵解きは、「語り」によって聞き手を物語の世界へといざないます。聞き手は、語りをたよりに、それぞれの心のうちにその世界を思い描いてゆきます。語りの芸と聞き手の想像力とが共に携えあって、遠く2,500年前の沙羅の林へとゆっくりと進んでいくのです。

 

「梢を風が渡ってゆき、かすかな音をたてて沙羅の木の葉を揺らします」

 

そんな絵解きの語りを聴きながら、私たちの目は沙羅の樹の梢を想い見て、その吹く風を肌に感じ、かすかな葉音を想い聴くのです。それらのイメージは聞き手の知識や体験の深層を大地として生えてくる沙羅の樹々であり、いつかどこかで肌に触れた柔らかな風の記憶であり、別れの悲しみのあの日に聞いた葉の揺れる音から想起されてくるのでしょう。それらはみなその人その人の人生の物語が描き出すそれぞれの沙羅の林です。それは客観的な事実として「正しい沙羅の樹」ではないかもしれません。でも、そうやって思い描かれていく世界は、その人その人の人生の物語と地続きになり、そうなるともはや妻の語る言葉は妻のものではなく、お釈迦さまの言葉となって聞き手の人生に語りかけてくるでしょう。絵解きを始めとする仏教芸能とは、その語りの芸をもって、お釈迦さまの物語と私たちの人生の物語をつなぐものなのです。

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絵解きの中にチュンダという鍛冶屋が登場します。彼はお釈迦さまに「最後の食事」を供養したものとして永遠に語られる人間ですが、その食事がもとでお釈迦さまが死の床に就いてしまったために、彼の自責の念、悔恨の情もまた、永遠に人々の胸に迫るものとなりました。チュンダは「ああ、私のせいで大切な大切なお釈迦さまが...」と取り乱し泣き崩れます。そんな憔悴しきったチュンダに向けて、お釈迦さまは語りかけます。

 

「チュンダ、私が死んでいくのはお前のせいではない。私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである」

 

絵解きがこの場面に差し掛かると、誰かがすすり泣く声が聞こえます。私たちは、深浅の差こそあれ、大切な人との死別に自責の念や悔恨の情を抱くものです。チュンダが「ああ、私のせいで...」と取り乱し泣き崩れるように、この今も先だった人の死に、人生をとらえられている人があります。心のない人に責められ、もう自分は幸福になってはいけないのだと、笑うことさえ自分に禁じている人もあります。そんな自責と悔恨に立ち尽くしている無数のチュンダ。お釈迦さまはこの時、チュンダその人に向けて語りかけつつ、私たち人間の自責と悔恨という深い悲しみそのものに向けて語りかけているかのようです。

チュンダだけではありません。妻が、涅槃図の絵解きの中で取り上げるのは、お釈迦さまの別れを受け入れられずに悲嘆にくれる弟子のアーナンダ、我が子を亡くして半狂乱となっている女性のキサーゴータミー、殺した人の指を首飾りにしている殺人者のアングリマーラ。アーナンダはお釈迦さまに憧れ悟りを目指しながらも、意志の弱さのために迷い続ける誠に情けない弟子。キサーゴータミーは我が子への愛の深さから、すでに死んだ遺体を手放せない母。アングリマーラは己の罪悪の報いである辱めに耐えようとする男。いずれも、その弱さ、傷、悲しみの深さにおいて、現代を生きる私たち自身が抱える弱さや悲しみと深く共鳴する人々です。だからこそ、彼らに向けて語りかけるお釈迦さまの言葉ひとつひとつが、私たちの内なるチュンダ、キサーゴータミー、アングリマーラに届いてくるのでしょう。絵解きは、遥か2,500年前のお釈迦さまの言葉を、今を生きる私たちの心に届けるものなのです。

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思えば、「ヤショ、うまかったぞよ」という言い伝えを信じて「やしょうま」に集まっていた人々の時代から、私たちは遠いところまで来てしまいました。もうそこには帰れないでしょう。でも、妻はその遠いところまで、お釈迦さまの言葉を届けにこれからも旅を続けていくでしょう。絵解きはそんな遠いところに生きている人の心と、お釈迦さまの心とをつなぐものなのですから。

間もなく「やしょうま」の季節。凍てついていた信州にもかすかな春の兆しを感じます。涅槃図の絵解きに耳を澄ませてみませんか。思い描いてみませんか、沙羅双樹の花の色を。ほらお釈迦さまの声が聞こえてまいります。

 

「皆よ、全ての物事はうつりゆく。怠らず、怠らず、努力してゆくのだよ」。

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本稿は大阪應典院の機関紙「サリュvol.8 2014 Sprig」に寄稿したものを一部加筆したものです。

英一蝶の涅槃図

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ボストン美術館に所蔵される江戸時代の一幅の大涅槃図。

修復を終え、日本の東京と美術館での公開に当たり、BSジャパンの「美の巨人たち」で特集されます。

涅槃図は、長谷寺にも江戸時代の大きな涅槃図が伝わり、現在でもその絵解きが行われています。

番組の冒頭で、長谷寺での絵解きの様子が少しだけ写真で紹介されました。

美術品として美しいのはもちろんですが、そこに描かれ、込められたお釈迦さまの教えや、お釈迦さまへの追慕の心を知り、また感じ味わうとき、この一幅の絵画はより強い力で私たちに語りかけ、迫ってまいります。

もっともっと、多くの方に、涅槃図の素晴らしさを知ってほしいと思います。


死別のレッスンとしての涅槃会

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3月15日 涅槃会(やしょうま)晴れ  

 

信州では月おくれとなる本日、長谷寺におきましても、お釈迦さまの涅槃会が営まれました。

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午前と午後、あわせて150人ほどのお参りを頂いて、皆さんとともにお釈迦さまへの報恩と追慕のお祈りをしました。

 

涅槃会は、その遺法の末世の弟子たる私どもが、出家も在家もともどもに、お釈迦さまへの報恩の誠をささげる法会です。しかしそれだけではありません。


地獄コール

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3月6日 蟄虫啓戸 うす曇り 穏やか

  

私は、小学校の読み聞かせをしています。

毎週月曜日、「今日はどんな本を読もうかな」と、子供たちの顔を思い浮かべながら、本を選ぶ楽しみがあります。

 

もっとも、私の場合、子供たちは私の職業を知っているせいか(村のお寺の和尚なので)、決まった傾向の本を期待しています。

 

それは「地獄」に関するもの(笑)

 

名著『じごくのそうべい』をはじめ、最近は紙芝居の『小僧さんの地獄めぐり』など。お寺の地獄図を持っていったこともあります。

「こんなのでもいいですか?」と学校の先生に尋ねました。

「ぜひぜひおねがいします」とのこと。

 

 

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子供たちはじごくが大好き(笑)

ある時は、違う本を持っていったところ「え~地獄の話じゃないの~つまんな~い」「地獄がいい!」「ぼくも~」「地獄っ地獄っ」「じーごーくー」と地獄コール。

 

娑婆からの地獄コールに、閻魔大王も苦笑いのことと拝察します。合掌。

 

それならば、と期待に応えて、大いに気合を入れて「小僧さんの地獄めぐり」を読んだところ、げんなりしてしまう子もありました(汗)。


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この紙芝居、絵が素晴らしいので、想像力や感受性が豊かな子には、インパクトが強すぎるかも。どうか悪い夢を見ませんように。

 

この紙芝居、ひろく現代っ子(老若男女)の皆様に、強くお勧めします。

おじいさん、おばあさんは、お孫さんにプレゼントしましょう。

さし上げるだけではだめですよ。

必ず、気合を入れて、読みましょう。

 

読みながら、きっと思うはず。

閻魔さまが、ずっと見てたのかな。。。と。

わたしは、だいじょうぶだろうか。。。と。

 

お釈迦さまは仰います。

悪いことをせず、善く生きて、こころを清らかにしよう。これが仏の教えである。

 

閻魔さまが、ジロリとご覧になっています。

 

(住職記)

長谷寺お釈迦さま涅槃図の絵解き

~お釈迦さま最後の旅~

315日(

      1回目 午前10:00~

      2回目 午後14:00~

      長谷寺 庫裏

長谷寺ではお釈迦さまの命日(やしょうま)に当たり寺宝「大涅槃図(ねはんず)」を公開しお絵解きをします。仏教の祖、お釈迦さまの最期の様子が描く涅槃図の絵解きは、お釈迦さまが80年のご生涯を通じて、お釈迦さまが何を求め、何を伝えたのかを物語ります。長谷寺の寺宝「大涅槃図」のお絵解きで、お釈迦さま最期の旅路を一緒にたどりましょう。



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涅槃図 御釈迦さま入滅の物語


凍結された光景・・・・。

仏陀の死の光景が、一枚の絵に氷結している。

「その場」に居合わすことの出来なかった人々は、

すなわち遅参者である私たちは、

遥か遠くの凍りついた仏陀に

暖かな憧憬を寄せて南無釈迦牟尼仏と称えるばかり。

しかしその暖かな想いと言葉によって、

いつしか氷が解けて雫がこぼれだすように、

仏陀の温もりが私たちに染み込んでくる。

凍りついた光景を想いと言葉によって溶(解)かす。

絵解き、という言葉がもっとも似合う絵が、

仏涅槃図ではないだろうか。




■涅槃図 仏伝文学の中のクライマックス

仏教の祖、釈尊が、クシナガラの跋提河(ばつだいが)のほとり娑羅双樹の間に入滅する様子を描いたもので、釈尊の生涯を伝える仏伝文学の中でも重要な場面である。


釈尊は、今から二千五百年ほど昔、インドの北西部に存在した釈迦族の王子として生まれ、二十九才で出家し、三十五才で悟りを開いたと伝えられている。その教えは「人間の生きるべき道」「輪廻からの解脱の法」を明らかにしたもので、悟りを開いて亡くなるまでの四十五年間にわたって、釈尊はその教えを説き続けた。その間の様子を前世から誕生、成道(悟り)、布教の旅、そして入滅など、釈尊の生涯の重要な場面を取り上げて細かく伝える「仏伝」が伝えられているが、それらはインドでも早い時期からストゥーパ(仏塔)のレリーフなどで表されていた。難しい経典の内容よりも、釈尊その人の生涯を通じて人々は仏教に親しんできたのだろう。中でも釈尊の死の場面を表す「涅槃図」は仏伝文学の中でも独立したテーマとなり、仏教が伝えられたアジア全土でくまなく親しまれてきた。

 

■デス・エドゥケーション(死の学び)としての涅槃会

日本においても寺院において「涅槃会」が早くから行なわれてきた。そこで用いられてきた涅槃図には重要文化財などの優れたものも少なくないが、そうした中央のものとは別に、地方寺院でも涅槃会は盛んに行なわれ、今日でも多くの寺院に涅槃図が残されている。また地方寺院における涅槃会は中央の厳粛なものとは違い、地域住民が娯楽もかねて参加するもので、その日のお供え(信州では「やしょうま・涅槃団子」)が目当てで子供たちが寺に集まった。

その際、簡単な法要とともに、人々に対して涅槃図の絵解きが行なわれたのである。その絵解きは寺の住職がする場合もあったし、例年絵解きに親しんできた地域の古老が担当することもあった。人々は、釈尊の死の光景を語り聞かされ、そこから仏教の死生観に馴れ親しみ、それを身につけていった。長寿を全うし、親しい人々に囲まれて死んでいく釈尊の死は、日本人にとっての死に方の理想的なモデルでもあり、涅槃会は今日いうところの「デス・エデュケーション(死の学び)」そのものであった。


■涅槃図に描かれるもの

縮される涅槃の物語(情報)を解凍する絵解き

涅槃図において、釈尊は娑羅双樹の間に頭を北にして横たわり、その周囲を弟子や諸菩薩、神々が取り囲み嘆いている。さらに修行者や在家の信徒、多数の動物や昆虫類などがかけつけ、天には釈尊を産んで七日で亡くなったという母マーヤー夫人が描かれる。

また哀しみのあまり悶絶して地に伏した愛弟子のアーナンダ、枕元で最期の別れを告げる実子ラーフラ、釈尊の足に触れるヴァイシャーリーの老婆、天から飛来する実母マーヤー夫人、激しく取り乱す金剛力士など、入滅にあたって特徴的なエピソードを残した群像は、多くの場合に一見してそれと分かるように描き込まれている。

それらの様子は、どれかひとつの経典や仏伝に取材したわけではなく、多数の涅槃系経典や仏伝文学、あるいは民間伝承などから、縦横無尽に取材されている。したがって、涅槃図を描き、またその絵解きの台本の原型となるものを編集制作した人々は、膨大な涅槃に関する情報を収集したものと思われる。

そうして集められた膨大な情報を、一枚の絵に凝縮し圧縮する。そしてこの凝縮され圧縮された膨大な釈尊の涅槃の物語は「絵解き」というスイッチが入ったとたんに、あたかも圧縮された情報が解け出すように、こんこんと水が湧き出るようにセットされている。

長谷観音の縁起「白助物語」の絵解きのお知らせ。



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来たる919日、第6回長谷寺秋分祭で春の御開帳以来となる白助物語の絵解きを行います。

(画像は御開帳の時のものです)

 

時間は午後2時から。

場所は観音堂前の庭です。

拝観料は無料です。

 

信州さらしな長谷観音が、いつ、誰によって、どんなふうに始まったのか。

昔々のお話ですが、そこには今を生きる私たちにとっても大切な心が語られています。

絵解きの他にも、祈り、学び、出会いの催しがたくさん行われる秋分祭。


皆さまのお参りをお待ちしております。

ご案内

絵解き 釈迦涅槃図~お釈迦さま最後の旅~

 

長谷寺ではお釈迦さまの命日(やしょうま)に当たり寺宝「大涅槃図(ねはんず)」を公開しお絵解きをします。仏教の祖、お釈迦さ まの最期の様子が描く涅槃図の絵解きは、お釈迦さまが80年のご生涯を通じて、お釈迦さまが何を求め、何を伝えたのかを物語ります。長谷寺の寺宝「大涅槃 図」のお絵解きで、お釈迦さま最期の旅路を一緒にたどりましょう。

 

 

■期日           3月15日(火)   午前10時~     午後 2時~

■場所             長谷寺 庫裏    長野市篠ノ井塩崎878

■絵解き          岡澤恭子

■笛奉納         maru

■参加       無料。どなたでもご参加できます。

■内容             釈迦涅槃図の絵解き~お釈迦さま最後の旅~

                      長谷寺の寺宝「大涅槃図」を公開し絵解きをします。

                      涅槃図は縦2.3メートル、横2.3メートル。江戸時代中期の作。

 

絵解きでは、お釈迦さまの80年のご生涯と、お亡くなりになる最後の場面のお話をします。分かりやすい絵解きによって、愛別離苦、生者必滅、会者定離という教えの世界が、私たち自身の出会いと別れの経験と響きあって、深い感動とともに伝わってまいります。

「絵解き 釈迦涅槃図」のフェイスブックページはこちら!

 

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■問い合わせ   長谷寺  026-292-2102

 

■備考             絵解き  岡澤恭子(昭和44年愛知県生まれ。)

大学で「平安時代の女性と仏教」を学んだ経験を生かして、平成10年の長谷寺の涅槃図の修復を機にお釈迦さまの涅槃図の絵解きを始めました。その後、絵解きへの関心が高まり、現在では毎年真言宗智山派総本山智積院で修行僧に絵解きの講義を行う他、川崎大師、護国寺、智積院東京別院、名古屋大須観音をはじめ、全国各地の寺院や檀信徒研修会、青年会、寺庭婦人会、各種教育機関等で絵解きを行っています。皆さまと一緒にお釈迦さまのご生涯をたどり、そのお心に触れたいと思います。お誘いあわせお出かけ下さい。

長谷寺の寺庭(住職夫人)である岡澤恭子は、お釈迦さまの涅槃図の絵解きをしています。
長谷寺の涅槃図の修復(平成10年)を機に始めました。
最初は、お寺の涅槃会(信州では「やしょうま」といいます)で、参拝される方に少しずつ絵解きしていましたが、ご覧いただいた方の口づてご縁が広がって、最近では県内外のお寺やいろいろな研修会などにお招きいただいて、絵解きをさせて頂くようになりました。

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お釈迦さまが亡くなる時の様子を一枚の絵に描く涅槃図。
そのたった一枚の絵から、お釈迦さまの誕生、成長、出家、お悟り、そして弟子たちとの交流、やがて80歳での大いなる死、涅槃。その人生の物語を語る絵解きを通じて、私たちはお釈迦さまその人を思い、またその教えに出会います。
私たち誰しも、生まれ、生き、老い、病み、そして死んでいく人生の中で、家族や伴侶、友たちとの出会いがあり、喜びがあり、また別れの悲しみがあります。
それぞれ掛け替えのない、人生の物語と、お釈迦さまの人生の物語が、絵解きを通じて響きあいます。

宗教学者の釈徹宗先生から、メッセージを頂きました。
絵解きの魅力が示されています。
お読みください。


【おススメの言葉】

開ける視界、物語る仏道釈徹宗 仏教における「絵解き」の起源は古く、すでに紀元前から、仏跡や寺院に装飾されたレリーフなどを使って、仏陀の伝記や前生譚が語られていました。その語りは大乗仏教発祥の一因になったともい...

Posted by 絵解き 涅槃図 ~お釈迦さま最後の旅~  on 2015年9月6日

老婆の悲しみ。


3/15は長谷寺でお釈迦様涅槃図のお絵解き。

 

画像はお釈迦様にお会いしたいと願いながら、貧しさのあまり説法を聴く機会がなかったヴァイシャーリーの老婆。

 

思い立って、お釈迦さまの後を追って旅に出ました。

 

追いかけてもなかなか追いつかず、追いついたと思えば「お釈迦さまならつい先ほど発たれたよ」と人に言われてしまいます。

そうやって、何年もの月日が流れてしまいました。

どうしてもお釈迦さまに追いつけない悲しみの中、何度も諦めそうになりましたが、老婆は気持ちを奮い立たせて、老いた体でお釈迦さまを追い続けました。

 

何年だった時のことでしょうか。ある日、老婆はとうとう、一行の姿を見つけました。それはクシナガラの沙羅の林でのことでした。

 

「やっと会えた!」と老婆の心は喜びでいっぱいです。

 

急いで説法の場にかけつけると、どうでしょう。

 

「残念だったね、お釈迦さまならたった今お亡くなりになりました」と告げられてしまいます。

 

なんということでしょう。

何年も何年もお釈迦さまを慕って追いかけてきた老婆。

やっと追いついたというのに...。


 

図は、かけつけた老婆が、やっと追いついたのに、僅かな擦れ違いで今生で会うことが叶わなかった悲しみから、おみ足に取りすがって泣いている様子です。

この時、老婆が流した涙が棺を濡らして火が点かず、そのお陰で遠くからかけつけてきた弟子たちがみなお別れできた申します。



老僧は泰道坊の頭を優しくなでながら、気の毒な老婆の姿を忘れてはならないと語りかけ、幸福なことに、お前はこれから毎日お釈迦さまの教えのお経を読み唱えることができるだよ、と言われ、師は幼いながらも、この老婆を気持ちを忘れずに難遭遇の教えを宝物に学んでいこうと決意したそうです。



 

出会いということ、その一期一会の尊さをかみしめる思いを養うのもお釈迦さまの教え。

 

皆さまのお参りをお待ちしております。


お釈迦さまの侍者阿難=アーナンダ。


お釈迦さまの年のはなれたいとこで、お釈迦さまの弟子となってから、お釈迦さまがご入滅になるまでの25年間、ずっとおそばに仕えました。


彼は、非常に美しい顔立ちでしたが、そのために迷うこと多くしてなかなか修行が進まなかったともいわれます。女性に大変慕われてしまったということなのですね。


異性ないしは愛する人を前にして揺れ動くのはなにも阿難だけではありません。みんな、そうですね。仏教では、愛情は、愛執という執着として、その対象を失ったり与える愛に比べて相手が応えないことで生ずる苦しみが大きいだけに、むしろ善き心、安らかな心を求めるならば、手放すべき感情とされます。


阿難は、多分に情愛に深い人であったのかもしれませんね。細やかな気配りの出来る人でしたから25年も付き人が務まったのです。でも、お釈迦さまの身の回りのことに心を配ることに全ての力を注いでいたために、誰よりもたくさんお釈迦さまの説法を聞く機会に恵まれて「多聞第一」と称えられながら、修行はなかなか進まず、心は折々に動揺し、お釈迦さまにも『何度も話してきたではないか阿難よ』という、「やれやれ」感が漂う言葉が見られます。


しかし、この情けの深さがあってこそ、入滅の日まで、お釈迦さまにお仕えし尽くすことができたのでしょう。この阿難のお釈迦さまへの憧れ、恋慕の思いなくして、その珠玉のような言葉はこれほどに今日に伝わったかどうかわかりません。


お釈迦さまの旅に、いつも影の如くにつき従う阿難。
とりわけ、最期の旅の物語は、どこか阿難の物語としてさえあるように感じられてまいります。人生の灯としてお慕いするお釈迦さまが、日に日にその命の灯の小さくしていく晩年。旅から旅、いたんだお体をおして歩き続ける師の姿。そばに寄り添い、水をくみ、床をしつらえ、説法の場を調え、集まってくる人々を制しながら、確実に迫り来る別れの日に怯える阿難。


とうとう迎える入滅の日。


沙羅の林に身を横たえたお釈迦さまが、苦しみをこらえながら弟子たちに法を説く。


国宝の高野山の涅槃図は、この時、多くの弟子たちが滅を唱えるお釈迦さまを見届けるのに、ただ一人、その様子を直視できずに突っ伏している阿難を、その『背中』だけ描くという構図によって、見事にあらわしています。


下図は、長谷寺所蔵の涅槃図の阿難。



お釈迦さまが最後の息をして涅槃に入るや悲しみのあまり気絶してしまったのです。世の多くの涅槃図が、このかなしみのあまり気を失う阿難を描きます。


頼りなく、何度言い聞かせても悟れないダメダメな弟子。


しかし、お釈迦さまはそんな阿難を25年間、その最期の最期まで、そばに置きました。そこには、お釈迦さまの弟子に対する温かいお心を感ぜずにはいられません。


偉大なるお釈迦さまのすぐそばに、一生懸命つきしたがう人、阿難。


はるか遠くを歩むその人影に、私たちは深く共感してしまいます。


ああ、おれだよ、この気絶している男は。。。。


おお、私だわ、この意志薄弱な弟子は...


世のダメダメ諸君、阿難に会いに来てください。


阿難とともに、お釈迦さまの旅につきしたがい、阿難のように、全身を耳にしてそのお言葉に耳を澄ましましょう。