「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」
地域のことの最近のブログ記事
東日本大震災犠牲者百ヶ日慰霊法要
時間 午後1時30分より (開場は1時)
場所 長谷寺 本堂
内容
東日本大震災犠牲者百ヶ日慰霊法要
1.
鎮魂と復興を祈るコンサート (笛演奏家 まる)
2.
鎮魂の花(フラワーデザイナー 柿崎順一)
3.
百ヶ日追善法要
①
地震発生時刻 午後2時46分 鎮魂の祈りの梵鐘 三打
②
般若心経を唱えて犠牲者の追善を祈ります
③
法話
1.
2.
テーマ「鎮魂と再生の祈り」
3.
慈悲の瞑想
解散
参加費 無料(義捐金の募金箱を設置します)
施主(主催者)よりご挨拶
未曾有の被害をもたらした東日本大震災から百ヶ日にあたる6月18日に、長谷寺では犠牲者の百ヶ日慰霊法要を営みます。
古来、亡き御魂の追善供養のために、初七日から七日ごとに四十九日までの供養を営んでまいりました。これに続いて百日目には百ヶ日の供養をいたします。この忌日ごとに守り本尊があり、百ヶ日は観世音菩薩が御魂を導くと信仰されます。おりしも18日は伝統的に観世音菩薩の縁日であり、慈悲の心を大切にする日でもありますことから、観世音菩薩の経典である般若心経を参加者一同で唱え、犠牲者の鎮魂供養をお祈りしたいと思います。
また当日は、被災地に赴き、被災者の心のケアに取り組む飛騨千光寺の
皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
長谷寺住職 岡澤慶澄 合掌
※上記予定・内容は変更する場合もございます。佛師 伊藤智仙と宝珠会(仏像彫刻教室)
仏像彫刻作品展
■期間/2011年5月1日(日)~5月18日(水)
午前10時より午後4時まで
■入場無料
仏師伊藤智仙さんと弟子の皆さんの作品展です。大小さまざまな御仏が、150尊。
上野駅の電車の発車ベルの音について、こんな話を聞いた。
たまにしか東京には行かないが、いつの頃だったか、電車の発着の音が昔ながらのベルから音楽のようなものになった。
初めて聞いたときは、何だかよく分からず不思議な気がした。
そんなふうにして、電車の発車のベル音が変わっていく中で、東北方面の電車の発着音だけは変わっていないという。
あるいは、いわゆる「都市伝説」なのかもしれないが、それは遠く故郷を離れて東京で暮らした東北の人たちのご苦労や望郷の思いに敬意を表すため、昔の音のままにしているというのである。
都会の駅は、ふるさとへと通じるのであるが、この話しが本当なら、JRもやるなぁ、と思うのである。
どこかに帰属する安心がある。
帰属できる場、それを故郷と言うことも出来る。
それが家族や故郷であれば、それはそれでいい。
でも、生まれ育った故郷を失う人も少なくない。
失い方もいろいろある。
自ら出る人、望まないけれども、出ざるを得ない人。または若い時分に何となく出て、そのまま故郷を遠く離れてしまった人。
とりわけ、故郷なるものに拠っている価値観(イエ、血縁、地縁など)によって苦しんだり、傷つけられて故郷を捨てる人にとって、故郷に代わる帰属の場はより恋しいのではないだろうか。
現代の仏教は、いろいろな批判を受けているけれども、この故郷を失ってしまった人への言葉を失っていることに原因があるのではないだろうか。その深い悲しみにより添える言葉も、またそんな恋しさを受け止める場も、持ち合わせていないのではないか。
以前、イエス=キリストの言葉としてこれを読んだ時、ひどく印象に残った。
イエスが生まれ故郷に行った時、「大工の子」と言われて敬われなかったことが伝えられている。キリスト教徒にとっても、後世に伝える印象深いエピソードだったのだろう。
預言者というのは、唯一の神の言葉を受け取って人々に伝える人のことであるから、仏教を含めアジアの風土では余り馴染みはないけれども、ため息ともつぶやきともとれるこの言葉は、何となく頷ける。
何故なら、私は子供の時、よく迷子になった。
夕方遅くまで遊んでいて、日が暮れても遊んでいるうちに、親が心配し始める。
今日は総代さんに「藁(わら)道場」という言葉を教えていただいた。
その昔、雪深いこの季節、外仕事のない農村であるこの地域では、家の中で来る雪解けからの農繁期に備えて藁で縄を縒ったそうだ。
しんしんと雪降る中、家にこもって藁を相手に手作業をするのだが、一人きりであるいは家族だけでやっていても次第に退屈になってくる。
そこで、謡や俳句の得意な人を「師匠」にして、この季節に習ったそうだ。
それを「藁道場」というのだと。
いいなあ。
総代さんが子供の頃には、まだそんな名残があって、冬ともなれば謡の先生(この地域では「おっしゃん」)の家に集まって若い衆もみな小謡を聴いて習っていたとか。
藁を縒りながら、先生が謡い、「弟子」たちも藁が縄になっていくにあわせて少しずつ謡を覚える。
口に馴染む習い方。
こんなのいいなあ。
藁道場、今の時代では、なかなかこういうのはないなあ。
観音@ハツセ考
風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。
今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。
最初の種が落ちたのはどこだったのか。
あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。
果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。



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