住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

地域のことの最近のブログ記事

地獄コール

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3月6日 蟄虫啓戸 うす曇り 穏やか

  

私は、小学校の読み聞かせをしています。

毎週月曜日、「今日はどんな本を読もうかな」と、子供たちの顔を思い浮かべながら、本を選ぶ楽しみがあります。

 

もっとも、私の場合、子供たちは私の職業を知っているせいか(村のお寺の和尚なので)、決まった傾向の本を期待しています。

 

それは「地獄」に関するもの(笑)

 

名著『じごくのそうべい』をはじめ、最近は紙芝居の『小僧さんの地獄めぐり』など。お寺の地獄図を持っていったこともあります。

「こんなのでもいいですか?」と学校の先生に尋ねました。

「ぜひぜひおねがいします」とのこと。

 

 

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子供たちはじごくが大好き(笑)

ある時は、違う本を持っていったところ「え~地獄の話じゃないの~つまんな~い」「地獄がいい!」「ぼくも~」「地獄っ地獄っ」「じーごーくー」と地獄コール。

 

娑婆からの地獄コールに、閻魔大王も苦笑いのことと拝察します。合掌。

 

それならば、と期待に応えて、大いに気合を入れて「小僧さんの地獄めぐり」を読んだところ、げんなりしてしまう子もありました(汗)。


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この紙芝居、絵が素晴らしいので、想像力や感受性が豊かな子には、インパクトが強すぎるかも。どうか悪い夢を見ませんように。

 

この紙芝居、ひろく現代っ子(老若男女)の皆様に、強くお勧めします。

おじいさん、おばあさんは、お孫さんにプレゼントしましょう。

さし上げるだけではだめですよ。

必ず、気合を入れて、読みましょう。

 

読みながら、きっと思うはず。

閻魔さまが、ずっと見てたのかな。。。と。

わたしは、だいじょうぶだろうか。。。と。

 

お釈迦さまは仰います。

悪いことをせず、善く生きて、こころを清らかにしよう。これが仏の教えである。

 

閻魔さまが、ジロリとご覧になっています。

 

(住職記)

檀家さんこんにちは

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私とお寺とのご縁。人とお寺とのご縁。

檀家と菩提寺という関係の中で、日本人はどんな心を育んできたのでしょう。

個人を大切にする現代のライフスタイルが進んで、従来の共同体つまり地縁・血縁に基づく文化や価値観は、現代の人には好まれなくなっています。

それらはどこか個人の自由に対する「しがらみ」や「重荷」というマイナスなものとしてイメージされやすいのではないでしょうか。

ですから、地縁・血縁を基盤とする寺院も、なにやら前時代のしがらみのシンボルであるかのように思われ、仏教に興味を持つ人であってさえ、菩提寺や寺を敬遠するようになっているのではないでしょうか。

 

しかし最近は、グローバル化が進んだためなのか、海外の人々からの高い評価もあり、かえって伝統的な文化を見直されています。

伝統の見直しは、社会的な文化にも広がりを見せ、特に少子高齢化社会が進む地域の課題として、コミュニティの『絆』の再生がテーマになっている中で、地域の寺の機能にも関心が集まり始めていますね。

 

そこで、人々と寺とをつなぐ、檀家と菩提寺という間柄についても、必ずしもマイナスなものではなく、プラスなものとして再評価する動きもあります。

そこには、不透明な社会で、しかも人生100年時代の老病死という人生の問題も抱えながら、自分の人生をしっかり生きていきたいという現代人の願いがあるのかもしれません。

まいてらのホームページでは現代における檀家さんとお寺のご縁の物語が紹介されています。

檀家さんこんにちは」、ご覧下さい。



おてらおやつクラブ

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長谷寺では、「おてらおやつクラブ」の取り組みに参加しています。


この取り組みは、公式ウェブサイトの言葉を紹介するとこんな感じです。


「おてらおやつクラブ」は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえもの」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、全国のひとり親家庭を支援する団体との協力の下、経済的に困難な状況にあるご家庭へ「おすそわけ」する活動です。おすそわけを通じ、ご家庭と支援団体との関係性の深まりに寄与し、貧困問題の解決への貢献を目指します。



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お寺は全国にあり、その数はコンビニより多いと言われますね。それらのお寺では、檀信徒の皆様からの御本尊さまお供えがあり、また先祖や亡き人の供養としてお供えされるお菓子があります。お菓子ばかりではありません。お米や野菜などもお供えされます。


私ども寺に住む住職やその家族(寺族)は、それらの「おさがり」を糧として暮らしています。それはとてもありがたいものです。師である長老は「我々はおさがり、すなわちお仏飯をいただいているから残してはいけないよ」とよく申します。また、それらのお菓子は、ご法事の折には参列の皆さまのお茶うけとして出されます。お供えした方の供養の心とともに、おさがりが回っていく仕組みがあるのですね。お供えがおさがりとして、無駄にならず生かされていくとても良い仕組みですね。


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 (おやつクラブのポスター)


この『仕組み』は、現在では個々のお寺で完結し、ある意味では閉じていますが、昔は地域的にお供え物を分かち合い、シェアしていく広がりのある仕組みだったと思います。神仏に供物を供える布施や喜捨という宗教的な行為の中には、個人の所有物やお金が、社会に循環していく仕組みという側面もあるのです。その意味で「おてらおやつクラブ」はこの『お供え循環システム』を現代に蘇らせる画期的な取り組みではないかと思います。


長谷寺でも、この取り組みに参加し、縁日や写経の会で、ご本尊さまにお供えされる供物を、貧困家庭を支援している団体を通じてお届けしたいと思います。


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(先日の写経の会で参加者からお供えされた品々)


ご参拝、ご縁の皆さまには、いつもいつもでなくても結構ですが、時々で良いので、チョコ一箱、ガムひとつでも、お観音さまにお供え下さい。少しずつ、でも、そんなお寺が地域に、全国に広がれば、その力はとても大きなものになるでしょう。


参拝と、供物を供養する功徳が、回向されていくのは、仏さまの心に叶うものでもありましょう。


皆さまの「祈りの心」が困っている人を少しでも「支える力」へと転じていく窓口や機能として働く時、日本のお寺のもつ可能性はまた大きく広がっていくものと思います。また日本のお寺の役割りには、本来そのような機能がセットされていると思いますので、皆さんの祈りや思いが、お互いに支え合う社会的な力へと転換していく大きな循環の仕組みづくりの中で、お寺の存在を見直してほしいと思います。


千四百万年の寺づくり

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千四百万年の寺づくり

 

「寺離れ」が進行する今日、私が地域における菩提寺の役割を考える時、いつも思い起こす出来事があります。私はこのエピソードの中に寺が蘇るヒントがあるのではないかと思っています。

 

屋久島に、今は亡き宗教詩人の山尾三省さんを訪ねた時のことです。

自ら軽トラックを運転して島内の案内をしてくれた三省さんは、「この車にエンストしないように走ってもらうには特別な技術が必要なのです」と笑いながらハンドルを握り、美しい滝やガジュマルの巨木、詩に描かれた東シナ海を望む浜辺へと連れていってくれました。

詩人と一緒に水の流れや一本の樹を見つめていると、目の前に広がる景色が何かを語りかけてくるように思われました。

やがて、プスン、パスンと音をたてる軽トラックが西部林道に差し掛かり、ヤクシカの群れがトラックの前を横切った時、詩人は車を止めて原生林へと私を導きました。そしてヤクシカの跡をたどって照葉樹の森へと分け入って行くのです。

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三省さんの後について森の奥へと入っていくと、涌き出たばかりの小さな水の流れがあり、詩人は裸足になってその小川に入ると、透明な水の中から小さな小石を拾い上げて言いました。

 

「この石は巨班正長石といって、千四百万年前に屋久島が海底から隆起した時にできたといわれています。」

 

私は素直に感嘆し、三省さんの掌に転がるその小さな石に見入りました。すると三省さんはその小石を私の手に握らせて、こう言いました。

 

「ほら、あなたの手の中には今、千四百万年という時間が握られています。一緒に、その途方もない時間を感じてみましょう」

 

詩人の言葉に促されるように、私は掌の小さな小石を握りしめ、その気が遠くなるような長い時の流れを思いました。

この時、原始の森のただ中で、私は何を感じていたのでしょう。

今あらためて振り返ると、私は目の前の小さな石から千四百万年という長大な時の流れを感じていたばかりではありません。

そのはるかな遠い過去から現在においても変わることがなく、そして遠い未来においても変わることのない何事かを、そのちっぽけな石から感じとっていたように思われます。

今でも瞳を閉じると、あの時の原始の森の気配や石の感触が甦り、その三世常住ともいうべき大いなる世界を思うのです。

 

この忘れ難い、印象深い出来事が、地域における寺院の役割を考える時、いつも思い起こされてきます。

寺院空間というものも、あんなふうにして私たちが大きな大きな世界に出会うための場所なのではないでしょうか。

かつて、日本に仏教が渡来した当時、人々はその仏像や教えを「三国伝来」といいましたが、この言葉にはインド、中国、日本というローカルな価値観を突き抜けた、仏教の世界性や普遍性がよく表れていると思います。

きっと私たちの祖先は、揺れ動く時代の価値観に左右されがちな人間には、おおきな世界、今風に言うなら普遍的な思想や世界観や人間観に触れることが大切であると知っていたのでしょう。

だからこそ、そのような大きな世界として仏教を求め、その世界に触れるための場所として寺院を建て守ってきたのだと思います。

そのような意味で、菩提寺というものは、地域における「屋久島」として人々が永遠なるダルマを感じ、その普遍的な世界と出会う場であり続けたいものです。

しかし、その「屋久島」の奥深い魅力も、正しい道案内をするガイドが必要です。詩人がポンコツの軽トラックで私を導き、その言葉と深い眼差しで私を促し、たった一つのちっぽけな小石から長大な時の流れの世界へ、そして三世をつらぬくダルマの世界へといざなったように、私たち僧侶も地域の人々に「小石」を手渡すものでありたいものです。

(東京観蔵院寄稿文より)

塩崎城のお話

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大塔(おおとう)物語舞台

      塩崎城のお話

 今から、六〇〇年ほど昔、有名な京都の金閣寺が建てられた頃、ここ塩崎の地で、とても大きな戦がありました。歴史に残る激戦(げきせん)です。これから訪ねる塩崎城跡(白助城)は、その激しい戦があったことを今に伝えるお城として、日本の歴史の中でもよく知られる重要な場所です。

 物語は「大塔物語」というお話に詳しく書き残されました。この物語を頼りに、私達の故郷である平和な塩崎で、昔、そんな戦があったことを、一緒に学びましょう。


一、はじめに~大塔合戦のあらまし~

 今から六〇〇年前の時代は、室町時代と呼ばれています。京都の室町幕府の将軍を中心に、幕府から「守護」がやってきて全国の国々を治めていました。当時、私たちの信濃国は、現在の坂城町で栄えた村上一族を中心に地元の武士たちがとても強く、都からやってくる守護も手を焼いていました。

 そこで、幕府は古くから信濃と関係のある小笠原長秀を差し向けました。ところが、この小笠原長秀は、政治のやり方が下手なうえに、信濃の人々を馬鹿にして威張ってばかりいたので、信濃の武士たちは皆強い反感を抱いていました。とうとう、その勝手気ままな政治を続ける長秀に対して、誇り高い信濃武士たちは反旗をひるがえして立ち上がり戦となったのです。

 この時の戦が、世に「大塔合戦」と呼ばれる激戦で、私たちの故郷塩崎を舞台に繰り広げられました。信濃の武士たちは強く、小笠原長秀は追われてついに塩崎城に逃げ込みます。長秀の部下たちは、みな討ち死にし、残った長秀は知り合いの大井光矩(おおいみつのり)という武士に助けを願いました。大井の仲裁で、長秀はなんとか命だけは救われ、京都へ逃げ帰りました。幕府から来た守護が、地元の武士たちによって追い返される大事件として、日本の歴史の中でも有名な出来事です。

 この「大塔合戦」は、あまりに激しい戦いだったので、たくさんの死者が出ました。そのため多くのお坊さんたちが戦死者を弔、また戦のむなしさから、たくさんの人が出家してお坊さんになりました。

 塩崎城は、このように六〇〇年以上も前に塩崎を舞台繰り広げられた戦いの歴史を今に伝えています。この城は、その後も武田上杉いう有力な武将ちも重視しました。塩崎という土地が、信濃の国の中でとても重要な場所であることが分かります。

 城跡には、古い石垣や砦跡が今もしっかりと残っています。これから、その場所を実際に訪ねて、昔の人たちのこと、故郷の歴史を学びましょう。


二、塩崎城の姿 

 お城は、敵との戦いのため、また領地を守るために築かれました。六〇〇年前のお城は、松本城や姫路城のような立派な天守閣があるものではなく、実際の戦闘の時に「敵には攻めにくく味方には守りやすく」造られた、飾りのない戦いのためだけに築かれたシンプルなものでした。

 シンプルとはいっても、戦いのための工夫がたくさん施されていて、急な山の上に、長い塀のように石を積み上げたり、深い竪掘(たてぼり)を掘ったりして、敵が近づけないようにしました。敵の動きを見はったり攻撃したりするための高い「櫓」も作りました。

 塩崎城は、長谷寺の裏山のとがったところを利用して作られていて、どの方角からも攻めにくい、とても強いお城でした。昔から、こういうお城を「天然の要害」、「難攻不落の城」と呼びます。城跡の上の方に立てば、木々の間に、南は坂城、上田の方まで、北は川中島から、長野、須坂の方まで遠く見渡せます。背後は、篠山がそびえ自然の壁となっています。敵の動きも良く見えたでしょう。また、山の湧水も近くにあり、雨水をためる天水溜も作られていて、長い戦闘になっても戦えるようによく準備されていました。

 大塔合戦では、信濃の武士たちに追われた長秀がここに逃げ込みました。圧倒的に不利だった長秀でしたが死なずに済んだのは、この城が非常によく出来たものであったからでしょう。

 塩崎城跡には、当時の姿がいくつも残っています。それらを実際に見て、想像力を働かせて、昔の戦について考えてみましょう。

 

三、戦場の子供 

 大塔物語には皆さんと同じくらいの子供も登場します。そして、悲しいことに、命を落としてしまいます。

 それはこんなお話です。戦も終盤にさしかかり、兵の数の少ない小笠原軍が信濃武士たちに押され、一部の兵たちが古い大塔の砦に立てこもって何日も過ぎた時でした。もはや食べるものもなくなり、兵馬を殺して食べるほどでした。しかし援軍もなく、負けは明らかでした。

 ある時、負けを覚悟した小笠原の武士たちは、せめて自分たちの長男だけでも助けようと秘かに砦から逃がします。しかし下の弟たちは逃がすことが出来ず、とうとう食べ物も尽きて飢え死にするほかない状態になってしまいます。けれども、誇り高い武士たちは戦場で飢え死になどできないと、武士らしく切腹をしようということになります。この時、十三歳の八郎という名の少年が、故郷に残した母を思って、人目を忍んで泣きながら、故郷の方の空を仰いで歌を詠みました。

 

 世の中に

      さらぬ別れはしげけれど

                 親に先立つ道ぞ悲しき

 

 「世の中には、さけられない別れはたくさんあるけれど、親に先立って死んでいくことほど悲しいことはない」と、先立つ悲しみを歌ったのです。

 こうして砦に立てこもった小笠原軍は、武士はもちろん、行動を共にしていた子供たちまで全滅してしまいました。八郎も父とともに亡くなりました。

 後に、戦が終わると、死んだ夫と息子の八郎の形見が、お坊さんの手によって母のもとに届けられました。母は泣き崩れ、悲しみのあまりそのお坊さんのもとで尼となってしまいました。

 尼となった母は、息子の八郎の供養のためにとはるばると塩崎までやって来ました。そして、こんな歌を詠みました。

 

  あくがれて

      よるべも波の海士小舟

           うき塩崎にかかる身ぞ憂き

 

 ふらふらと波間にさまよう海人の小さな船のような私だけれど、息子が命を落としたこの塩崎に来てみれば、いよいよ悲しみは強くなるばかりだと。

 この後、母は夫と息子のお墓にたどり着き、お墓に向かって、まで夫も息子も生きているかのように語りかけました。いくら話しかけても返事があるはずもなく、ただただ嘆くばかりでした。泣く泣くお墓を後にした母は、善光寺に行くと念仏修行のお坊さんの中に入って死ぬまで夫と息子のお弔いを続けたそうです。

          

 六百年以上も昔、塩崎を舞台に、このように大きな、そして悲しい戦がありました。信濃守護である小笠原氏と、信濃武士たちの戦、「大塔合戦」です。塩崎城は、この悲しい物語を今に伝えています。これからも塩崎のみんなで守り伝えて参りましょう。

信州長谷観音は、さらしなという土地にありますが、このことは、とても大切なことだと思います。

 

日本の文学史や精神史において、「さらしな・おばすて」を場として醸成されてきた文学性、精神性、あるいは宗教性、美意識というのは、非常に重要なものであると思うからです。

 

日本の古典文学の中心の柱となるのは和歌だと思いますが、この和歌の世界において、多くの歌人たちが究極の歌として尊重し、重視するのが、「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」という読み人知らずの名歌です。

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この歌は、またより多くの歌を生み、謡曲や俳句へと大きな影響を与えてやみません。

多くの歌人、俳人、文化人、芸能者たちが、この歌に心惹かれて更級・姨捨の地に憧れ、訪ねてきました。

 

そこで、人々は、わがかなしみをしのび、慰めんと月を見るのです。

その月に照らされて、いよいよ深まるかなしみにしずんでゆくのです。

人々は、この「さらしな」で人間の「かなしみ」という感情について探玄したのでしょう。

このかなしみの聖地で、ひとはわが悲しみを歌い、わが嘆きを舞ってきたのです。

 

長谷観音の開基伝説「しらすけ物語」も、その冒頭は「信濃の国更級郡、姨捨山のほとりに...」とはじまりますが、これは有名な姨捨伝説を伝える「大和物語」の始まりとよく似ていて、おそらく、信濃の国更級郡姨捨山の、というある種の枕詞によって、昔の人の中に、悲しみを中心とするある種のイメージや感情が立ち上がったのだと思います。

「しらすけ物語」の主人公もまた、かなしみを抱える貧窮孤独の孤児でした。

 

長谷観音信仰は、長谷信仰、再生信仰をその基調とするものと考えられますが、その信仰の背景として、さらしなという土地の持つ特別な意味性があり、またさらしなという土地に寄せる、古代からの日本人の強いイメージがあるのだと思います。

 

昨年の秋、この「さらしな」の魅力を復興しようという取り組み「さらしなルネサンス」が始まりました。すでに更級地区(旧更級郡エリア)で先行して取り組まれている様々なプロジェクトと連携しながら、広く「さらしな」の魅力を世に伝えていこうという運動です。

そのキックオフのイベントが11月に千曲市上山田で開催され、記念に竹内整一(東大名誉教授)先生の講演会が開催されました。

竹内先生は、「やまと言葉」が今に伝える日本人の精神性や宗教性をさかのぼり探求される方です。

 

先の「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」を中心に、更級・姨捨で歌われた言葉を深く追いながら、更級の魅力の秘密に迫る素晴らしい講演です。

 

ぜひお読みください。

竹内整一先生講演会のサイトへ

サンジョサン

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今年も8月9日の夜、地元塩崎の山崎地区の若衆によって、長谷の観音さまに「三十三燈籠」の献灯が行われました。

 

お寺の檀家さんから素晴らしい映像が届けられましたので、皆様にご紹介いたします。

 

ご覧ください。


「篠ノ井って、なんか変」。

駅にたたずむティラノサウルス。

公園のぐにゃぐにゃ遊具。

なかなか姿をみせないシャイなSL

どこかアンバランスでちぐはぐしている。

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そんな篠ノ井をてくてく歩き、いろんなちぐはぐを見つけながら「ちぐはぐマップ」をつくってみよう!

ちょっと変わった篠ノ井を一緒に探してみませんか?

 

開催日時:2013615日(土)10:0016:00頃(雨天決行)

募集人数:12名(要予約)

参加費:500

集合場所:まちの社交場 暮らしの道具 Orche (オケ)

持ち物:動きやすい服装、飲み物、筆記用具、雨具、カメラ(カメラ付き携帯可)

申し込み方法:「しののい まちの教室」ウェブサイトより、お申し込みください。

 

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「しののい まちの教室」

※ 来場者分の専用駐車場がございません。

公共交通機関(JR「篠ノ井駅」東口より 駅前通りを東へ徒歩7分)にてお越しいただくか、しののい アスペース( http://www.grn.janis.or.jp/~asupe-su/ )など、近隣コインパーキングをご利用ください。

お寺づくりには、基本的な宗教活動を中心に、寺に親しんだもらうためのイベントやら地域貢献活動やら、住職の社会的な活動など、色いろある。

特に最近は、伝統にあぐらをかくことなく、強い危機感を持った若い僧侶の先進的で問題意識に満ちた活動が目を引く。

凄いな、と思い、自分もガンバロー、と思う。

少しだけ、気になることがある。

それは、いろんな活動が、その寺の本尊の本願に適っているのかどうか、ということだ。
わかりやすく仏さまの教えを聞く

第24回 現代を導く『仏教講座』

●主催 南長野仏教会
●協賛 東方学院 公益財団 中村元東方研究所

●日程
  ■第1日 3月 2日 午後1時~(受付12時半~)
  ■第2日 3月31日 午後1時~(受付12時半~)

●会場 篠ノ井市民会館

●内容
  
  第1日(3/2)

   
◆第1講義『いのちのふるさとをもとめて』
     講師 やなせなな先生

        奈良県 教恩寺住職 シンガーソングライター

   ◆第2講義『苦しみに寄り添う仏教』 ~病苦・死苦・愛別離苦~
     講師 大河内大博先生
        大阪府 願生寺副住職
        いのち臨床仏教者の会副代表
        上智大学グリーフケア研究所講師

  第2日(3/31)

   ◆第3講義『「今」をしっかり生きよう』 ~「逝き方」は「生き方」~ 
     講師 中村仁一先生
        京都市 老人ホーム「同和園」付属診療所々長
        著書『大往生したけりゃ医療とかかわるな』

   ◆第4講義 『ただ、生きよう!』
     講師 廣瀬郁美先生
        仏さまの魅力を伝える仏像ガール

●受講料 3,000円
    ※2日間の金額です。1日だけの受講でも同額となります。
    ※お申し込みの方に受講証を差し上げます。
    ※受講証をもって領収証にかえさせていただきます。

●お申込み
   南長野仏教会の寺院、または事務局にお申し込みください。  
●事務局
   長野市川中島御厨(みくりや)754 常行寺内
   026-283-3667
八月九日は、毎年のお祭り「三十三燈籠献灯祭」。
今年もにぎやかに行われました。

地元塩崎の山崎地区の若衆たちによる大燈籠の奉納。

様子を写真でご紹介します。


白助翁のお墓

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我が家の老犬モコの散歩は、長老のお役目となっている。

が、70歳を過ぎた長老は、

一念発起して、

現在、四国八十八箇所を徒歩で巡礼中。

したがって、散歩の友不在の現在、老犬は散歩の時刻ともなると
『ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン(散歩せんかいこら、何しとんねんわれぇ)』

と、盛んに吠えるので、私と娘がこの要望に応えるのである。

犬は、決まったコースを歩くのが好いと聞いたこともあるが、

娘は、決まったコースが嫌いな性格で、

必ず『新しい道』をせがむ。

毎回のように違う道に進んでいくため、

モコはいささか戸惑った表情を見せることもある。

しかし、毎日のようにコースを変えてみたところで、近所なのだから選択肢も知れている。

そこで、今日はとうとう山に登っていくことになった。


チベットのこと、忘れないでほしい。

人間は

歴史という時間軸と

土地という間軸の

合点に生きている
(中島岳志)

その「土地」を奪われ、追われている人々がある。

存在の根拠を奪われている人々がある。

その土地が、本来の人々の願いや歴史性と無縁な価値観で、

どれほど発展しようとも、

それは間違っている。

豊かになれば、発展すれば、それでいいという

近代や現代の国家が追求してきた価値観の「答え」が、

チベットや原発事故に顕れているのではないだろう。


東日本大震災犠牲者百ヶ日慰霊法要

 

期日  6月18日(土)

時間    午後1時30分より (開場は1時)

場所      長谷寺 本堂


内容     

東日本大震災犠牲者百ヶ日慰霊法要

 

1.         鎮魂と復興を祈るコンサート (笛演奏家 まる)

2.         鎮魂の花(フラワーデザイナー 柿崎順一)

3.         百ヶ日追善法要

      地震発生時刻 午後2時46分 鎮魂の祈りの梵鐘 三打

      般若心経を唱えて犠牲者の追善を祈ります

      法話

1.         大下大圓

2.         テーマ「鎮魂と再生の祈り」

3.         慈悲の瞑想

 

解散

 

参加費             無料(義捐金の募金箱を設置します)

 

施主(主催者)よりご挨拶

未曾有の被害をもたらした東日本大震災から百ヶ日にあたる6月18日に、長谷寺では犠牲者の百ヶ日慰霊法要を営みます。

 

古来、亡き御魂の追善供養のために、初七日から七日ごとに四十九日までの供養を営んでまいりました。これに続いて百日目には百ヶ日の供養をいたします。この忌日ごとに守り本尊があり、百ヶ日は観世音菩薩が御魂を導くと信仰されます。おりしも18日は伝統的に観世音菩薩の縁日であり、慈悲の心を大切にする日でもありますことから、観世音菩薩の経典である般若心経を参加者一同で唱え、犠牲者の鎮魂供養をお祈りしたいと思います。

 

また当日は、被災地に赴き、被災者の心のケアに取り組む飛騨千光寺の大下大圓師を迎えて、「鎮魂と再生の祈り」と題する法話をお聞きします。大下氏は、傾聴や瞑想の専門家として、長年医療現場において人間の深い悲しみや苦しみに寄り添う活動を続けています。あわせて、コンサートと花を捧げて、観世音菩薩の慈悲の加護を念じ、あわせて私たち一人ひとりの慈悲の心の働きを見つめなおし、鎮魂と再生を祈りたいと思います。

 

皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

 

長谷寺住職 岡澤慶澄 合掌

※上記予定・内容は変更する場合もございます。

仏像彫刻作品展

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佛師 伊藤智仙と宝珠会(仏像彫刻教室)

 

仏像彫刻作品展

 

■期間/201151日(日)~518日(水)

         午前10時より午後4時まで

 

■入場無料

 

仏師伊藤智仙さんと弟子の皆さんの作品展です。大小さまざまな御仏が、150尊。

 

どうぞお出かけください。

2017年3月

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