住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

地域のこと: 2009年12月アーカイブ

森獏郎さんと公開対談

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もう終わってしまったので宣伝ではありませんが、12日に千曲市の「アートサロン千曲」で、板画家の森獏郎さんと「木喰」をめぐっての対談をしました。

といっても、私は木喰仏についての見識もなく、それについての強い関心を持っているわけではないのですが、木喰さんが真言系統の修験の修行をしたり、作品に添えて歌われている数々の和歌に、空海とか阿字といった、真言宗のキーワードが頻出するので、そのあたりについての話しをしよう、と獏郎さんに誘われ蛮勇を奮って挑んだのでありました。

木喰さん入門

獏郎さんは、こんな人ですと一言で説明するのは困難な人物ですが、千曲市の森というところにお住まいで、基本的には「板画」を彫り、棟方志功の系譜を真っ当に継承している作家だと思いますが、その他に、詩人であり、俳人であり、民芸の研究と実践家であり、郷土史の研究者であり、ちょっとだけ市会議員であった時期もあり、種田山頭火、小林一茶の深い読み手であって研究者であり、まあそれでいてちゃんとご家庭もあって、なんだかよく分からないのですが、そういういろんなことを同時にやって、いつも会うと「オラはもう腰は痛えし、酒も飲めなくなったし、じき死ぬだな」というのだが、いつも異様に元気だ。初めてお会いした時も「もうじき死ぬ」と確かに言っていたが、いっこうに死ぬ様子はないどころか、ますます元気だ。どうなっているのだろうか。

獏郎さん入門

木喰さんもそうだ。

藤本幸邦老師

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篠ノ井円福寺の御先代である藤本幸邦老師が御遷化された。

世壽九十九歳、老衰であったという。

戦後、親とはぐれ孤児となった子、あるいは戦災で親を失った子どもたちを引き取り、寺で育てた。

我が子同様、あるいは我が子以上の愛情によって育み、その精神は仏教の慈悲の実践として次第に地域に広がって、やがて日本の戦後復興が一息ついた頃からは海外の難民などの支援へと発展していった。

幸邦老師がおいでになったことにより、私たちは、戦争の悲惨、世界の悲しみを知り、そしてその悲しみに共感し、支援の手を差し伸べる実践を知った。

私は、数度しか接したことはなかったけれども、私が本山での修行を終えて戻り、初めてお会いしたときのことはよく覚えている。

ニコニコと、円満このうえない笑顔であった。

私の寺での仏教会の会議があり、そのお帰り際に、玄関に腰をおろしながら、見送る私にこう仰った。

「観音さまだよ、観音さま、これからは観音さんの心だ、いいな、うん、観音さん、観音さんだ、わははははは」

すでに八十代もなかばを過ぎていたと思うが、大変大きな声に驚いた。

そして、繰り返し、観音さん観音さんと笑いながら言う老師の姿に、ひどく感動した。

観音さん、観音さん、である。

南無

合掌

参考にご覧下さい。

 

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