住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

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未来の御成敗式目が生まれる日まで

ある文化が違う世界観を有する思想と出会うと、それを受け止め、吟味し、消化して血肉化し、その思想を自分たちの言葉で語り、それを「生きる」のに数百年という時間を要する。

そんな話を聞いたことがあります。

例えば仏教についていえば、今から2500年ほど前に、インドでお釈迦さまによって開かれた仏教は、人から人へと伝えられ、なんと500年という歳月をかけてシルクロードを進み、2000年ほど前、ちょうど紀元前後に中国に伝わります。

お寺というところは、祈り、学び、気づき、出会いがある場所であってほしいといつも思っています。

 

そのため、祈りの法要だけでなく、法話の会や講演会、そしていろんな楽しいイベントも開かれます。

 

でも、そういう癒しや安らぎ、喜びを分かち合う場所であると同じく、あるいはそれらに増して、お寺は老病死について、考える場所です。

 

お釈迦さまは、この老病死に生まれ生きることを加えた生老病死を『苦』ととらえて、その苦しみを見つめ、その原因を尋ね、それを乗り越えていく道を求めた方でした。


老夫妻.jpg

 

そんなお釈迦さまの『道』を伝えるのがお寺ですから、いくら「地域に開かれた明るいお寺」を標榜しても、お寺である以上、陰気になってしまう話、出来れば避けたい話、楽しくない話しがたっぷり詰まっているといってもいいでしょう。

 

そんなんじゃ、行くたびに気が滅入るわけですが、私たちの人生には光と影があり、光り輝く青春時代があれば、やがて老いて死んでいくという、人生の夕暮れから夜への過ごし方を学ぶ場も必要なのですね。

 

そして、身近に、そういう場所があるということは、実はとても素晴らしいことなのではないでしょうか。誰かの老い、誰かの死、という三人称のお話として考えるのではなく、私の老い、私の死、という一人称、あるいは自分にとってかけがえのない家族や伴侶という「あなた」の老い、あなたの死、という二人称の老いや死として向き合い、思いを深めたり、また分かち合ったりする場所。それは、必ずしも楽しいことではないかもしれません。でも、パックツアーで名所観光だけした旅より、じっくりと旅先の街の裏道を歩いてその土地を味わう旅のように、人生の味わいは深まるように思います。

 

その味わいが深まるほど、楽しさや喜びを、身の回りにたくさん見出せるようになるのではないでしょうか。

 

これからは、そんな気づきや語り合いの場も、少しずつお寺に作っていけたらな、と願っています。

たましいのめぐりあい

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お盆が近づくと「たましい」について思うことがありますね。


 

仏師の友人がいます。


新しい仏像を造るより、むしろ修復をもっぱらとしているのですが、彼がこんな話しをしてくれました。


「仏師というのは、自分で造り上げた仏像を何百年後かに生まれ変わって、また仏師になって自分で修復するんです」


彼は千年も前に造られてすっかり傷んだ仏像の前にたたずんで、長い年月を経てきたお像の指先や衣紋、背中の曲線をひとつひとつじっと眺めながら、そう言うのです。


茶目っ気のある彼のことだから、そんな言葉を真に受けてはいけないぞとその表情を見てみれば、お像のお顔に向ける眼差しは、遥かに傷みも風化もない頃の姿を懐かしんでいるかのように思われ、そばにいる私もその「千年の邂逅」に立ち会って厳粛な思いに打たれるのでした。


弘法大師空海の師である恵果阿闍梨は、真言密教の全てを弟子である空海に授け終えてこう言われます。


「お前と私は、遠い遠い過去から、お互いに師となり弟子となってこの尊い仏法を伝えてきた。この度は私が伝えたが、次は私が弟子となって法を授かろう」と。


この言葉を受けた弘法大師は、後に懐かしい師を偲び、悟りを得ることよりも、この法と遭えたこと、その法を伝える師とめぐり合えた深い喜びを語っています。


人身は受け難く、仏法は遭い難し。


仏師は、目の前の仏像との縁を、魂の縁として深く受け止め、師と弟子は、そのめぐり合いの不思議を、永い永い魂の絆、法の契りとして受け止めていく。


仏師でもなく、空海でもない私たちですが、同じく命を授かってかけがえのない人生を生きているのですから、この世の旅路を、この一瞬一瞬を少しでも有意義にしたいものです。


ならば仏師や弘法大師の思いをヒントに、魂の縁に思いをはせてみてはいかがでしょう。


目の前の何気ない風景が、ただ漫然と流れていくのをやめて、何事かを語りかけてくるように感じられ、家族や友人と過ごす何気ないひと時がいとおしく感じられてくるのではないでしょうか。


奈良 明日香 岡本寺 ハガキ説法に寄稿

人が死ぬって、初めて知った

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いい年をして、人が死ぬんだとはじめて知った青年がいた。

「おれも死ぬのか?」と人に聞いたという。

「もちろんですよ」

そう言われて、あまりのショックで家に引きこもったとか。


青年の名は、ゴータマ・シッダールタ、後のブッダ、お釈迦さまなのです。


このエピソードは、仏教徒の間でも、大切にされてきました。

でも、なんか偉大なお釈迦さまのエピソードとしては、なんか格好わるい。

本当の出来事だっとしたら、むしろ、伝記の中から削除、歴史の隠蔽、となりそうですね。

でも、お釈迦さまを慕う弟子たちも、後の時代の仏教徒たちも、この話しを伝えてきた。

隠すどころか、むしろ、大切にし、開祖の一代記の重要な場面として語り継いできました。

「おれも死ぬのか?」とビビッて、引きこもった姿を。


なぜでしょうね。


少し考えてみれば、なんとなく、分かってきます。

だって、私たちも、元気な間は、自分は死なない、と思ってませんか?

死なないと思う以前、死について、忘れてる。

または、知識として「人は死ぬ」ということを知っているとしても、「私が死ぬ」という事は考えない。

または、考えたくない、目を逸らしている。


青年シッダールタも、同じだったのかもしれませんね。

彼は、王子として、英才教育を受けていました。

最高のバラモンのもとで、インドの神話や哲学を学んでいたことでしょう。

そんな彼が、死についてまったく知らなかった、ということは考えられませんね。

生母も、彼を産んですぐに亡くなっているのですし。。。。

むしろ、知識としてはより多くのことを知っていたことでしょう。


でも、ある時まで、それは自分の人生にとって意味をもつものではなかった。

死は、いつも誰かのものであり、遠い、他人事だった。

それが、ある時、なにゆえか、死は、彼の前になまなましい人生からの問いとして現れた。


この時、死に先立って、老と病からの問いも彼の人生の扉をたたいたといいます。


私は、日頃檀家さんのお葬式の法要の導師を務めたり、法事をして故人のことを偲んだりします。

その時、遺族や親族に、それらしいことを、語ったりもします。

でも、お釈迦さまのこのエピソードは、問いかけてきます。

「おまえは、どうなの?」と。


お釈迦さまは、そのとき、王子として城の東、南、西そして北の門を順に開き、はじめに東の門で老人と出会い、ついで南の門で病人と出会い、西の門では死人(葬列)と会ったといいます。

そして、最後に北の門で出家者と会い、老病死を超えていく道を求めて出家する思いが芽生えたといいます。

あなたはいかがですか?

あなたは、老病死について、人生からの問いかけに対して、城壁を立て門を閉ざしてはいませんか?





その中の一人

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観音経には、こんな一節があります。


「人々が、金銀財宝を求めて大海に船出したところ、にわかに黒風が吹いて船が悪鬼羅刹の国に漂着してしまった」。


この短い一節は富を求める経済活動の危うさを語っていますが、まるで、私たち日本人の戦後の歩みをたとえているようです。


我が国は、戦後、希望を持って復興の大海に船出し、必死の努力をして荒波を越えて世界でも稀な豊かさ(金銀財宝)を手に入れました。


しかし、私たちの船は、いつの間にか「もっともっと」というむさぼりの黒い風に運ばれて、今や激しい競争と厳しい格差の社会(羅刹国)に漂着してしまいました。


観音経はこう続きます。


「その時、もしもその中の一人が、南無観世音と称えるならば、その人たちはみんな羅刹の難から逃れることができる」。


観音菩薩を呼ぶとは、その本願を活動させることです。


観音菩薩の本願とは、大悲心によって衆生を救うことであり、大悲とはマハー・カルナーすなわち大いなる同悲同苦の心です。


とすれば、羅刹世界に観音様を呼ぶということは、奪い合いの世界に分かち合いの心、愛や思いやりを呼び覚ます、ということですね。


では同悲同苦を呼び覚ますとどうなるのかと言えば、観音経は「全員助かる」と断言しています。


つまり仏教は、観音の力つまり同悲同苦、愛には、奪い合いを直ちに停止させる力があると確信しているのです。


問題は、この羅刹国と化している我が国にあって、誰が「その中の一人」となるのか、なのです。


政治家ですか?


社会活動家ですか?


学校の先生ですか?


マスコミですか?


いいえ、もちろん違いますね。


観音経は強く訴えているのです、あなたこそが「その中の一人」たれ、と。


弘法大師 正御影供

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今日は、弘法大師空海が、高野山に入定された日です。

お大師さまは、密教の深い瞑想に入ることによって、この世に肉体を留めたまま高野山の奥の院に今なおいらして、56億7千万年の後に、弥勒菩薩がこの世に現れるのをお待ちになり、その間ひたすらに衆生を救い続けておられます。


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弘法大師が伝えた密教の法を授ける儀式で用いる曼荼羅


奈良桜井の長谷観音。

この寺のご本尊十一面観世音菩薩様は、少々変わった姿をしておられるます。

ご存知のように長谷観音様は右の御手に錫杖を持っておられます。

ふつう、十一面観音様は錫杖を持ちません。

仏様の持ち物は、その仏様の徳を示すものです。

では、長谷観音様の錫杖は、どんな徳を示しているのでしょうか?




仏様で錫杖といえば、お地蔵様のシンボルです。

ですから、長谷観音様はお地蔵様の徳をも備えている、さらには観音地蔵一体とも称えられています。

日本人の観音信仰と、地蔵信仰とが長谷という霊場で結晶して現れた真に尊いお姿といえましょう。


ところでお地蔵様はその名の通り、大地の蔵、すなわちこの母なる大地の徳、今日で言うなら地球そのものを仏格化したお方です。

仏教の中で大地といえば、思い出されるのは釈尊の降魔成道すなわちお悟りの時、その悟りを阻もうと迫り来る悪魔の軍勢を退ける際に、大地の女神が現れて「仏法は正しい」と証明する場面です。

仏法は、釈尊が自分勝手に「私は正しい」と主張するものではなく、大地がその正しさを保証してくれたのですね。

もはや悪魔も退くほかはありません。

同じように観音経でも、お釈迦様が観音の徳を説き明かすと、持地菩薩という大地の菩薩が「観音の慈悲の力は素晴らしい」と称え、人々に勧める場面があります。

いずれも、大地の名において、仏法や慈悲が讃えられ保証されています。

母なる大地や地球が「いいね!」と認めてくれるのですから、それはもう大いに安心して、また誇りを持って仏道を歩みたいものです。


こうして考えると長谷観音様の「ちょっと変わった姿」も、観音様の慈悲の働きは、母なる大地に根ざす普遍的な心であることを示すものなのでしょう。

揺れ動く世の中に生きる私たちにとって、揺るぎない大地が「これなら大丈夫」と太鼓判を捺してくれるなら何より安心です。

これからも、慈悲の心を大切にしてまいりましょう。                          

新春初詣のご案内

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 いよいよ年の瀬ですね。

 皆さん、今年はどんな一年でしたか。

 あわただしい中にも、静かにふりかえりの時間を持ちたいものですね。

 長谷寺では、除夜の鐘に始まり、新春の初護摩祈祷、そして七日間の護摩祈祷を修行します。

 良い年を、皆さまと一緒にお祈りしたくご参拝をお待ちしております。

 どうか良いお年を。

 南無大慈大悲観世音菩薩

 

お釈迦さまのご生涯

誕生、出家修行、降魔成道、布教伝道、涅槃。

お釈迦さまの八十年のご生涯を大きな出来事を中心にお伝えします。

 

誕生

お釈迦さまは今から二千五百年ほど昔、インドの北部、ヒマラヤ山脈のふもと、ネパールのあたりにあった「釈迦国」の王子として生まれました。

王子としての名を「シッダールタ」と言い、その意味は「すべてを叶えるもの」でありました。

誕生の時、ルンビニーの花園で、にわかに産気づいた母マーヤーさまの右脇より生まれ、直ちに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。

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その時、天からは神々が将来の仏陀の誕生を祝って甘露を注いだと言われ、これが今日のお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」のはじまりとなり、花御堂にまつられる小さな誕生仏に甘茶を注ぐのは、甘露を注いだ天の神々のお話にちなみ、感謝の思いを捧げるものです。

七歩歩いたのは、前世まで一切のなすべき修行をなし終えてきた方が、この世で六道輪廻の苦しみから出る(解脱)することを宣言したものと伝えられます。

 

出家修行

シッダールタ王子は、なに不自由なく育てられましたが、王子を生んでわずか七日で亡くなった生母マーヤーさまのことを思って、幼い頃から生と死について深く思い悩む人であったと伝えられます。

やがて青年となり、文武に優れた王子は美しい妃をめとり、子をもうけます。

しかし生と死の真実をきわめ、輪廻の苦しみから解脱したいとの強い願いを失わず、二十九歳の時に、ついに王子としての位も富もなげうって出家します。

髪をそり、ボロをまとって一人の苦行者となります。

それから六年の間、あらゆる苦行をし、肉体は痩せ細りその姿は骸骨のようになったと伝えられます。

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またシッダールタは、各地の偉大な師を尋ねては瞑想を深めてまいりましたが、どの師の教えにも求める答えはなく、命を削る苦行も解脱への道ではないのでした。

やがて苦行者たちのもとを去り、ひとり瞑想を始めたのです。

 

降魔成道

苦行を離れ瞑想を始めたシッダールタを『堕落した』と非難するものもありましたが、シッダールタは心身を調えて菩提樹の本で全てを成就する深い禅定に入ります。

そして人間の苦しみについて、生と死について、その源へと瞑想とヨーガによる智慧の考察を深めてまいります。

やがて、シッダールタの前に、悪魔マーラーが現れて、快楽や怒りや恐怖をもって邪魔をしてまいりました。

生と死の輪廻を繰り返す苦しみからの解脱への道に、シッダールタが目覚めるのを妨げるためでした。

しかし、シッダールタは、快楽の誘惑も、怒りも恐怖もしりぞけてマーラーを降し、生と死の苦しみを生み出す真実を明らかにし、その苦しみを超え、輪廻から解脱する縁起の理法に目覚め、お悟りを得たのです。

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十二月八日、明けの明星が輝く夜明け、シッダールタは『ブッダ=目覚めた人』となりました。

 

涅槃

三十五歳で悟りを開きブッダとなったお釈迦さまは、目覚めの智慧を人々に説き始めます。

以来、四十五年間、伝道の旅は続きます。

次第に、その解脱への道を求めて多くの人が弟子となり、多くの人が帰依し、多くの人が励まされ、救われました。

やがて、八十歳になったお釈迦さまは、弟子のアーナンダを伴って最後の旅を歩み、途中病となりましたが旅を続け、クシナガラにいたった時、沙羅の林でついに杖を置き、横になりました。

偉大な生涯の最後を迎えたのです。

苦しい息で、弟子たちに法を説き終え、皆に別れを告げると深い瞑想に入られ、そのまま完全なる安らぎである涅槃に入られました。

二月十五日、満月の夜でありました。

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その教えは、弟子たちによって守り伝えられ、やがて国を越え、時を超えて、日本に伝わっているのです。

英一蝶の涅槃図

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ボストン美術館に所蔵される江戸時代の一幅の大涅槃図。

修復を終え、日本の東京と美術館での公開に当たり、BSジャパンの「美の巨人たち」で特集されます。

涅槃図は、長谷寺にも江戸時代の大きな涅槃図が伝わり、現在でもその絵解きが行われています。

番組の冒頭で、長谷寺での絵解きの様子が少しだけ写真で紹介されました。

美術品として美しいのはもちろんですが、そこに描かれ、込められたお釈迦さまの教えや、お釈迦さまへの追慕の心を知り、また感じ味わうとき、この一幅の絵画はより強い力で私たちに語りかけ、迫ってまいります。

もっともっと、多くの方に、涅槃図の素晴らしさを知ってほしいと思います。


長谷寺では、お釈迦さまの涅槃図の絵解きをしていますが、古来、涅槃図とともに広く庶民に愛好されたのが『地獄絵』の絵解きです。

人は死んだらどこへ行くのか。。。。

この今も変わらぬ問いに対して、仏教の答えのひとつが、この地獄絵に示されています。

善いことをしたものは善い世界へ。。。。
悪いことをしたものは、悪い世界へ。。。。

悪い世界とはどんなところ?

それが、『地獄』

その地獄って、一体、どんなところ?

京都の龍谷ミュージアムの特別展『地獄絵ワンダーランド』。

※ウェブサイトはこちら!

この秋の京都めぐりは、ぜひ地獄めぐりも(笑)


弘法大師の日

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毎月21日は、弘法大師の縁日「御影供-みえく-」です。

中国で大作の映画も製作され、グローバルな関心を寄せられる弘法大師空海。
※映画『空海‐KU-KAI‐』公式ウェブサイト

真言宗という、日本仏教の一宗派の宗祖というだけではなく、その文学や芸術に発揮された多才多芸な異能ぶりは、僧侶としての活動も、空海その人が思い描き実践したスケールの大きな人生の「一面」に過ぎないようにさえ思われます。

長谷寺には、弘法大師の生涯を伝える絵伝「弘法大師摂化行状図(江戸時代)」が伝えられています。

その一部をご覧ください。

詳しくは、こちらを ↓ (高野山金剛峰寺HP)

弘法大師の誕生と歴史

おてらおやつクラブ

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お地蔵さま

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毎月の24日は、お地蔵さまのご縁日です。

特に8月のこの日は「地蔵盆」といい、関西の方ではお参りが盛んです。

地蔵菩薩は、観音さまやお不動さまと並んで、私たち日本人にとっては、とても身近な仏さまですね。

身近ですが、身近なわりに、そのプロフィールは余り知られていません。

空気のように、風景のように、それほど私たちの暮らしのそばにいる。

お地蔵さまは、そんな仏さまなのでしょう。

裏山石仏.JPG


今日はお釈迦さまの誕生日

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48日 花まつり お釈迦さまの誕生日

 

今日は「花つまり」お釈迦さまの誕生日(降誕会)。

お釈迦さまは、今から、2500年ほど前に、インドの北、今のネパールのあたりにありました釈迦国という小さな国の王子としてお生まれになりました。

ルンビニーの花園で、お母さまの右脇からお生まれになるや直ちに北に向かって七歩あゆんで、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。王子は、シッダールタ、全てを叶えるもの、と名づけられました。


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 (画・牧宥恵)


そして、健やかな成長の中で、シッダールタ王子は、深く人間の生老病死の「苦」を見つめ、その苦しみが永遠に輪廻する世界からの真の解放(解脱)の道を求めて、29歳の時、家族も地位も財産も捨て、ひとり出家されたのでございます。

それから、髪をそり、ボロをまとい、真理をたずね、師を求め、命がけの苦行をし、かつて誰もしたことのなかほどの断食をきわめて6年の間ひたすらに真理への道を求めて参りますが、いずれの道にもシッダールタは満足できず、それらを離れ、それらを超えて、ひとり心身を調え、かの菩提樹のもとで深い瞑想に入られます。

 

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(菩提樹)


そして長い瞑想の末、目覚めを妨げる悪魔マーラーを退けて、シッダールタは12月8日の朝、明星の輝くころ、悟りを開き、ブッダ=目覚めた人となったのでございます。

以来、80歳でクシナガラの沙羅の林で入滅されるまで、自ら目覚めた解脱への道を、人に応じ、苦に応じ、病に応じて説き示し、多くの人が弟子となり、多くの人が慰められ、多くの人が帰依し、その法は、時を超え、国も民族も越えて、今日に伝えられています。

 

どうか、多くの皆さまに、お釈迦さまとのご縁がありますように。

その善き教えと、皆さまが出会われますように。

この世に、お釈迦さまの教えが広まり、長く伝えられていきますように。



 

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

 

合掌

(住職記)

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