住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

仏教の最近のブログ記事

チュンダよ、自分を責めるでない

 

季節はめぐり歳はあらたまり、もうお釈迦様の涅槃会を迎えます。

この一年の間に、どれほどの別れがあったことでしょう。

遅れ先立つは世の習い、とは言いますが、大切な人を亡くすと、私達は時に自分を責めてしまいます。

 涅槃会に掲げられる涅槃図の物語に欠かせないのは、お釈迦様に「最期の食事」を捧げた鍛冶屋のチュンダです。

 チュンダは、憧れのお釈迦様に食事を供養できることを誇りに思って最高の食材を求めましたが、気の毒なことにその時の茸がもとになって、お釈迦様の体調は悪化してしまいます。

 チュンダは、自分の食事のせいでお釈迦様の死期が早まったことを嘆き、人々にも非難され、とうとう自分がお釈迦様を死なせてしまうと我が身を責めます。

 このチュンダの心情と周囲の動揺を察したお釈迦様は、チュンダに向け、そして周囲の弟子らにも聞こえるように殊更きっぱりとこうお説きになります。


チュンダよ、私が死んでいくのはお前のせいではない。

私が死んでいくのは、私がこの世に生まれたからである。


 私は、この一句を読んだり聞いたりするごとに、お釈迦様は、未来のすべてのチュンダに向かって語りかけているのだと思うのです。

「あの時に私がこうしていれば、あの人は死なずに済んだのではないか」

「いや、ああしていれば...」と、自分を責め、ひとり苦しむ多くのチュンダ。

そんなチュンダである私達に向かって、お釈迦様は、「あなたのせいじゃない、心の重荷を降ろしていいのだよ」と語りかけていると思うのです。

 皆さんのそばで、チュンダが泣いていませんか。

 知らずにチュンダを責めていませんか。

 あるいは、ご自分を責めていませんか。                                   


(奈良 明日香 岡本寺 はがき説法に寄稿)

■インドに行ってきました

昨年十一月二十六日より十二月五日まで、国際仏教徒会議(Global Buddhist Congregation 2011)に参加するためインドに行ってまいりました。

この会議は、インドのニューデリーにあるアショカ・ミッションというインド最大の仏教団体が、お釈迦さまの成道二千六百年を記念し、インド政府の後援を受け、世界各国の僧侶や仏教研究者など約千人を招待して開催した大規模な会議です。

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母のことを書いてみようと思う。それは遥か二五〇〇年以上も昔の、目連という男とその母、そして釈尊との話である。

その前に触れてみたい唄がある。歌手の中島みゆきさんの「帰省」という唄だ。

 

 帰省

 

遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく
 
けれど年に二回 八月と一月
人ははにかんで道を譲る故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる

《アルバム『短編集』所収》


〈声に出して読もう〉

超訳 観 音 経 

『妙法蓮華経 観世音菩薩 普門品第二十五』

 

心からお釈迦さまにたずねてごらん。

「お釈迦さま、私たちは、どうして悲しい時に観音さまを呼ぶのですか?」。

すると、その質問にお釈迦さまはお顔を輝かせて、あなたの尽きせぬ心に向けてこう話してくださるでしょう。

 

耳を澄ましてごらん。

ほら、観世音菩薩が、すべての命あるものの苦しみを分かち合い、その悲しみを無くそうとしている。

それは海のように広く、深くて、果てしない誓いなのだよ。

永い永い間、そのようにしてあらゆる苦しみや悲しみに寄り添ったからこそ、そんな大いなる誓い(大悲=同悲同苦)が芽生えたんだ。

これから、観世音菩薩の大悲の心について話そう。

よく、あなたの真心でお聞きなさい。


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 梅が香り、桜が咲き、桃の開く春を迎えると、お釈迦さまの生日、四月八日がやってきます。暦の妙か、辛い冬が去って、いっせいに花々が咲くこの季節に、お釈迦さまはお生まれになのです。

 私たちの仏心もまたそうかもしれません。冬なくして花が咲かないように、悲しみを知らず、苦しみも知らずして、仏心が生まれることはありません。チベットには、泣き虫菩薩と呼ばたみじめな菩薩が、何を見ても聞いてもめそめそと涙をこぼし、ぼした涙が水溜りとなり、次第に池となり、やがて大きなきな湖になると悲しみが極まって大悲観音菩薩になったとい
うお話しがあります。

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 悲しいという言葉は「かなわない」に通じ、力の及ばない、ちっぽけな存在であるという嘆きの言葉とされます。しかし、この悲嘆が極まって悲しみの自己中心性がはじけ、人間という存在の普遍的な悲しみに到ると、他者の悲しみを真に分かち合う大いなる悲しみ(=思いやり=観音性)に深化するのだと思います。

言うまでもなく、今、私たち日本は深刻な苦難と深い悲しみの中にあります。東日本大震災がもたらしている悲しみ、とり
わけ被災地の人々の悲しみの深さは計り知れません。圧倒的な自然前で私たちは自らの無力さに打ちのめされています。手に負えない放射能の前で途方に暮れています。

 花まつりは誕生仏に甘茶をそそいで祝う日ですが、今年の悲しみにくれる春においては、皆さんと共に被災者の悲しみを分かち合い、これからの辛い日々を共に耐えて、いつか心から春の花を共に愛で合う日まで被災地の方々と共にあることを誓う「思いやりの誕生日」とし、小さな我が仏心に涙をそそぎたいたいと思います。

奈良県 明日香村 岡本寺 葉書説法に寄稿したものを転載)


涅槃会や皺手合わする数珠の音   芭蕉

涅槃像仏一人は笑ひけり   子規

いにしへの別れの庭にあはぬ身はおくれて濡らす墨染めの袖   明恵上人

まもなく、2月15日。

国際的には、仏教徒と見られる日本人ではあるけれど、この日が何の日か知る人は少ない。

お釈迦さまのご入滅、涅槃の日だ。

 

ダライ・ラマ法王、中国人有識者とテレビ会議で対話(議事録編)

2011年1月4日、ダライ・ラマ法王と中国人有識者がインターネットを通じて対話するテレビ会議が行なわれた。ダライ・ラマ法王はダラムサラの官邸から参加し、中国人有識者側からは、作家の王力雄(Wang Lixiong)氏、人権派弁護士の滕彪(Teng Biao)氏、北京を中心に活動する弁護士である江天勇(Jiang Tianyong)氏が参加した。対話は、ダライ・ラマ法王が中国本土のさまざまな地域の中国人から寄せられた質問に答える形式で行われた。以下はその議事録である。

と、いうことがあった。

興味深い対話ですから、みなさんもお読みくださいぁい。

ダライラマ法王日本代表部公式サイト

 

真言教学のみならず、現代仏教の泰斗、偉大な学僧である宮坂宥勝猊下が御遷化なされた。

世寿90歳。

私は、たまたま宮坂猊下が総本山智積院において能化(管長)として在任中に、5年間本山勤めをさせていただいた。

私は直接接する機会のない部署で働いていたけれども、朝のお勤めや、時折境内を散策されている折などにそのお姿を見かけたりすることがあった。

学者らしい真面目さが第一印象であり、またそのイメージが付きまとってはいたけれども、侍者をお供に、あちこちにお忍びでスケッチ旅行に出かけたり、歌を詠むために京都の東山三十六峯を登ったり、いろいろなエピソードを耳にしているうちに、その仏教学の世界での巨大な業績ばかりでなく、芸術を愛し、自然を愛し、また弟子を思う優しさや思いやりある人柄が感じられてきた。

本山の能化さまは、緋色のお衣を召される。大僧正の衣の色であり、真言宗では、勤行以外の主だった法要では常にこの色のお衣でご出仕なされる。

謹賀新年

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明けましておめでとうございます。

 

今年が皆さまにとって安らかな日々でありますようにお祈り申し上げます。

 

年頭に当たり、皆さまにご本尊さまのご真言について、お贈り申し上げます。

 

真言には不思議なパワーが秘められていると伝えられます。

 

その説かれる心を味わい、日頃から唱えると、私たちの悲しみや苦しみ悩む心を静めます。

 

真言は一字一語に深い観音さまの智慧と慈悲の心を含み、唱える功徳は、現代人が見失いがちな善き人間性(慈悲・愛・思いやり)の実感と働きを呼び覚ますでしょう。

 

御本尊十一面観音さまの真言は、「観音さまの大悲の心よ、現れたまえ!」という意味となり、「まか・きゃろにきゃ(大悲)」すなわち「観音さまの大いなる同悲同苦の心の働き」の実現(そわか)を一心に祈念(おん)することばです。

 

また同時に、この真言は、観音さまに呼びかけるばかりでなく、私たち自身のうちに息づく慈悲や愛や思いやりに呼びかけることばでもあります。

 

失意の時や悲しみの時には癒しのために唱え、怒りや憎しみの時にはしずめのために唱えましょう。

 

苦しく困難な時こそ、観音さまに呼びかけ、その荒波に沈まないように、すなわち自分自身を見失わないように真言を唱え、お祈りしましょう。

 

また平穏な日々には、ありがとうの心を見失わないものであるために、これを心から唱えましょう。

 

真言とは「好きなことば」と言うことも出来るでしょう。

 

観音さまに呼びかけ、また私たちの思いやりの心を生き生きとさせる「おんまかきゃろにきゃそわか」は、愛情や思いやりを大切にして生きていこうとする人にとっては、人生の道しるべとなる素晴らしい「好きなことば」と言えるでしょう。

 

長谷観音とご縁のある皆さまは、ぜひ皆さまの「好きなことば」の中に、ご本尊さまの御真言をお加えください。

 

この一年、あなたが思いやりの心と常にともにありますように。

 

おん まか きゃろにきゃ そわか

 

南無大慈大悲観世音菩薩

 

合掌

 

 

 

観音@ハツセ考

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観音@ハツセ考

 

風に乗った種が飛来し、異国の大地に根づく。

 

今では珍しくなくなった花が、帰化植物であることを知り意外に思うことがあるように、風景に融け込んでしまった仏教もまた、外来種であり、いつか誰かが持ち込んだものだ。

 

最初の種が落ちたのはどこだったのか。

 

あるいは貴人の机の上だったかも知れないし、港の船乗りがそっと持ち込んだ異国の不思議なみやげ物として壁に飾られていたかも知れず、しばらくは大地に触れることもままならず、種は芽吹いて根を張るには、長い時間を要したのかも知れない。

 

果たして仏教は、いつ日本人にとって温かいものになったのか。机の上の書物の世界から、あるいは異国趣味の壁飾りから、いつ泥だらけの足でひざまずいて拝むものになったのか。

 

 

2012年2月

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