住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

仏教の最近のブログ記事

英一蝶の涅槃図

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ボストン美術館に所蔵される江戸時代の一幅の大涅槃図。

修復を終え、日本の東京と美術館での公開に当たり、BSジャパンの「美の巨人たち」で特集されます。

涅槃図は、長谷寺にも江戸時代の大きな涅槃図が伝わり、現在でもその絵解きが行われています。

番組の冒頭で、長谷寺での絵解きの様子が少しだけ写真で紹介されました。

美術品として美しいのはもちろんですが、そこに描かれ、込められたお釈迦さまの教えや、お釈迦さまへの追慕の心を知り、また感じ味わうとき、この一幅の絵画はより強い力で私たちに語りかけ、迫ってまいります。

もっともっと、多くの方に、涅槃図の素晴らしさを知ってほしいと思います。


長谷寺では、お釈迦さまの涅槃図の絵解きをしていますが、古来、涅槃図とともに広く庶民に愛好されたのが『地獄絵』の絵解きです。

人は死んだらどこへ行くのか。。。。

この今も変わらぬ問いに対して、仏教の答えのひとつが、この地獄絵に示されています。

善いことをしたものは善い世界へ。。。。
悪いことをしたものは、悪い世界へ。。。。

悪い世界とはどんなところ?

それが、『地獄』

その地獄って、一体、どんなところ?

京都の龍谷ミュージアムの特別展『地獄絵ワンダーランド』。

※ウェブサイトはこちら!

この秋の京都めぐりは、ぜひ地獄めぐりも(笑)


弘法大師の日

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毎月21日は、弘法大師の縁日「御影供-みえく-」です。

中国で大作の映画も製作され、グローバルな関心を寄せられる弘法大師空海。
※映画『空海‐KU-KAI‐』公式ウェブサイト

真言宗という、日本仏教の一宗派の宗祖というだけではなく、その文学や芸術に発揮された多才多芸な異能ぶりは、僧侶としての活動も、空海その人が思い描き実践したスケールの大きな人生の「一面」に過ぎないようにさえ思われます。

長谷寺には、弘法大師の生涯を伝える絵伝「弘法大師摂化行状図(江戸時代)」が伝えられています。

その一部をご覧ください。

詳しくは、こちらを ↓ (高野山金剛峰寺HP)

弘法大師の誕生と歴史

おてらおやつクラブ

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お地蔵さま

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毎月の24日は、お地蔵さまのご縁日です。

特に8月のこの日は「地蔵盆」といい、関西の方ではお参りが盛んです。

地蔵菩薩は、観音さまやお不動さまと並んで、私たち日本人にとっては、とても身近な仏さまですね。

身近ですが、身近なわりに、そのプロフィールは余り知られていません。

空気のように、風景のように、それほど私たちの暮らしのそばにいる。

お地蔵さまは、そんな仏さまなのでしょう。

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今日はお釈迦さまの誕生日

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48日 花まつり お釈迦さまの誕生日

 

今日は「花つまり」お釈迦さまの誕生日(降誕会)。

お釈迦さまは、今から、2500年ほど前に、インドの北、今のネパールのあたりにありました釈迦国という小さな国の王子としてお生まれになりました。

ルンビニーの花園で、お母さまの右脇からお生まれになるや直ちに北に向かって七歩あゆんで、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられます。王子は、シッダールタ、全てを叶えるもの、と名づけられました。


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 (画・牧宥恵)


そして、健やかな成長の中で、シッダールタ王子は、深く人間の生老病死の「苦」を見つめ、その苦しみが永遠に輪廻する世界からの真の解放(解脱)の道を求めて、29歳の時、家族も地位も財産も捨て、ひとり出家されたのでございます。

それから、髪をそり、ボロをまとい、真理をたずね、師を求め、命がけの苦行をし、かつて誰もしたことのなかほどの断食をきわめて6年の間ひたすらに真理への道を求めて参りますが、いずれの道にもシッダールタは満足できず、それらを離れ、それらを超えて、ひとり心身を調え、かの菩提樹のもとで深い瞑想に入られます。

 

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(菩提樹)


そして長い瞑想の末、目覚めを妨げる悪魔マーラーを退けて、シッダールタは12月8日の朝、明星の輝くころ、悟りを開き、ブッダ=目覚めた人となったのでございます。

以来、80歳でクシナガラの沙羅の林で入滅されるまで、自ら目覚めた解脱への道を、人に応じ、苦に応じ、病に応じて説き示し、多くの人が弟子となり、多くの人が慰められ、多くの人が帰依し、その法は、時を超え、国も民族も越えて、今日に伝えられています。

 

どうか、多くの皆さまに、お釈迦さまとのご縁がありますように。

その善き教えと、皆さまが出会われますように。

この世に、お釈迦さまの教えが広まり、長く伝えられていきますように。



 

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

南無釈迦牟尼如来

 

合掌

(住職記)

すきなことば

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46日 晴れ 春らしくなってきました

 

今日は、長谷寺とも縁のある詩人の故・山尾三省さんの詩から、私の大好きなものをひとつご紹介します。


ことば

        山尾三省

 

あなたはどんなことばがすきですか

海ということば

森ということば

いのちということばが

すきですか

それとも

平和ということば

やすらぎということばが

すきですか

それとも

争いということば

憎しみということば

むかつくということばが

すきですか

 

それともまた

しらけるということば

切れるということばが

すきですか

 

私は今

いのちということばと

やすらぎということばが

とてもすきです

 

いのちということばには

わたくしの光があります

安らぎということばには

わたくしの涙があります

 

あなたはあなたで

わたくしはわたくしで

もろともに

ほんとうに心から好きなことばをみつけて

そのことばを大切にし

そのことばを生きていくのが

人間であり

人間社会であると

わたくしは思います

 

いのち

やすらぎ

 

あなたはどんなことばがすきですか

*           *              *              *

 

長谷寺は仏教の中でも真言宗の教えを伝えています。

真言というのは、字の通りに「まことの言葉」ですが、それを教義として宗教哲学的に理解し体解するのは容易なことではありませんね。

仏の道は、悟りや救いの道として人類の宝である一方で、良寛さん「釈迦といういたずら者が世に出でて世間の人を惑わするかな」という歌があるくらいですから、その『難しさ』というのが立ちはだかって、私たちの意識を遠ざけてしまいますね。

この三省さんの詩は、実は、そういう難しく感じられる仏の道を、分かりやすく語ったものでもあります。

「ほんとうに心から好きなことばをみつけて、そのことばを大切にし、そのことばを生きていく」こと。それが、真言宗という、まことの言葉を生きていくということに通じていくのですね。

愛とか、思いやりとか、感謝とか、誰でも大切にして生きていきたい言葉ってありますよね。モットーとか、座右の銘とか、いろいろといい方はありますが、本当に真心から日々大切にして生きていく言葉。自分の人生を、その言葉とともに歩んで行けるような言葉と出会えたら、それはなんて素晴らしいのでしょう。

みなさんは、どんな言葉がお好きですか?

時々、静かに見つめなおしてみてはいかがでしょうか。

合掌

(住職記)

死別のレッスンとしての涅槃会

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3月15日 涅槃会(やしょうま)晴れ  

 

信州では月おくれとなる本日、長谷寺におきましても、お釈迦さまの涅槃会が営まれました。

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午前と午後、あわせて150人ほどのお参りを頂いて、皆さんとともにお釈迦さまへの報恩と追慕のお祈りをしました。

 

涅槃会は、その遺法の末世の弟子たる私どもが、出家も在家もともどもに、お釈迦さまへの報恩の誠をささげる法会です。しかしそれだけではありません。


いのちのちかい

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3月11日 晴れ 

 

いのる、ということ。

 

日本語は、その語源をさかのぼると、私たちの祖先の心を今に伝えています。

「いのる」という言葉<やまと言葉>は、「い」と「のり」に別れるそうです。

「い」は、息とか、息吹にもあるように「いのち」を意味する言葉。

「のり」、天皇陛下の「みことのり(詔)」とか、神主さんの「のりと(祝詞)」にみられるように、うそ偽りのない言葉、神仏の前での誓いの言葉、というような意味を持つ言葉だそうです。

 

すると、「いのり」とは、「いのちの誓い」という意味になります。

 

つまり、私たち日本人の祖先は、カミ(神)や死者の魂、祖先の霊の前で、「いのちの選手宣誓」をしていたわけですね。

 

間もなく春の甲子園大会。高校球児の精一杯のプレーを見ることができます。

あの開会式の選手宣誓では、どんなことを誓いますか?

「宣誓、われわれは、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、最後まで全力を尽くして戦うことを誓います」

だいたい、こんな感じですね。

では「いのちの選手宣誓」としてのいのりでは?

 

「せいいっぱい、生きることを誓います!」

そう、誓っているのではないでしょうか。

それが、日本人にとっての、祈り、なのですね。


神仏の前で、祖先の前で、祈るということは、一生懸命、ベストを尽くして、与えられた場所で、限りある命を生きてまいります。

そう誓うこと、それが、いのり。

いのちの祝詞、いのちの誓い。

 

今日は、東日本大震災の七回忌となる祥月命日でした。

幾万の尊い命が失われました。

その犠牲となった一人ひとりの方のみ霊の安らかなることを、祈る私たち。


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(田老町にて)


それは、犠牲となった方々のみ霊に誓うことなのですね。


「私たちは、せいいっぱい、生きてまいります」と。

 

合掌

(住職記)

地獄コール

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3月6日 蟄虫啓戸 うす曇り 穏やか

  

私は、小学校の読み聞かせをしています。

毎週月曜日、「今日はどんな本を読もうかな」と、子供たちの顔を思い浮かべながら、本を選ぶ楽しみがあります。

 

もっとも、私の場合、子供たちは私の職業を知っているせいか(村のお寺の和尚なので)、決まった傾向の本を期待しています。

 

それは「地獄」に関するもの(笑)

 

名著『じごくのそうべい』をはじめ、最近は紙芝居の『小僧さんの地獄めぐり』など。お寺の地獄図を持っていったこともあります。

「こんなのでもいいですか?」と学校の先生に尋ねました。

「ぜひぜひおねがいします」とのこと。

 

 

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子供たちはじごくが大好き(笑)

ある時は、違う本を持っていったところ「え~地獄の話じゃないの~つまんな~い」「地獄がいい!」「ぼくも~」「地獄っ地獄っ」「じーごーくー」と地獄コール。

 

娑婆からの地獄コールに、閻魔大王も苦笑いのことと拝察します。合掌。

 

それならば、と期待に応えて、大いに気合を入れて「小僧さんの地獄めぐり」を読んだところ、げんなりしてしまう子もありました(汗)。


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この紙芝居、絵が素晴らしいので、想像力や感受性が豊かな子には、インパクトが強すぎるかも。どうか悪い夢を見ませんように。

 

この紙芝居、ひろく現代っ子(老若男女)の皆様に、強くお勧めします。

おじいさん、おばあさんは、お孫さんにプレゼントしましょう。

さし上げるだけではだめですよ。

必ず、気合を入れて、読みましょう。

 

読みながら、きっと思うはず。

閻魔さまが、ずっと見てたのかな。。。と。

わたしは、だいじょうぶだろうか。。。と。

 

お釈迦さまは仰います。

悪いことをせず、善く生きて、こころを清らかにしよう。これが仏の教えである。

 

閻魔さまが、ジロリとご覧になっています。

 

(住職記)

檀家さんこんにちは

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私とお寺とのご縁。人とお寺とのご縁。

檀家と菩提寺という関係の中で、日本人はどんな心を育んできたのでしょう。

個人を大切にする現代のライフスタイルが進んで、従来の共同体つまり地縁・血縁に基づく文化や価値観は、現代の人には好まれなくなっています。

それらはどこか個人の自由に対する「しがらみ」や「重荷」というマイナスなものとしてイメージされやすいのではないでしょうか。

ですから、地縁・血縁を基盤とする寺院も、なにやら前時代のしがらみのシンボルであるかのように思われ、仏教に興味を持つ人であってさえ、菩提寺や寺を敬遠するようになっているのではないでしょうか。

 

しかし最近は、グローバル化が進んだためなのか、海外の人々からの高い評価もあり、かえって伝統的な文化を見直されています。

伝統の見直しは、社会的な文化にも広がりを見せ、特に少子高齢化社会が進む地域の課題として、コミュニティの『絆』の再生がテーマになっている中で、地域の寺の機能にも関心が集まり始めていますね。

 

そこで、人々と寺とをつなぐ、檀家と菩提寺という間柄についても、必ずしもマイナスなものではなく、プラスなものとして再評価する動きもあります。

そこには、不透明な社会で、しかも人生100年時代の老病死という人生の問題も抱えながら、自分の人生をしっかり生きていきたいという現代人の願いがあるのかもしれません。

まいてらのホームページでは現代における檀家さんとお寺のご縁の物語が紹介されています。

檀家さんこんにちは」、ご覧下さい。



護摩祈祷

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新春初詣の護摩祈祷の様子です。

少しだけアップいたします。
参拝結縁の皆さまとともに、心ひとつに観音さまに祈りを凝らす護摩祈祷。

燃えあがる火焔を見つめ手を合わせます。


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『とても元気が湧いてきました』

『気持ちが澄んできました』

『伝統の儀式がとても新鮮な体験でした』

『太鼓の音がすごい迫力でした』

『厄払いをしたなぁという気持ちになりました』

参拝の皆様、それぞれいろんな感想があります。

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感じ方はそれぞれでも、観音さまへのお祈りをしている間に、何かご自分の中に湧き上がってくる思いや気持ちと向き合う時間は、とてもいいものですね。


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仏教(宗教)には、いろんな法要があり、いろんな祈り方があります。

ぜひ一度、真言密教の伝統の法要、護摩祈祷にもお参りしてみてください。

おまちしております。




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全国に広がる長谷観音信仰

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全国に広がる長谷観音信仰

 

長谷寺というお寺は、日本各地にみられます。

 

宗派は様々ですが、そのほとんどのお寺が十一面観音を本尊としています。

 

とても不思議な気がしますが、平安時代に大変盛んになった、奈良の長谷観音信仰が広がって、各地に「新長谷寺」が建立されたとされます。

 

今では、当時のことは良く分かりませんが、寺伝によると、信州さらしな長谷観音も、この長谷観音信仰とゆかりがあります。

 

インターネットには、各地の長谷寺の紹介もございますので、折に触れ、インターネットでヒットした(ご縁があった!)長谷観音をご紹介していけたらと思います。

 

今回は、九州福岡の長谷観音さま。

御本尊の御姿が中心となりますが、とても美しいので最初にご紹介させて頂きます。




御開帳のご案内

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自らをキャンドルとせよ

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自らをキャンドルとせよ

 

師走を迎え、この季節になると街のそこかしこにクリスマスの飾りやライトアップが賑やかです。特に、キャンドル、ろうそくの明かりというのは何とも言えないぬくもりを感じますね。


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お寺のライトアップについて専門の先生と話していたら面白いことを聞きました。

ロウソクの灯の形についてです。

あのぽっと灯される、小さなロウソクの炎は、ロウソクならではの姿かたちをしていますね。

愛らしくて、見ているだけで心が温まります。

先生はある時「こんな素敵な炎だから、もっと大きくしたらどうだろう。みんな喜ぶしビックリするんじゃないか」と思いついて、いろいろと実験をしてみたそうです。

ところが、ロウソクというものは、大きくしたり灯芯を太くしたりしていくと、少しは大きくすることが出来るそうですが、ある程度の大きさを超えてしまうと炎の形が壊れて、メラメラぼうぼうと盛んな火になってしまうのだそうです。

結局、ロウソクの可愛らしい灯火は、ロウソクでしか灯せないことが分かったそうです。

さて、クリスマスに先立って、12月8日にはお釈迦さまが悟りを開いた成道会を迎えました。

お釈迦さまは「自らを燈明とせよ」と説きました。

この時に、お釈迦さまの胸に灯されていたのは、どんな炎だったのでしょう。

私は、大きく燃え上がる炎ではなくて、小さなロウソクの炎のような、小さな灯芯に灯される小さな灯火だったのではないかと思います。

大きく、立派な形にしようとしてもできない、自分自身の器のサイズに相応しい姿かたちの炎。

それは小さなキャンドルかもしれませんが、燃え盛って姿や形が乱れることもない、ほのかだけれど、静かに人生の道を照らす。

そういうちょうど良い大きさの炎となって生きる。

クリスマスを前に、自分自身をひとつの灯として、ちょうど良いかどうか見つめ直してみませんか。

自分自身について、大切な気づきの贈り物があるかもしれませんよ。

明日香 岡本寺寄稿〈一部訂正〉

2017年9月

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