住職日記

「長谷寺の住職は現在35世代目。歴史ある寺を守ること、そこから仏教を発信すること、そこが地域に開かれた場となること。課題も夢も山積み。そんな住職の日々と思いをつづります。」

仏教: 2014年3月アーカイブ

常楽会にこめられた恋慕の情

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常楽会にこめられた恋慕の情

 

私が修行したのは京都東山の智積院。

一般には知られていませんが、日本の仏教史の中では、学問の寺として天下に知られた名刹です。

その智積院の常楽会(涅槃会)に伝わる舎利講式は、鎌倉時代の明恵上人によるものです。

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「絹本著作明恵上人像」(高山寺蔵、国宝

舎利講式は上人のお釈迦さまへの深い愛情と追慕の念が余すところなく表現された日本仏教文学上の傑作といわれています。

明恵上人は宗派を起こしたような僧侶ではないので、今日では各宗派の宗祖のような知名度こそありませんが、日本の仏教史上極めて重要な存在であることは疑いありません。

さて、この講式全体に貫かれている主題は、お釈迦さまに対する「恋慕」の情です。

明恵上人は、講式において、お釈迦さまよりはるかに遅れて生まれてしまったこと、死に目に会えなかったこと、場所もインドから遠く離れて生まれてしまったことを嘆きます。

けれども、ひたすらに舎利(遺骨)に恋慕渇仰の想いを凝らせば、必ずやお釈迦さまと会える!

そのような切々たる恋慕の思いが全編を通じて謳われています。

お逮夜(常楽会前夜2月14日)に読む遺教経(お釈迦さまの最期の説法と伝えられるお経)を、初めて経蔵で手に取った明恵上人は、感動で打ち震え、こぼれる涙を抑えることも出来ずに声をあげて泣いたと伝えられます。

そのような上人のお釈迦さまへの情感あふれる舎利講式を唱える常楽会が、「智を積み上げること」を中心とする学問寺として名高い智積院において、古来もっとも重視された法要のひとつであったのは、とても意義深いことであると思います。

ここで謳われるのは、お釈迦さまへの愛、憧れ、追慕の情、すなわち「好き」という想い。

きっと、こうした仏祖への憧れなしに、仏教的な知識ばかりをどんなにたくさん積み上げても無意味であることを、学問の中心寺院として名高かった智積院の歴代の学僧たちは深く知った上で、自他に対する戒めとしてこの法会を営み、明恵上人の恋慕の思いを我が想いとして育んできたのではないでしょうか。

なぜなら、「仏教を知っている」ということと「仏教を生きる」ということはまったく別次元のことなのですから。

僧侶というものは仏教をただ知っている人を指すのではなく、仏教を生きている人を指すのですね。

かくいう私も、そう言いながら忸怩たる思いがありますから、少なくとも、それを生きようとする人、と申しましょう。

こんな時代の、こんな至らぬ僧であっても、それでもお釈迦さまへの追慕の心を持ち続けたい。

お釈迦さまへの愛、憧れ、恋慕の心が深まっていくものでありたい。

お釈迦さまへ、その教え(法=ダルマ)へ、また弘法大師(各宗派の祖師)へ、本尊へと、大きな憧れと恋慕の想いを持ち続けていくこと。

それは明恵上人がもっとも重視した心に通じ、お釈迦さまご自身もまた、悟りを開いてから後も生涯にわたって真理を愛する心、真理への憧れを瑞々しく保ち続けた人であったに違いありません。

お釈迦さまが好きという気持ち。

皆さんも、大切に、そして少しずつ、育んでみてはいかがでしょう。

平成26年 涅槃会

形に迷わっしゃるな~盤珪禅師

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仏心に男女の替りなし~盤珪禅師 

 

形に男女の替りはござれども、

仏心には毛頭、替りはござらぬ。

必ず必ず形に迷わっしゃるな。

 

盤珪(江戸時代 16221693)『盤珪禅師法語 巻下』

 

意訳:形の上では男女に違いはあるけれど、仏心に関していえば、何の違いもない。決して形にとらわれて迷ってはならない。

 

現代人は、「女性は仏になれない」などと聞けば、誰もが「は?」と答えると思いますが、昔はそうではありませんでした。

お釈迦さまの時代はもとより、近年まで、女性の立場は男性より低く位置づけられていました。

現代でも、テレビで政治家や経済人の会議などが映し出されているのを見ると、ほとんどが男性ですから、女性の社会的な活躍を妨げる働きが今でもあるのでしょう。

皆さんはいかがですか?

少しずつ世の中の価値観も変わり、私たち人間の意識も変わりつつありますが、人間の心というものの弱き一面の中に、「形」にとらわれてしまう傾向があるのは確かだと思います。


盤珪さんは、江戸時代初期に生きた禅僧で、若いころから命がけの禅修行をし、『不生』という境地に開悟して以来、分かり易い言葉で仏法を説き、人々に敬慕された方です。


少年の頃、儒学に志し、「大学」という書物を学んでいた時に、「明徳」という言葉と出会い、この言葉の意味するところを探求しますがなかなか納得することができませんでした。

そこで、儒学の先生に尋ねたところ「そういう難しい問題は禅師に求めなさい」と道を示され座禅の道を志します。

それからは、寝食も忘れる態で、座禅に打ち込み、さらに念仏や断食など、文字通りの苦行三昧の日々を続けて、とうとう結核になり死にかかってしまいます。

その瀕死の中で、ふと「不生の仏心」という開悟が訪れたと伝えられます。

すると不思議と病気も治ってしまったそうです。


不生の仏心とは、どんなものなのでしょう。


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盤珪禅師御自筆『不生』


禅の道では、盤珪さんの『不生禅』ということで大変に重んじられており、今なおこの教えに導かれて座禅修行をされる方がたくさんいます。


不生の仏心とは、私たち誰もが、生まれながらに(生まれる前から)いただいている仏心であり、誰にも平等にあるものはこれだけだと申します。

それ以外のものはすべて何もかも、生まれた後で、覚えたり、身につけたりするのですね。


生まれ落ちた時に備わっているものはただ一つ、仏心だけ。


ですから、冒頭の言葉のように、男女の形の違いに『迷わっしゃるな』と。男だ女だというのも、生まれてからのことで、生まれる前の不生の仏心には、男も女もない、と。

 

いろいろな「形」の違いに迷い続けるのが私たちです。

これからも迷いは消えず私たちは悩み続けるでしょう。

でも、盤珪さんの言葉は、迷い疲れた私たちにとって、とても大きな助けになります。


●あすゝめ 天徳山 龍門寺ホームページ

(仏教名言辞典参照)


戒と智~源信僧都 

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戒と智~源信僧都 


色と族とおよび多聞ありといえども、

もし戒と智なくば、禽獣のごとし。

 

源信(平安時代 9421027)『往生要集 巻上』

 

意訳:姿かたちが美しく、家族も繁栄し、知識も豊富であったとしても、自分を戒めることと、智慧がなかったなら、鳥や獣と少しも変わらない。

 

源信さんは日本の浄土信仰のもといを築いたお坊さまです。

比叡山にあって、お釈迦さまの教えが廃れる『末法』の世相に生きる人間を見つめ続けました。


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恵心僧都源信像 聖衆来迎寺所蔵


当初は、源信自身も知らず知らずに世俗の世相に流され、栄達や名利を求める僧侶でしたが、ある時、比叡山の大法会で立派な役を果たしていただいた褒美を故郷の母親に贈ると、喜ぶかと思いきや、こんな歌ととともに送返されてきました。

 

後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ

 

得意の絶頂だった源信でしたが、母からのこの歌によって、僧侶としての自分の生き方を深く見つめ直します。

そして名利栄達の道を捨て、比叡山の横川というところにお堂を建てて、念仏三昧、修行ひと筋の道に専心しました。

 

そんな源信さんでしたので、末法の世相の中で、人はいかに生きるべきか、何を大切にして生きるべきか問い続けたことでしょう。

そうした求法と問いの中から、源信僧都は、「厭離穢土、欣求浄土」の精神を深め、かの名高い「往生要集」を著します。

厭離穢土、欣求浄土という、この汚れた世をいとい、ひたすらに浄土を願うという源信の思想と著作、そして念仏三昧の求道生活は、人々の大きな影響を与えました。

あの藤原道長も帰依し、末法の世に生まれ落ちたことを嘆く多くの人々が源信の教えに共感しました。

後の、法然上人や親鸞聖人ら、浄土信仰を発展させる偉大な僧たちにも大きな影響を与えましたし、往生要集に描かれた地獄の様子はあまりに有名になり、平安時代の文化に多大のインパクトを与えました。さらにこの本は、中国の仏教聖地である天台山にも送られて、当時の中国のお坊さんたちからも讃嘆され、源信僧都は、中国の僧侶たちから「日本小釈迦源信如来」と尊崇されました。

 

末法の世、は今も続いてます。

こんな世の中で、どうやって生きていけばよいのでしょう。

 

そんな悩みを持ち、迷い、私たちと同じように苦しんだ源信僧都。

鳥や獣と一緒だと言えば、自然を破壊しない動物たちに申し訳ないほど、私たちの生きる現代の末法性は、源信さんの頃よりもはるかに深刻といえるでしょう。

 

源信さんが冒頭の言葉で申しれました『戒と智』、すなわちお釈迦さまの教えは、これからますます大切になっていくことでしょう。

(仏教名言辞典参照)

 

山火事と小鳥

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小鳥の話

 

雑宝蔵経というお経にこんなお話があります。

 

ある山の奥に、たくさんの動物たちが仲良く暮らしていました。

ところがある日のこと山火事が起こります。

火は次第に燃え広がって、動物たちが平和に暮らす森にも火は迫ってきます。

動物たちは、みんなで力をあわせて火を消そうとしましたが、燃え盛る炎はどんどん強くなって、やがて動物たちの森はその大きな火に飲み込まれてしまいます。

 

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その轟々たる炎に追われ、動物たちは火を消すことをあきらめて皆で森を捨て逃げ始めました。

そして遠くから焼き尽くされていく森を見つめて途方に暮れている時、誰かが仲間の小鳥の姿がないことに気がつきます。

小鳥は逃げ遅れてしまったのでしょうか。

 

すると、燃え上がる山火事の巨大な火柱の上を、小さな鳥が行ったり来たりして舞っているではありませんか。

いったい何をしているのかと、動物たちが小鳥の様子を見てみれば、小鳥は近くの池に降りてはその小さな翼を水に浸らせ、舞い上がっては巨大な炎に向けて翼についたわずかな水を落としているのです。

動物たちは口々に言いました。

「小鳥さん、馬鹿なことをやめなさい。無駄なことはやめなさい。

あんな大きな炎なのですよ。

あなたのそんな小さな翼から落ちる水滴で消せるわけがないじゃないですか。

早くこちらに逃げて来なさい」と。

 

小鳥は、翼も体も炎と煙で真っ黒になりながら答えます。

 

「私の小さな翼から落ちる水滴でこの山火事が消せないことくらい私にも分かります。

私のやっていることは、馬鹿なこと、無駄なことかもしれません。

でも、私はこうしないではいられないんです」。

 

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私たちの住む世の中も、争い、憎しみ、不安、病気、貧困の炎が轟々と燃え上がり、私たちの暮らしを飲み込んでいます。

この火を消なんて、私たちには出来そうもありません。

でも、消そうとすることは馬鹿で無駄なことなのでしょうか。

 

あなたは、小鳥をどう思われますか?

(明日香村 岡本寺はがき説法寄稿一部加筆)

泣き虫菩薩

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泣き虫菩薩

 

チベットに伝わるお話です。


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むかしむかし、泣き虫菩薩とよばれて、皆にばかにされている、ちいさな菩薩がいました。

弱虫で、何をみてもすぐ泣くのです。

踏みつぶされる毛虫をみては、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼし、風に散っていく枯れ葉をみては、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼし、弱くみじめな自分に、ぽろぽろぽろぽろ涙をこぼすのでした。

 

そんな泣き虫菩薩を皆が笑いました。

笑われるともっと悲しくなって、私の悲しみはどこから来るのかと思うのでした。

どれだけ涙をこぼしたでしょう。

いつしか、泣き虫菩薩が流した涙で、小さな水たまりができました。

泣き虫菩薩は、涙の水たまりを見て、いったいどれだけ泣けば悲しみがなくなるのかと思いました。

何千も、何万も、星は巡り、月は満ちては欠け、日は登り、沈みました。

それでも、悲しみも涙もなくなることはありません。

やがて、涙の水たまりは涙の小さな池になりました。

 

泣き虫菩薩は涙の池に立って、泣きながら見わたしました。

泣きながら、毛虫をみて、小さないのちを思いました。

泣きながら、枯れ葉をみて、うつろう世界を思いました。

泣きながら、自分をみて、人間を思いました。

そして、悲しみが、世界に流れていることを、私たちに流れていることを知りました。

 

この時、泣き虫菩薩は、悲しみと永遠にともにあろうと願って、悲しみあるところにいっては一緒に泣き、苦しみあるところにいってはいっしょに震えました。

百千万億もの悲しみや苦しみによりそい尽くして、百千万億粒の涙をこぼして、泣き虫菩薩が流したはかり知れない涙によって、小さかった池は、とうとう大きな大きな涙の湖になりました。

そして、泣き虫菩薩は、大いなる悲しみの菩薩、大悲観世音菩薩になりました。

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(撮影・飯島俊哲)

チベットには、今でも観音さまの涙によってできたという湖があるそうです。

私たちのために流して下さる涙で満たされる湖・・・。

遠く、思い浮かべるだけでもありがたい湖ですね。

 

(明日香村 岡本寺はがき説法寄稿)

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