概要
- 宗派
- 真言宗智山派
- ご本尊
- 十一面観世音菩薩(木造・秘仏・平安時代)
- 開 基
- 白助(舒明9年<637年>)
- 中 興
- 真海上人(正応三年<1290>)
- 御詠歌
-
はつせでら 松の葉ごしの影よりも 遠に見えゆく とをの山寺
父母 の菩提 のためにはつせでら建 ててぞ祈 る大慈大悲 を - 境内図

(「信州長谷観音の境内」画/砂田 淑恵)
境内図をクリックすると拡大できます。
建立からこれまでの経緯
| 舒明9年(637年) | 白助により長谷寺開基。 |
|---|---|
| 仁平元年(1151年) | 長谷寺山に金銅製経筒の埋経あり。(金銅製経筒へ) |
| 養和元年(1181年) | 木曽義仲の兵火に遭い伽藍を消失。 |
この頃編纂された奈良県長谷寺の文書『長谷寺験記』に『白助物語』記載される。 |
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| 正応3年(1290年) | 久明親王の霊夢に長谷観音現われる。親王時の執権北条貞時をつかわして高野山の僧侶真海に当山を再興せしむ。 |
| 貞和2年(1346年) | 天竜寺文書に当山のこと記載あり。 |
この頃編纂された文書『三国伝記』に「白助物語」記載される。 |
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| 応永7年(1400年) | 大塔合戦おこり一体が激しい戦場となる。 |
| 天文~永禄年間 | 川中島の合戦。 |
この時期、北信濃は戦乱が続き伽藍・寺域も荒廃し「狐狼の棲みか」となる。 |
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| 天正年間 | 檀徒相計り僧尊海を招き当山を再興す。 |
| 元和5年(1619年) | 長谷寺僧侶小県秋和村(現上田市)に病除加持をする。 |
| 元禄6年(1693年) | 上田城主仙石越前の守参詣。 |
| 元禄16年(1703年) | 大日如来像顕造。 |
| 正徳3年(1713年) | 現観音堂再建・入仏落慶 |
| 享保17年(1733年) | 十王堂再建 |
| 安永4年(1775年) | 仁王門造営。 |
| 寛政3年(1791年) | 方丈殿(現本堂新築) |
| 享和2年(1802年) | 鐘楼門造営。 |
| 天保2年(1831年) | 伝法潅頂執行。 |
| 文久3年(1863年) | 庫裏新築 |
| 慶応2年(1866年) | 開基殿新築 |
| 昭和9年(1934年) | 観音堂裏山より平安時代の経筒出土。 |
| 平成8年(1996年) | 庫裏改修。 |
| 平成18年(2006年) | 観音堂・鐘楼門の平成大改修。 |
十一面観世音菩薩

十一面観世音菩薩は不思議な仏さまです。この観音菩薩は、怪異な岩場や清らかな水源に顕れてまつられることが多くあります。それは日本人や人間の自然崇拝の面からとても自然なことであると思われますが、どうもそればかりではないと思われます。怪異な岩や清らかな水源や瀧とは、私たちの生活の周囲に見られる穏やかな自然の姿とは違い、その自然の内に秘められた大きな力がグロテスクに露出した場であり、そこに古代人がえもいわれぬ畏怖の念をこめて神々を祀り、やがて観音菩薩をそこに祀ったのでしょう。
しかし古代人たちは、そうした自然の仮借なき力の露出に畏れおののいただけではないと思われます。それだけではなく、その渾々と噴出する水や、地肌を引き裂いて大地の怒りが突き出たような岩肌をつくづく見つめて、古代人たちは人間の奥に秘められている底知れぬ情動を重ね観たのではないでしょうか。だからこそ、深い戦りつを覚え、神仏を祭らずにはいられなかったのではないでしょうか。
シラスケが最初に観音菩薩を奉安したと伝えられる場所も大地のエネルギーが剥き出されたような岩場であり、また清流が留まっては流れはじめる不思議な瀬です。きっと、その人を拒むような峻烈な岩肌や、枯れることなく永遠に流れ来たっては流れ去る場に、シラスケは自分自身の内から溢れ出てくる魂の叫びや、生と死が交じり合ういのちの永遠性を観たに違いありません。その鎮めがたき力の奔流を鎮め、また永遠性と触れる場において、十一面観音は出現するに違いないのです。
日本人は数ある観音さまの中でも、この十一面観世音菩薩を最も愛し、最も内面化してきたといわれています。そのわけは、この観音の大悲の背後に秘められた強力な鎮めすなわち浄化の力のためと思われます。いやされぬ悲嘆や傷みや暗黒の叫びに魂を震わせている者を、底知れぬ慈悲の力で抱きとめる。人間の魂が絶望のカオスから再生する物語を、十一面観世音菩薩は無限に編み出していく仏さまなのです。
金銅製経筒

古代の日本には、山岳の峰々を駆け巡る修験者とよばれる人たちがいました。彼らは里(俗世間)とは異界として結界された霊山に身を運び、仏道修行に明け暮れ、さらに風水や神仙の術を駆使して神仏との合一化をはかり、悟りを開いて、異能の力を身につけようと願いました。
彼らは、古代からの宗教者であるシャーマンの流れも汲み、ことに五世紀ごろに西日本各地を遍歴した謎の仙人役行者の影響を強く受けていました。この役行者は、言い伝えによると法華経を護持し、孔雀明王の陀羅尼を唱えながら厳しい修行を重ね、神通力をもって大和の国の大峰山中において金剛蔵王権現を感得し、各地の霊峰をことごとく密教化した伝説の巨人であり、日本山岳密教の開祖と称される人物です。
長谷寺の観音堂の背後から昭和9年に出土した埋経の経筒も、この役行者の末裔ともいえる法華行者の痕跡と考えられます。仁平元年(1151年)の夏のある日、日本各地の山系を渡り歩くひとりの修験者が更級の長谷山に差しかかる姿を思い浮かべてみます。おそらく彼(あるいは彼女)は、太古からの魂の再生の霊地である長谷山の峰の一角で法を修して、この観音霊場が並はずれた霊地であることを直感したに違いありません。そして、この峰に法華経を埋め、密教の法力をもって周辺一帯に観音の験力を轟かせようと試みたのではないでしょうか。
埋経遺物は黙して何も語りません。しかし、埋経がなされたという事実が、長谷山という空間が霊的エネルギーにあふれた場であることを雄弁に語っているのです。開基シラスケの手によって奈良の初瀬より勧請された十一面観世音菩薩は、他のどこでもない、この「ハセ」という土地に奉安されなくてはならなかったのです。埋経はシラスケがこの土地を霊地と直感したことをあらためて証明しているといえるでしょう。
木造地蔵菩薩像

運慶・快慶の鎌倉仏像群は、その桁はずれにエネルギッシュな生命力の表現によって私たちの目を奪い、魂を揺さ振ります。恐らく、中世という時代に巻き起こった社会的・文化的・歴史的なうねりの巨大さが、人間の生命力を極限まで活性化し、同時代人である仏師の魂もその巨大なうねりの中で表現を追及し開花させたのでしょう。その意味で、仏像とは顕造された時代の人々の祈りを結晶し、時の人々が切実に希求する癒しを体現しているといえるでしょう。
この地蔵菩薩像は、慶派の得意とする爆発的な生命表現とは対極的に、とても静謐です。しかし人の死が日常的であった中世という大動乱の時代に静謐であることの意味を考えてみれば、この地蔵菩薩像の静けさは圧倒的な静けさであり、その立ち姿はどんな風雪にも揺るがない強靭な巨木の姿を思わせます。
この静かなたたずまいの地蔵菩薩には、源平の合戦に関わった武士の念持仏であったという伝承があります。幾多の戦乱の中、血で血を洗う戦闘の渦中にある侍たちは、生きながら地獄に堕ちぬよう祈ったことでしょう。戦さの狂乱と喧騒の中の静謐な一瞬、その一瞬にかけた全身全霊の祈りを思うと、この地蔵菩薩像の強靭な静謐さこそがまさに当時の人々の祈りの結晶した姿、癒しの体現であると思われてなりません。
長い長い旅を終え、数奇な遍歴を経てきた地蔵菩薩が、今は長谷寺の一遇にひっそりと祀られています。その玉眼の向こうで、この地蔵菩薩が見届けてきた人々のドラマは数知れません。そして永遠に人々を救い続けるという地蔵菩薩の旅は、まだ終わりを告げたわけではないのです。
釈迦涅槃図

長谷寺開基のシラスケの大いなる物語の遥か彼方には、さらに雄大な物語が広がっています。シラスケの旅は観世音菩薩への憧れから出発していますが、観世音菩薩とは、実は今から2500年前、インドに実在した一人の偉大な魂の美しき化身なのです。その偉大な魂を私たちはお釈迦さまと呼んで慕い、この画には、そのお釈迦さまの最期の場面が描かれているのです。
私たちの想像力を時間と空間の束縛から解放してみましょう。私たちがこの涅槃図の前に立ち尽くすということは、遅れ馳せながらこの偉大な人物の最期の時に駆け付けているのです。そのように観、そのように絵の世界に参入していくとき、宗教絵画は私たちの心や魂に深い意味を持って語りかけてきます。あの足をさすっている老婆のように間近までは寄れませんが、私たちも時を越えてその場に駆け付けているのです。
最期の床の周囲にはたくさんの弟子たちや菩薩たち、そして神々や動物たちもいます。さらに東西南北の十方から陸続と無数の弟子たちや信徒たちが駆け付けているのです。描ききれていませんが、インド人はもちろん、チベット人もスリランカ人も東南アジアの人々も中国の人も朝鮮の人も日本人も、近ごろでは欧米の人たちもいます。よく心を凝らして観れば、聖徳太子さんも最澄さんも空海さんも道元さんも法然さんも親鸞さん日蓮さんも一遍さんもみんな駆け付けているではありませんか。いや、よく見ると歴史上の有名人ばかりか死んだ親たちや我が家のご先祖さんたちも、愛した人も憎んだ人もみんないます。動物たちに交じって懐かしい愛犬たちも忘れていたカブト虫たちもみんないます。みんな、みんないます。
ずっと前の方にシラスケさんもいます。5人の子供たちと一緒に駆け付けています。私たちはいちばん最後に駆け付けているのかと思って振り返れば、まだここには無限にスペースが残されています。わが子も、わが孫も、知らないみんなもここに駆け付けてこれるようにちゃんと場所が用意されているのです。シラスケの物語も、私たちの物語も、ここから始まって、そしてここで邂逅します。 お釈迦さまは最後にこうおっしゃいました。
もろもろの事象は移りゆく。怠ることなく励みなさい。
私たちはこの場に駆け付けましたが、またそれぞれの人生の旅を歩みだしてゆかねばなりません。その道は孤独ですが、つらく淋しい時は祈りを懲らしてここに駆けつけましょう。この大いなる涅槃の場に駆けつけたということが、私たちの孤独な旅を勇気づけ、次なる第一歩をあゆみだす力を与えてくれます。疲れたら、心を静かに手を合わせ、ここにやってきましょう。そしてみんなに会いましょう。祈りの心は、私たちの魂は、いつでも、この画の世界に、この永遠なるものが顕れている場所に通じているのです。

