住職日記

お参り、ありがとうございました

初詣から厄除大祭、そして初観音ご縁日まで

令和3年を迎え、初詣のお参り、そして厄除大祭、また初観音のご縁日にあたり、寒さと何よりコロナ禍の不安が募る中、ご参拝をいただきました皆さま、誠にありがとうございました。

例年に比べると、お参りされる方も少なく、賑やかな新年とはまいりませんでしたが、分散参拝にご協力いただいて、元旦以降も午後になっても参拝の方のお姿ば途絶えることなく、むしろ穏やかな境内にいつも祈りの香煙がのぼり、鐘の音がゆったりと響き、護摩やお祓いの祈祷も、いつにもまして凛とした法要が営まれたように思われます。

今年は、コロナの感染予防も念頭に、観音さまの慈悲の心の実践として、「自利利他」の言葉をご祈祷に参拝された皆様にお伝えいたしました。自利利他とは、言葉の説明をするまでもなく、自分の喜びと他者の喜びとをひとつにしていこうと願う仏の道です。

とりわけ、コロナ禍においては、わが身を感染から守る自利の実践は、家族や大切な方をお守りする利他に直結します。しかも、この身近な自利利他の営みの広がりが、やがて社会を利することに通じてまいります。
古来、自利だけを願う人は「我利我利亡者」と呼ばれました。亡者とはこの世のものでないということですから、自分の利益ばかりを目指す人は、良い人生を歩んでいるとは言えない、そんな生き方は虚しい人生なのだ、ということ。他者の喜びをわが喜びへとひとつにして行けるときに、生きている喜び、生きがいを実感できるのではないでしょうか。

もっとも、古来、こうして自利利他を尊いものとして掲げてきたのは、裏を返せば、本当にそれを実践するのはむつかしい、それほどに尊いことである、ともいえるからでしょう。

長谷寺の親子地蔵さま

私たちは、ついつい、自分のことばかり考えるものです。相田みつおさんの「人間だもの」とは、誠にその通りであって、自利利他という理想を知りながらも、なかなかそうはいかない現実の厳しさや、また私たち人間の弱さや愚かさも、私たちはお互いに承知していかなくてはなりませんね。きっと自利利他の心には、自分のダメさを認めることと、他人のダメさを認めることもあるはずです。そうなっていく時、自利利他の「利」は、単に物質的な利得ばかりでなく、心を豊かにしてくれるもの、つまり「りえき」ではなく「りやく」と読むところの、仏さまの功徳となって、私たちの人生の新しい扉を開くものと思います。

コロナ禍の不安は当面続くと思いますが、この試練の中で、自利に尽くし、利他に尽くして、一日一日を大切に過ごしてまいりましょう。

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