観音さまの心

観世音菩薩とは何か、と問う時、難しい経典や参考書の解説より、私たちに深い了解を与えてくれるひとつの詩があります。声に出してゆっくり読んでみてください。

観世音菩薩

観世音菩薩 というのは

世界を流れている 深い慈愛心のことであり

わたくしの内にも流れている ひとつの

深い慈愛心のことであるが

いつの頃からか

この世界には そのようなものは実在しないと

私たちは考えるようになった

それがなくては

この世界も わたくしも 一刻も成り立ちはしないのに

わたしたちは それを架空のものと

考えるようになった しかしながら

一人の人が ぼくに喜びを与えてくれるならば

その人は 観世音菩薩なのであり

一本の樹が ぼくに慰めを与えてくれるならば

その樹は まごうかたなく観世音菩薩なのである

あなたが清らかな水を飲んで おいしいと思うならば

その水が 観世音菩薩なのであり

観世音菩薩の像に接して やすらかな気持ちになれば

その像もまた むろん観世音菩薩である

私が人を責めることをしないならば

それが観世音菩薩であり

あなたが私を許してくださるならば

そこに観世音菩薩は 現前しておられる

観世音菩薩というのは

世界を流れている 深い慈悲心であり

あなたの内にも わたしの内にも流れている

ひとつの 深い 慈悲心のことなのである

山尾三省『観音経の森を歩く』所収

長谷観音にお参りして、あなたの内に流れている深い慈悲心に再会してください。長谷観音が古来より信仰されるのは、私たちのうちなる観音性(悲、慈、愛、同悲同苦、仁、いのち)が蘇ってくる聖なる場であるからです。

生きることが嫌になる時、何もかもうまくいかない時、大切な人を喪った時、そんな深い悲しみにくれる時こそが、観音さまの心と深く通じあう「時」になります。悲しみは私たちにとってとても大切な心です。悲しみをちゃんと悲しんでこそ、生きる力は溢れてきます。泣いていい場所、祈っていい場所。長谷観音にお参りください。