住職日記

喪中葉書

今日、一葉のハガキが届いて言葉を失った。

喪中のハガキ。
それは、20年ほど前に、大変お世話になった方の死を告げるものだった。
つい半年ほど前に、メールでやり取りをし、昨年にはお会いしていた。
夏には、その方が働いていた事務所の前まで行きながら、姿が見えないのは仕事に出かけているからと一人合点し通り過ぎた。
にわかに信じることができなくて、20年前の当時に一緒に世話になった友人に電話をした。
その電話は結局、はがきの内容を確認するものとなった。
昨年の長谷観音の御開帳にも、わざわざお越しくださっていた。
「年取って、いよいよって時になったら長谷寺で庭掃きをして過ごしたいなあ」
そういって楽しそうに笑っていた笑顔がよみがえる。
迂闊。
不覚。
そんな言葉がよぎる。
体調が悪いということは耳にしていた。
Facebookの写真も、少しやせたかな、と思ったこともあった。
そういう消息を思うことがちゃんとありながら、
この夏に事務所の前を通り過ぎてしまった不覚。
しばらく前にも、一緒に巡礼をしていた方の訃報を耳にして驚いたばかり。
その方も、体調がすぐれないこと、復帰も難しいことを、かねがね伝え聞いていたのに、
見舞うこともできなかった。
最近、しきりに実感を伴って胸に残る言葉がある。
遅れ先立つ。
本当に、そうだと思う。
であるからこそ、遠くに住まう人であれ、身近な人であれ、その時の出会いを大切にしないと。。。
こんなことを書き込みながらも、そのはがきを何度も手にとって、奥様の名で記された文面を読み直している。
生前のご厚情に深く感謝し…。
いや、厚情などとはとてもいえない、うかつな薄情。
一期一会。
遅れ先立つこの世であるから、もう一度この言葉をかみしめている。
一枚の喪中葉書を手に取りながら。
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