住職日記

千四百万年の寺づくり

千四百万年の寺づくり

 

 「寺離れ」が進行する今日、私が地域における菩提寺の役割を考える時、いつも思い起こす出来事があります。私はこのエピソードの中に寺が蘇るヒントがあるのではないかと思っています。

 

 屋久島に、今は亡き宗教詩人の山尾三省さんを訪ねた時のことです。自ら軽トラックを運転して島内の案内をしてくれた三省さんは、「この車にエンストしないように走ってもらうには特別な技術が必要なのです」と笑いながらハンドルを握り、美しい滝やガジュマルの巨木、詩に描かれた東シナ海を望む浜辺へと連れていってくれました。詩人と一緒に水の流れや一本の樹を見つめていると、目の前に広がる景色が何かを語りかけてくるように思われました。



やがて、プスン、パスンと音をたてる軽トラックが西部林道に差し掛かり、ヤクシカの群れがトラックの前を横切った時、詩人は車を止めて原生林へと私を導きました。そしてヤクシカの跡をたどって照葉樹の森へと分け入って行くのです。三省さんの後について森の奥へと入っていくと、涌き出たばかりの小さな水の流れがあり、詩人は裸足になってその小川に入ると、透明な水の中から小さな小石を拾い上げて言いました。

 

「この石は巨班正長石といって、千四百万年前に屋久島が海底から隆起した時にできたといわれています。」

 

 私は素直に感嘆し、三省さんの掌に転がるその小さな石に見入りました。すると三省さんはその小石を私の手に握らせて、こう言いました。

 

「ほら、あなたの手の中には今、千四百万年という時間が握られています。一緒に、その途方もない時間を感じてみましょう」

 

詩人の言葉に促されるように、私は掌の小さな小石を握りしめ、その気が遠くなるような長い時の流れを思いました。この時、原始の森のただ中で、私は何を感じていたのでしょう。今あらためて振り返ると、私は目の前の小さな石から千四百万年という長大な時の流れを感じていたばかりではありません。そのはるかな遠い過去から現在においても変わることがなく、そして遠い未来においても変わることのない何事かを、そのちっぽけな石から感じとっていたように思われます。今でも瞳を閉じると、あの時の原始の森の気配や石の感触が甦り、その三世常住ともいうべき大いなる世界を思うのです。

 

この忘れ難い、印象深い出来事が、地域における寺院の役割を考える時、いつも思い起こされてきます。寺院空間というものも、あんなふうにして私たちが大きな大きな世界に出会うための場所なのではないでしょうか。かつて、日本に仏教が渡来した当時、人々はその仏像や教えを「三国伝来」といいましたが、この言葉にはインド、中国、日本というローカルな価値観を突き抜けた、仏教の世界性や普遍性がよく表れていると思います。きっと私たちの祖先は、揺れ動く時代の価値観に左右されがちな人間には、普遍的な思想や世界観、人間観に触れることが大切であると知っていたのでしょう。だからこそ、そのような普遍的な世界として仏教を求め、その世界に触れるための場所として寺院を建て守ってきたのだと思います。

 

そのような意味で、菩提寺というものは、地域における「屋久島」として人々が永遠なるダルマを感じ、その普遍的な世界と出会う場であり続けたいものです。しかし、その「屋久島」の奥深い魅力も、正しい道案内をするガイドが必要です。詩人がポンコツの軽トラックで私を導き、その言葉と深い眼差しで私を促し、たった一つのちっぽけな小石から長大な時の流れの世界へ、そして三世をつらぬくダルマの世界へといざなったように、私たち僧侶も地域の人々に「小石」を手渡すものでありたいものです。

 

(東京 観蔵院 これからの菩提寺のあり方を考える 寄稿)

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