住職日記

焼八千枚護摩供 その2 禅関に限られて

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前行二十一日

そのようにして寺の日常の勤めのかたわら、少しずつ準備をし、先生方の教えや、仲間の助けをいただいていよいよ本行に入る九月を迎えました。

先ず前行として二十一日間、一日三座の不動護摩の行をします。私は九月十八日の観音縁日を開白とし、この行に入りました。この二十一日六十三座の護摩行で、行者は不動明王のご真言である慈救呪を十万遍唱えます。一日五千遍唱えますので、一座に千遍ないし二千遍の慈救呪を唱えることになります。

不動明王のご真言 慈救ノ呪

そのため、準備と片づけを含めると、四時間以上の時間を要します。これを午前、午後、そして夜に勤めます。深夜に星空を見上げてお堂に行く時の心持や、虫の音の響きを感じながら、ろうそくの明かりだけで真言を唱え続けた時のしみじみと胸を満たすありがたさを忘れないでしょう。また一座勤める前に必ず勤めた水行も、心身を清めるとともに、行者らしい心境へと怠けやすい私を導いてくれました。こうした二十一日間の行の最後の結願の座に、八千枚の護摩が行われますので、焼八千枚護摩供とは、これらの前行もすべて含むものと言えます。

弘法大師が求め伝えた修行法

この八千枚護摩供は、真言宗の修行法の中でも大法とされるもののひとつです。真言密教を伝えた弘法大師は、お釈迦さまのお悟りに至るためのたくさんの修行法を伝えられました。

弘法大師空海

これらの修行法は、弘法大師自身が若き日より悟りを目指して仏道に励み、仏典を渉猟し、寺々を巡り、師を訪ねて求めつくした末に、究極の法として真言密教を見出し、ついに中国に渡って偉大な師から授かったものです。また弘法大師は、多くの修行法とともに、その実践の理論的な背景となる経典などもたくさん伝えています。真言密教の修行というのは、伝統仏教が、インドから中国へと伝えられる長い時間の中で、思想的、理論的、そして実践的に深められ、最終的に弘法大師によって即身成仏の法として体系化されました。そのための論書を弘法大師は多く著わしました。

長安の青龍寺で師に教えを授かる弘法大師(白い衣)
長谷寺蔵「弘法大師摂化行状図」より

禅関に限られて

弘法大師には、そうした論書とは別に、私的な手紙や詩文も多数残されています。いろんな方と手紙のやり取りをした中に、「禅関に限られて」という言葉があります。ひたすら修禅瞑想に打ちこむため、社会的な諸縁を一時的に断ち切り、自分自身を仏さまの世界に閉じ込め、瞑想三昧の生活に限定することを言います。身心を霊的な次元に置き、文字通り立てこもります。私が伝授を受けた先生も、この期間は「極力本尊さまと向き合うように」と何度も言われ、私自身も「禅関に限られる」生活に勤めました。瞑想三昧に徹し、それ以外の時間帯も諸縁を断ち、食や水行、また生活の細かな場面、食事、洗面、入浴、睡眠など、行者に定められる作法に勤めました。

庫裏の一室を行者部屋として生活

しかし、現実は思うようにはならず、いろんなことがありました。しきりに思い出される寺務や宗派の勤めもありました。高野山の中川善教大僧正をはじめ偉大な先人の体験記を読むと、そんな先人たちでも思わぬ来客やら出来事が起こり、思い通りにはできないと書き残されていることに安堵したりしました。それでも自分なりに「禅関に限られて」という弘法大師の言葉に導かれるように過ごしたつもりです。(続く)

行中のお供え
供物をもって行堂(観音堂)へ向かう
次第に体力が落ち石段がつらい
一日三座の護摩修行
暑い日の護摩行は一段と厳しい
不動明王の火生三昧に住する
寺総代たちが何度も激励に!感謝。
秋が深まり彼岸花も深紅に染まる
開基殿で加護を願いお堂へ

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