住職日記

保護司の就活

先日、夜のテレビ番組で保護司が主人公のドラマを放映していた。

自分が保護司を任命されているせいもあって『へえ』と思いながらも、つい見落としてしまった。

 

保護司とは、犯罪を犯してしまった人の更正を支援する人である。

保護観察処分になった人や、仮釈放になった人など、いろいろとあるけれど、そんな彼らが社会的に、精神的にやり直し立ち直っていくのをお手伝いするのだ。

月に何度か会って話をしたりする。

で、そんな保護司としての仕事の中で、今関わっているひとつに『協力雇用主』を探す仕事がある。

協力雇用主とは、保護観察になった人や仮釈放で出所してきた人を、そのような経歴を承知の上で雇用してくれる会社のことだ。

これが、なかなかいない。

そもそもそういうものがあるとは、ほとんどの人は知らない。

私も知らなかった。

保護司になって、初めて知った。

が、その重要性も、また多くの人が知らないし、私も知らなかったし、保護司になって『なるほどこれは大切な存在である』と知ったのである。

 

犯罪の原因は、人間の弱さや煩悩にそもそもは起因することだが、多くの人は、その弱い人間性を何とか守って、犯罪をしない社会人として生活している。

そこに、宗教心や道徳や倫理が重要な働きをしているのは確かなんだけれども、人間『衣食足りて礼節を知る』という諺があるように、経済的な安定が、より多くの場合に人を犯罪から守っている。

実際、多くの犯罪者は、生まれたときから犯罪者なのではなく、生れ落ちた家庭環境や育っていく生育環境に貧困がある場合に、どうしようもなく、犯罪を起こす他はないような人生の隘路に押し込まれていく。

初犯は、特に少年の場合、面白半分や思春期の不安定要素などいろいろあるが、再犯を重ねてしまう人の場合には、ほとんどが経済的な不安定が原因になってしまう。

生まれたときからの犯罪者がいないように、根っからの犯罪者もそうそういるわけではなく、多くの人は、罪を悔い、つぐない、やり直したいと願っている。

けれども、なかなかその願い通りにはいかない。

仮出所して、実家など帰る場所がある場合はまだいい。

問題は、帰る場所がない人の場合だ。

国の支援施設で、一定期間食住の支援をする場所がある。

施設に寝泊りできる期間内に仕事が見つかればいい。しかし、見つからないと、行くあてがなくても期限切れとともに施設を出なくてはならない。

罪を犯しても、刑期の中で社会的な償いはしてきているのであるが、どうしても就職に際してその「経歴」がマイナス要素になり、限られた期間内に受け入れてくれる職場を探すのは困難なのだ。

私の友人で、会社を経営している人とも話しあったが、彼もそうした人々の就職の意義を認めつつ「でも、うちも客商売だからなあ」と、難しい現実を語る。

リスクを犯してまで、理想に付き合いきれないのが、経営者の本音だ。

今の損害は、賠償問題など、深刻化する恐れるあるから、会社を守る身になってみれば、確かに人間関係に不安要素のある人を進んで受け入れるのは難しいに違いない。

気の毒なことではあるが、犯罪を犯してしまう人は家庭環境的に貧窮な場合が多い。

現代は家庭的貧困が、子どもたちの学習機会を減らし、さらに基本的な人間関係のスキル(挨拶、会話、礼儀作法など)も、低水準・無頓着、粗暴に固定化する。

本人だけの努力では、このスパイラルから抜け出ていくチャンスは少ない。気づくきっかけが、生活の周辺に少ないのだ。能力がないのではなく、気づきや能力の開発にめぐり合う機会が圧倒的に不足してしまうのである。

その環境下に生活することで、意欲の低下、社会への怨嗟、規範意識の鈍化が進行し、食べるためについつい万引きや窃盗などの軽犯罪をきっかけに常習化し、フェアではない収入の道を求めることになる。しかも、そのような不遇な状況のある人間同士が、身を寄せ合うこともあって、犯罪がグループ化したり組織化していくことにもつながってしまうし、悪い場合には反社会的な組織に身を寄せていってしまうこともある。

その昔、差別に関する本の中で、有名な暴力団組織の首領のインタビューがあり読んだことがあったが、彼は「この社会に、構造的な差別があるかぎり、わしらの組織が無くなることはないだろう」と、自分たちの存在理由を述べていた。

格差の問題は、犯罪の増加に直結するし、犯罪の増加というのは、すなわち再犯の増加なのではないだろうか。

そのような、負のスパイラル、犯罪への螺旋にはまってしまっている彼らは、行く当てがなく、収入もないとなれば、頼る人のない彼らの再犯率は高まる。

先日、長野の出所者たちを一時的に受け入れる更生保護施設の施設長さんのお話を聴く機会があった。

「彼らは立ち直りたいんです。本心からそれを願っている。でも、その願いのためには、どんなものでもいいから、定職がほしい。少なくても、収入があれば、立ち直ろうという気持ちを彼らだって持続できるんです。でも、彼らを受け入れてくれる企業が、今本当に減っています。なんとかして、なんとかして、協力してくれる雇用主さんを増やしてほしい。彼らを犯罪から守ってやりたい。どんな仕事でもいい。一社でもいい、なんとか仲間を増やしてください」

そう熱心に語っていた。

「彼らもまた、いいえ、彼らこそ、社会的な弱者なんですよ」

しかし、長引く不況。

社会的な弱者は、固定化される流れにある。

 

企業の社会貢献として、もうすこし認知されてほしい。

また、雇用者が、それを積極的にやってみようと思える社会的な環境を整えていくのも、保護司の仕事なのだろう。

再チャレンジという言葉がかつてあったが、とても大切なことだ。

地域社会の人が、過ちを犯しても、もういちど帰ってこれる地域になるように、こんなところも大切にしたいものである。

安心して暮らせる社会とは、犯罪がないというよりも、むしろ犯罪を犯してしまった人が再犯をせずに社会に帰っていけることで、少しずつ負のスパイラルをなくしていく機能を有している社会ではないだろうか。

なんせ、人間が寄り集まっているのである。

どんな巡り会わせで、自分が明日にも罪を犯してしまうか分かりはしない。

 

協力雇用主、そんな人たちがあることも、知ってほしい。

 

 

 

 

 

コメント

  1. 雨ニモマケズ より:

     湯浅誠『岩盤を穿つ』(文藝春秋)を読んだ。あの「年越し派遣村」の村長で、新政権下で内閣府参与となった人だ。ここでは「日本人の「貧相な貧困観」」が繰り返し指摘されている。
     犯罪を犯してしまった人以外にも、子供、労働者、高齢者、障害者、外国人労働者みな然り、本人の責任でもなくこうした弱い立場におかれた人たちに、復帰のチャンスが与えられない社会。どうしてこんなにも社会が壊れてしまったのだろうか。
     こうした問題へのセイフティネットがしっかりしていないと、報道を含め一般には政治・行政に対応を要望する。そういう対処療法の充実ももっともだろうが、だがもう一歩踏み込んで社会を構成している人間一人ひとりのあり方を根源的に問いたい。やはり「人界」は、苦しみや不安から解放された「天界」にはなり得ないのだろうか・・・。
     NHKテレビは最近、「絆」をテーマにした番組づくりをした。今の社会に最も必要だとされるからであろう。その絆を生み出すのが大慈大悲ではないのか。いまこそ我々に備わった観音性を呼び覚ましたい。

  2. 長谷寺 より:

    雨ニモマケズさま
    ありがとうございます。
    以前もお話したでしょうか。大宝蔵経に山火事を消そうとする小鳥の話が出てまいります。燃え広がる火の勢いを見て、多くの動物たちが消火をあきらめ、逃げていく。そんな中で、小さな翼を水で濡らして燃え盛る炎の上に飛んでは水滴を落とし続ける小鳥がいます。他の動物たちは、無駄のことだと小鳥を笑いますが、小鳥は自分の力の小さなことや及ばないことは承知していると告げ、「でも、やらないではいられないのです」と、翼の雫を山火事にむけて垂らし続ける・・・。
    そんな説話を現実問題として考えさせられます。
    エンゲイジド・ブッディズムでは、今日の「苦」の原因が、貧困にあるその人の無明性に因るものではなく、社会システムを原因とすめ場合が多いと考え、「社会の無明性」の解脱を目指して活動します。
    むろん、そうした社会を築くのも私たちですから、基本的には「人間一人ひとりの根源」が問われなくてはならないと思います。
    社会のさまざまな場面で、絆を切ろうとする働きを感じます。人間同士がつながっていくことが、日本ではとても億劫になり、面倒なこととして印象づけられているように思われます。
    「個」というものをどうしていくのか。本当に、観音性を大切にしていかなくてはなりませんね。

  3. きりんこ より:

    少年院に行き出して10年余り
    こちらの方も親に戸籍を抜かれたり
    引き受けてのない子がここ最近顕著です。
    先生たちも必死で全国各地に問い合わせ。
    先生のお寺で・・・と言われ
    すぐに「はい預かりますよ」と言えずに葛藤です。
    入らなくて済むような子を
    負の連鎖がなんとか少なくなるようにと思います。

  4. 長谷寺 より:

    きりんこさま
    エンゲイジド・ブッディズムの観点では、現代の「苦」は、煩悩とは別の、社会構造(経済構造)を原因とする場合があると考えますね。あたかもブッダが苦の根本的な原因たる「無明」を克服しようとしたように、社会(経済)構造を遡行(縁起観)して、人間を苦の隘路に押し込んでいく仕組みそのものからの「解脱」を実践しようとします。
    ブッダと殺人者アングリマーラの関係を思います。
    日本中に8万あるという寺院は、まだまだ果たすべき役割があるように思いますね。
    きりんこさんの葛藤、経験不足ですが、保護司を始めて少しだけ分かるように思います。

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