住職日記

お相撲さんの休日

お相撲さんが、今度は賭博に関係して話題となっている。

事の真相はこれからのことだ。

それに関連するとあるテレビニュースに「暴力団関係者」という紹介で、その筋の人物と思しき人が、モザイクで登場してインタビューに応じていた。

「だって、関取連中は、あんなに大きいし、目立つし、どこに行っても誰だかすぐバレちゃうでしょ、でもね、彼らだって若いんだし遊びたい年頃だ、そんな彼らが休みの日に何をして遊んだらいいんだい?」

その筋の人は、そのように言って、自分たちは、そんな気の毒な境遇の彼らに「遊び」や「息抜き」や「ストレス発散」の場を提供しているのだ、と話を進めた。

 

考えさせられる、その筋の発言だ。

 

昨今のお相撲さんは、とても厳しい社会の目に晒されている。

監視されているといってもいい。

品格、人格、が問われてしまう。

 

 

人一倍どころか、何百倍もエネルギーを持って生まれたお相撲さんたちが、さらに厳しい稽古と競争社会でそのエネルギーをどんどん膨らませている。

そのすべてを土俵で発揮するのは理想だけれど、はたして人間は、そんなに単純か。

例えが正しいかどうか分からないが、南極への探検や、長期航海のタンカー、あるいは深海に息を殺す原子力潜水艦の乗組員たち、さらには宇宙飛行士たち。

彼らもまた、過酷な状況の中で、ベスト・パフォーマンスを求められるが、そのために精神をリラックスさせるための娯楽などの「環境整備」もよく整備されていると聞く。

つまり、モラルを保ち、ベストな仕事を要求する一方で、それだけのパフォーマンスを可能にする条件も整えていのであって、要求する側も品格や人格に責任を負っているのだ。

これらと比べ、若いお相撲さんたちは、充満してくるエネルギーを、どうやって発散するのだろう。

ひたすら、土俵の上だけで、稽古だけで発散できるだろうか。

品格や人格だけで、人一倍のエネルギーを御すことが出来るのだろうか。

その辺に遊びに行きたいと思っても、なかなか気楽に行動できない。

その筋の人の論理は、人の弱みに付け込んで、違法行為に引き釣り込むことだから賛成できるはずはないが、若いお相撲さんたちの生活環境が、必ずしも土俵に精神を集中していけるものになっていないことは想像できる。

品格を求めるのであれば、休日のリラックスの仕方や、それを可能にする「場」の整備も、各部屋や協会には必要なのではないだろうか。

おそらく、昔々のお相撲さんたちを囲む社会には、彼らの欲望が屈折した形になったり、モラルに反するような方向で発散されない「仕組み」が、用意されていたのだと思う。

締め付けや監督や教育だけで、お相撲さんたちの「不祥事」を撲滅することは出来ない。

桁外れのエネルギーを、土俵や勝負へと集中していける環境を整えてほしい。

お行儀のよい、外から求められる品格に自分をあっさりはめ込んでいけるような関取だけになったら、土俵には「華」が咲かなくなってしまう。

お相撲さんの休日が、部屋に引きこもる日や、その筋の娯楽にはまる日ではなくなってほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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