住職日記

大阪應典院にて絵解きのご案内 

お絵解き@大阪・應典院 の ご案内

 

いのちとカタリ~仏教の語り技、教えます~

 

期日 2013年10月9日()

 

場所 應典院本堂ホール

   〒543-0076

   大阪市天王寺区下寺町1-1-27

 

内容

   第一部「仏陀最期の場面~大涅槃図絵解き」

   実演 岡澤恭子

 

   第2部「いのちとカタリ」

   旭堂南海(上方講談師)

   大河内大博(浄土宗僧侶/いちの臨床仏教者の会副代表)

   釈徹宗(宗教学者/相愛大学教授)

 

会費 1,500(應典院町倶楽部会員・学生1,000)

應典院仮チラシ.jpg

 

主催 應典院町倶楽部

 

共催 相愛大学人文学部仏教文化学科

 

特別協力 大蓮寺

 

問い合わせ 應典院町倶楽部 06-6771-7641

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大阪應典院住職 秋田光彦師メッセージ

本当に語るべきものが少なくなった。Facebooktwitterや、恐らくは語りの総量は過剰なほど急増していのだが、伝えるべき実体は枯れていく。ドロドロとしたテキストの濁流に、人々は呑まれつつある。

 私は幼稚園の園長も兼ねているので、体験的にわかるのだが、たとえば幼稚園で子どもの前に立つと、大人が語るべきことは制限される。子どもの聞き取り能力や集中力にも関係するが、一番肝心なことは、未来ある人に、何を語るべきなのか、と誰もが無意識に思慮しないではいられないからだ。経済とか景気とも、健康や恋愛や、そういうトピックスが通用しない相手に、私たちは戯れ言を言って紛らわすしかないのだ。

 仏教の語りについて関心が集まっている。説教や絵解き、落語も含めれば、確かに「仏教芸能」の裾野は広い。長い時間をかけて磨き込まれた、生の言葉の躍動や強度、核心に、ネットにある言葉とは異質のものを感じ取るからだろう。

 むろん人間国宝のような演者による珠玉の古典芸も値打ちものだろう。だが、本当に求められているのは、懐古的な古典ではなく、そこから現代に語られるべき言葉の核心にふれたい、という人々の無意識の欲求が現れている。高度な知識とか最新情報とかいうのとは違う。例えばベッドサイドで死に逝く人に、何を語り伝える、あるいは伝えられるのか、そういう言葉の情動を感取したいのだと思う。

 仏教の語りは古くさい、形式的だ、といわれるが、言葉そのものではなく、今を生きる人にリアルが響かない、その経験や表現の硬直化にあるのではないか。

 仏教は哲学である以上に、身体を伴う物語でもある。仏教芸能に人々が魅了されるのは、生き死にを超えた普遍的な表現の感度にあるのだろうし、またそれが自分の経験の深部のどこかに共振するからだと思う。

 

 来月9日夜に、應典院で「いのちとカタリ~仏教の語り技、教えます」を開催する。  1部が信州・長谷寺の住職夫人岡澤恭子さんの涅槃図の絵解き、2部は上方講談師旭堂南海さん、浄土数僧侶で臨床仏教者でもあり大河内大博さん、宗教学者釈徹宗さんが語り合う。宗教、ケア、そして芸能…どんなシャッフルが起きるだろうか。ぜひ参加してください。シェアお願いします。

 詳細 http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?contentid=787 

 

 自分の経験に響いてこない語りは、語りではない。誰かが見てかりそめの騙り(かたり)だとしても、人は事実よりも自分にとっての「真実」を選び取る。そう思う。

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