住職日記

一日の安心と元気は仏壇から


■一日の安心と元気は仏壇から

朝、仕事や学校に行く前に、仏壇に手を合わせると、手を合わせないより必ず良い一日になります。

不思議ですが、確かに毎朝のお参りは私たちに安心と元気を与えてくれます。

なぜ「朝の祈り」が一日に安心と元気を与えてくれるのでしょうか。

それについてある道を求める師が次のように語られました。

 

どんなに日でも、それは未知の一日です。

何が起こるかわかりません。

それは無意識の不安となり、私たちの行動を委縮させます。

つまり元気が出なくなるのです。

しかし、そんな無意識の不安を放置せず、神仏や祖先に「お守りください」ときちんと祈ることによって、私たちは「よし、大丈夫だ」という気持ちを得ることができます。(宗派によっては、神仏や先祖にいろいろと願い事をしてはならないという教義もありますが、あまり深く考えず、まずは見守ってほしいという心を持ち、神仏や祖先を身近に感じることが第一歩ですね)

この「よし、大丈夫だ」という気持ちで一日をスタートするのか、反対に不安なままスタートするのかでは、その人の言動、判断、表情などのすべてに違いが表れます。

「よし、大丈夫だ」という気持ちで家を出る人は、その日一日が祝福され、明るいものとして進展していきます。

しかし不安を抱えたまま家を出ることは、すべてにおいて不安と萎縮があり、能力も十分に発揮することはできません。

あう人も、私たちのそのような気持ちを無意識に感じ取り、接し方もお互いに影響されるでしょう。

自分の能力や人間関係など、それらを好転させていくうえで、「よし、大丈夫だ」という気持ちで一日のスタートを切るのは、魔法をかけるほどに大きな意味があるのです。

そのようにして、朝のわずかなひと時でも仏壇に手を合わせるのは、私たちに安心と元気を与えてくれます。

 

■合掌礼拝で毎日を元気に

 お祈りの仕方は、宗派により、次第や作法を言い出せばきりがありませんが、肝心なことは、姿勢を正して手を合わせ一時でも静かな気持ちになることです。

そして、ご先祖様や亡き人に対する「ありがとう」という感謝の気持ちで心を満たし、その感謝の気持ちで一日を過ごすと願うことです。

ご先祖に向けて、こうしてきちんと手を合わせ、「ありがとう」という感謝の気持ちを起こして一日をスタートする。

たったこれだけのことで、私たちは「よし、今日も大丈夫だ!」という安心に包まれ、自信がわいてきます。

こうして朝の仏壇のお祈りによって、私たちは元気になるのです。

そのような気持ちを一日一日と積み重ねていくと、笑顔も明るくなり、態度やしぐさもさわやかなものになるでしょう。

 

■「朝のお祈り」のご利益

 この「朝のお祈り」の時間は、食事の前や、出勤・登校の前が良いでしょう。

特に若い人やお子さんには、親御さんや祖父母のみなさまから進めましょう。

要する時間は一〇秒で充分です。(もちろん、もう少し長い方が望ましいですよ)

ただし、きちんと姿勢を正し、きちんと手を合わせることが大切です。

そして心を込めて、丁寧に鐘を鳴らしましょう。

ゆっくりと良い音がするように鳴らし、その余韻の間「ありがとう」の気持ちで心を満たしましょう。

静かに長く息をしましょう。

こうした感謝の心を生じさせる「朝の祈り」は、私たちの「怒り」とか「憎しみ」とか「むさぼり」という心の働きを抑え、反対に「許し」や「思いやり」や「与える」という心を自然と育てます。

思い浮かべてください。

「ありがとう」の気持ちで満たされている自分と、「このやろう」の気持ちで満たされている自分と、どちらがより望ましい自分でしょうか。

そして、日々の積み重ねがやがて運命を導くなら、どのような気持ちの自分で生きていくべきか、もはや考えるまでもないでしょう。

こんな言葉があります。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

マザー・テレサ

 

お仏壇の祈り。
亡き人や祖先を偲ぶひと時。
手を合わせ、静かな呼吸に導かれて、「ありがとう」の気持ちが満ちてくる。

その心は、先祖の供養にとってはもとより、私たちの人生にとっても素晴らしい喜びをもたらしてくれるものですから、どうぞご家族ではじめましょう。

姿勢を正し、手を合わせ祈りの習慣を持ちましょう。

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