住職日記

卒業式 「さよなら史」のはじまり

3月5日 啓蟄 晴れのち曇り

 

春は卒業の季節。

昨日は息子の高校の卒業式に参加し、しみじみ。

私の母校に通った息子は高校生活を大満喫し、部活動に、生徒会活動に、そして学業にと、正直、私の息子とは思えないほど真面目に、熱心に、そして楽しく取り組んでいた。

 

そんな息子たち卒業生たちを見つめ、30年以上も前に、自分自身もこの場所から巣立ったのだと思うと、時の流れの矢の如きに、やや途方に暮れる。

 

建物も、制服も、多くが当時とは変わってしまった母校ではあるが、校庭や新しい校舎の中庭の木陰などには、昔と変わらない姿があった。不思議なことに、日頃は全く思い出すことのないような30年以上も前の出来事や親しかった友達の顔が次々と蘇ってきた。

そして、なかなか会えなくなってしまった懐かしい顔が蘇る。

二度と会えなくなったしまった人も、ある。

 

卒業式は、若者にとっては、人生で初めての別れ。

愛別離苦の悲しみを知るレッスン、ともいえる。

そのせいか、卒業にまつわる名曲も多い。

誰もが、この別れの季節を彩る思い出の曲があるのではないかな。

最近は、学校で歌われる合唱曲にも感動的なものが少なくない。

 

でも、このような学校での別れの場で歌われるのは、世代を超えて歌い継がれる歌が良いように思う。やはり定番はこれでしょう。

 

 

 

ふりかえれば、私たちは、大切な別れの場面で、「ちゃんと別れる」ということが案外とできていないものですね。亡くなった作詞家の阿久悠さんはこう言っています。

 

「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」

 

しかし、阿久悠さんは最近の日本人は、ちゃんと別れることが出来なくなってきている、と危惧を抱いていたそうです。

皆さんはいかがですか?

卒業式は、そんな「さよなら史」を刻んでゆく大事な一歩ですね。 


(住職記)

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